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新訂 古事記 中卷

古事記 中卷


神武東征


神武東征
神武帝議兄弟曰:「東有美地,蓋六合中心。何不就而都之?」


皇宮屋 皇軍發祥之地碑
傳皇宮屋者,神武帝日向宮跡。


前賢故實 五瀨命、槁根津彥


男之水門舊蹟 男神社濱宮
五瀨命負傷,薨於雄水門。

一、東征發向

 神倭磐余彥命かむやまと伊波禮毘古のみこと與其胞兄伊呂ね五瀨命いつせのおみこと二柱ふたはしら【○いろ,原文いろ伊呂以音。】高千穗宮たかちほのおみや議云はかりていはく:「坐何地いづく者, 可たひらけく聞看きこしめさむ天下之政あめのしたのまつりごと歟?なほおもふ東行ひむかしにゆかむ。」すなはち日向ひむかたち幸行いでましき筑紫つくし
 かれ,到豐國とよくに宇沙宇佐之時,有土人くにひと二人ふたり。名宇沙都彥うさつ比古宇佐都姬うさつ比賣つくり足一騰宮あしひとつあがりのみやたてまつりき大御饗おほみあへ。故自其地そこ遷移うつり,而坐於筑紫つくし岡田宮をかだのみや一年ひととせまた其國筑紫上幸のぼりいでましいましき安藝國阿岐のくに多祁理宮たけりのみや七年ななとせ。亦從其國安藝遷上幸而坐於吉備きび高嶋宮たかしまのみや八年やとせ
 かれ,從其國吉備上幸之時のぼりいでまししとき,一人のり龜甲かめのせつり揮袖打羽拳くるあひき速吸門はやすひのと。爾,喚歸よびよせ問之:「なむち誰也たれぞ?」答曰:「やつかれ國神くにつかみ,名曰珍彥宇豆毘古。」又問:「汝者,知海道うみぢ乎?」答曰:「能知よくしれり。」又問:「したがひ仕奉乎つかへまつらむや?」答白:「仕奉つかへまつらむ!」故爾,指渡さしわたし槁機引入ひきいれ御船みふね。即賜名なをたまひなづけき槁根津彥さをねつ日子【此者,倭國造やまとのくにのみやつこ等之おや揮袖そでふり原文打羽拳うちはふるさを原文槁機さを。速吸門在播磨國。

 故自其國播磨上行之時のぼりゆきしとき,經浪速之渡なみはやのわたりはてき青雲あをくも白肩津しらかたのつ此時このとき鳥見長髓彥登美能那賀須泥毘古おこしいくさ鳥見長髓彥とみのながすねびこ原文とみのながすねびこ登美能那賀須泥毘古以音。】神倭磐余彥命待向まちむかへたたかひき,爾取所御船みふねたて降立おりたち。故なづけ其地そこ楯津たてつ於今者いまには日下くさか蓼津たてつ也。

 於是ここに,與鳥見彥登美毘古戰之時たたかひしとき,五瀨命御手遭鳥見彥登美毘古痛矢いたやくしおひき傷。故爾,五瀨命詔:「あれ者為日神ひのかみ御子みこむかひ日而戰,不祥不良。故おひつ賤奴いやしきやつこ痛手いたて。自今者,當行迴ゆきめぐり背負せおひ神之威,隨影壓躡以うたむ敵!」如是ちぎり而,自南方みなみのかた迴幸めぐりいでまし。時到血沼海ちぬのうみあらひ其御手之血。故いふ血沼海也。
 五瀨命從其地血沼海迴幸めぐりいでまし,到紀國きのくに男之水門をのみなと而詔:「 慨哉!大丈夫おひ賤奴之手いやしきやつこのて,將不報而しなむ耶!」語畢,雄詰男建さりましき。故なづけ水門みなと男水門をのみなと也。【○雄詰をたけ,原文男建をたけ。雄雄怒吼之狀。】五瀨命みさざき,即在紀國之竈山かまやま也。

二、靈劍韴靈與八咫烏

 故,神倭磐余彥命かむやまと伊波禮毘古のみこと其地男水門迴幸,到熊野村くまののむら。時有大熊おほきくま髣髴ほのかに出入いでいりすなはちうせき【○書紀作神吐毒氣。】神倭磐余彥命かむやまと伊波禮毘古のみこと儵忽たちまち遠延また御軍みいくさ,皆遠延ふしきをえ,原文をえ遠延以音。○意識矇矓之狀。
 此時,熊野くまの高倉下たかくらじ【此者人名ひとのな。】もち橫刀たちいたり天神あまつかみ御子みこ伏地ふせるところ獻之たてまつりし。時天神御子すなはち寤起さめおき,詔:「長寢ながくいねつるかも!」
 故神倭磐余彥命受取うけとり橫刀たち之時,其熊野山くまののやま荒神あらぶるかみ,皆おのづから切仆きりたふさえき。爾其惑伏まとひふせる御軍みいくさことごとく寤起之さめおきき

 故,天神御子神武帝問其橫刀たち所由ゆゑ高倉下たかくらじ答曰:「己夢之おのがいめみつらく:以天照大神あまてらすおほかみ高木神たかぎのかみ二柱神ふたはしらのかみみことめし武御雷神建みかづちのかみのりたまはく:『葦原中國あしはらのなかつくに者,伊多玖喧囂也佐夜藝帝阿理那理甚喧囂也いたくさやげてありなり,原文いたく伊多玖さやげてありなり佐夜藝帝阿理那理以音,いたさやげて在也ありなり。】我之御子わがみこ等,良志不平穩たひらかならず哉。その葦原中國者,もはら汝所降服言向之國。故汝武御雷神建みかづちのかみ可降くだるべし!』しかくし答曰こたへまをさく:『やつかれ雖不降おらずとも,專有平其國之橫刀そのくにをたひらげしたち,是刀可降くだすべしくださむ此刀かたち者,穿うかち高倉下之倉頂くらのいただき自其それより墮入おとしいれむ。故なむち良以探之阿佐米余玖取持とりもちたてまつれ天神あまつかみ御子みこ!』此刀このたち,名云刀韴神佐士布都のかみ,亦名云嚴韴神甕布都のかみ,亦名韴御魂布都のみたま。此刀者,います石上神宮いそのかみのかむみや也。降服ことむけ原文言向ことむけ,令其誓言從屬。良以探之あさめよく,或云漁目良あさめよく,或云朝目吉あさめよく。此採前者。後者則早朝醒晤時所見之吉兆之意。ごとく夢教いめのをしへあした己倉おのがくら者,有橫刀。故もち是橫刀而獻耳まつりつらくのみ。」

 於是ここに,高倉下亦以高木大神たかぎのおほかみみこと之:「天神御子あまつかみみこ自此これより之後,便すなはちなかれ入幸いりいでます奧方おくつかた荒神あらぶるかみ甚多也いとおほし。今自天あめよりつかはさむ八咫烏やあたからすかれ其八咫烏將引道,應從其後,幸行いでます而可矣。」【○さとし,原文書さとしみちびき,原文書引道みちびきてむたつ,原文書たつ
 故神倭磐余彥命まにまに教諭をしへ覺,從其八咫烏之しりへ幸行者,到吉野河よしののかは河尻かはしり。時有作うへうを之人。爾天神御子神武問:「なむち者,たれ也?」こたへ白:「僕者國神くにつかみ,名謂贄持之子にへもつのこ。」此者これは阿陀あだ鵜養うかひおや。】
 從其地吉野幸行者,遇生尾人をおひたるひと,自出來いできたり。其井有ひかり。爾問:「汝者,誰也?」答まをし:「やつかれ者國神,名謂井冰鹿ゐひか。」【此者,吉野首よしののおびと等祖也。冰鹿ひかひかり之意。
 即入其山吉野山者,また遇生尾人。此人排分押わけいはほ而出來。しかくし問:「汝者,誰也?」答曰:「僕者國神,名謂石押分之子いはおしわくのこ。今ききつる天神御子幸行いでましぬゆゑ參向耳まゐむかへたらくのみ。」【此者,吉野國巢よしののくにす之祖。排分おしわけ原文押分おしわけ。】
 神倭磐余彥命自其地吉野蹈穿ふみうかち越幸こえいでましき宇陀うだ。故曰宇陀之穿うだのうかち也。


神武天皇聖蹟熊野神邑顯彰碑


熊野 天磐楯 神倉神社
神武東征,皇軍遇毒氣於熊野,幸獲神劍於高倉下,遂得救。


物部氏氏神 布留社 石上神宮
以高倉下所奉持平國之劍布留御魂大神為神體。與須佐之男天十握劍布都斯魂大神共稱石上大神。


熊野本宮大社 八咫烏
高皇產靈神遣八咫烏以為導。

吉野山
八咫烏導神武帝至吉野。逢國神贄持之子、井冰鹿、石押分之子。


宇陀血原 宇陀郡血原橋
兄猾設押機,欲害天孫。以謀事洩,反自蹈機而壓死。時陳屍斬散,流血沒踝。故號宇陀血原。


血原橋近郊 石割峠

神武帝宇陀血原歌:「宇陀高城狩場間 欲捕鴫鳥張羂網 吾雌伏且待 欲獲鴫而鴫不至 反得勇細鯨 身陷罠網為所捕 假令老前妻 今來乞肴者 予若立柧棱 柧棱之實寥無幾 削取幾許聊與之 假令稚後妻 今來乞肴者 出嚴榊予之 嚴榊之實豐且富 幾許削取盛與之 噫噫【長音。】此奴子賤奴【此敵意者。】 嗚呼【長音。】此奴子賤奴【此嘲笑者。】


土蜘蛛草紙 土蜘蛛
大河朝廷稱不順之民為土蜘蛛。

久米歌其一:「忍坂大室屋 眾人入居此石窨 來入此屋敵者眾 雖入此屋敵者眾 威武不撓兮 武勇久米之子矣 今舉頭椎劍 復舉石椎劍 持劍擊敵止其息 武勇威猛兮 久米來目子等矣 今舉頭椎劍 復舉石椎劍 今時擊兮洽宜矣其二:「武勇威猛兮 久米來目子等矣 汝居垣本者 粟生在其處 臭韮一本粟田間 猶尋其根本 探其芽兮搜我敵 擊敵制勝止其息其三:「武勇威猛兮 武勇久米子等矣 汝居垣本者 辛味山椒植其處 食椒口炙疼 莫忘其痛今討讎 擊敵制勝止其息其四:「急甚神風兮 神嵐所拂伊勢海 海上大石間 細螺攀迴蝕彼石 攀迴細螺矣 吾子今猶此細螺 擊敵制勝止其息其五:「並楯欲上弦 楯射也伊那佐山 通彼山林間 行軍迴守望且戰 如此交戰者 吾軍弟兄飢疲憊 伶俐島鳥之 鵜飼伴等聽我命 今速助來勞飢疲


神武天皇東征路線圖


神倭磐余彥命 神武天皇像


畝火白檮原宮 橿原神宮

三、誅滅凶虜與一統天下

 故爾,於宇陀うだ兄猾え宇迦斯弟猾おと宇迦斯二人ふたり。故神倭磐余彥命かむやまと伊波禮毘古のみことまづつかはし八咫烏やあたからす問二人曰:「いま天神あまつかみ御子みこ幸行いでましぬ汝等なむちら仕奉乎つかへまつらむや?」於是ここに兄猾え宇迦斯もちて鳴鏑かぶら待射返まちいかへしき使つかひかれ其鳴鏑所落之地おちたることろいふ訶夫羅前かぶらさき也。【○うかし原文うかし宇迦斯以音,蓋地名穿うかち之意,此依書紀表之。訶夫羅かぶら鳴鏑かぶら也。】
 兄猾えうかし云:「將待擊まちうたむ!」而あつめき軍。然いくさ不得聚。遂欺佯いつはり仕奉つかへまつらむ而作大殿おほきとの,復於其殿內とののうち押機おしまちし,俟殺天孫。【○欺佯いつはり原文欺陽いつはり押機おし乃陷阱之一。】
 時弟猾おと宇迦斯まづ參向まゐむかへ天孫,をろがみ曰:「僕兄やつかれがえ兄猾えうかし射返いかへし天神御子之使つかひ,將待攻まちせめむ而聚軍。然不得聚,故つくり殿,其內張設はり押機,將待取まちとらむ矣。故先參向顯白あらはしまをし以惕。」
 爾,大伴連おほとものむらじ等之おや道臣命みちのおみのみこと久米直くめのあたひ等之祖大久米命おほくめのみこと二人,召兄猾え宇迦斯罵詈云のりていはく:「伊賀所作つくり仕奉於大殿內おほきとののうち者,意禮先入まづいり明白あかしまをせまさり仕奉つかへまつらむかたち!」すなはちにぎり橫刀之柄たちの手上由氣ほこ追入おひいれし【○廝所作伊賀つくり,原文いが所作伊賀つくり,い為第二人稱蔑稱詞,が為存在動詞。おれ原文おれ意禮,第二人稱おのれ之意。つか原文手上たかみかまへ原文ゆけ由氣,與ゆき同源,持矛、構矛之意。さし原文さし,弓矢上弦指向敵方之意。】
 時其兄猾え宇迦斯乃為己所作おのがつくれる押機おし擊打而死うたえてしにきしかくしすなはち執其屍,控出ひきいだし斬散きりちらしき。故其地そこ,謂宇陀之血原うだのちはら也。然而しかくして,其弟猾おと宇迦斯たてまつれる大饗おほあへ者,ことごとくたまひき其天孫御軍みいくさ。此時,歌曰うたひていはく

 故,其弟猾おと宇迦斯者,宇陀うだ水取もひとり等之おや也。

 自其地宇陀幸行,到忍坂おしさか大室おほむろ時有生尾をおひたる土蜘蛛つち雲八十猛やそ建,在其むろまち嘶鳴伊那流【○土蜘蛛つちぐも原文土雲つちぐも八十猛やそたける原文八十建やそたける嘶鳴いなる原文いなる伊那流以音,い鳴る伊那流,咆嘯之狀。】故爾,以天神御子 神武之命,饗賜あへたまひき八十猛やそ建。於是,あて八十猛やそ建者,まうけ八十膳夫やそかしはて每人ひとごとはけたちをしへ其膳夫等曰:「聞歌之者うたふをきかば一時共斬もろともにきれ!」故あかせる將打うたむ土蜘蛛つち雲之歌曰:

 如此かくうたひ而,拔刀たちをぬき一時もろともに打殺也うちころしき

 然のち將擊うたむとせし鳥見彥登美毘古之時,歌曰:

 また,歌曰:

 又,歌いはく

 又,擊兄磯城え師木弟磯城おと師木之時,御軍みいくさ暫疲しまらくつかれき【○磯城しき,原文書師木しき。】しかくし歌曰:

 故邇かれしかしく饒速日命邇藝はやひのみこと參赴まゐおもぶきまをさく天神御子あまつかみみこ:「ききつる天神御子天降あまくだり,故追參降來おひてまゐくだりきつ。」即獻天津瑞あまつしるし仕奉つかへまつりき也。【○天津瑞あまつしるし,即天璽瑞寶あまつしるしのみづたから十種とくさ。】
 故,饒速日命邇藝はやひのみこと鳥見彥登美毘古之妹鳥見屋姬登美夜毘賣【○亦名三炊屋姬みかしやひめ鳥見屋姬とみやびめ,原文とみやびめ登美夜毘賣以音。】
  生子,可美真遲命宇麻志麻ぢのみこと【此者,物部連もののべのむらじ穗積臣ほづみのおみ婇臣うねめのおみおや也。可美真遲うましまぢ,原文うましまぢ宇麻志麻遲以音,書紀作可美真手命うましまでのみこと。舊事紀作味間見命うましまみのみこと

 かれ
神倭磐余彥命如此かく降服言向平和たひらげやはし荒神等あらぶるかみたち荒神あらぶるかみ原文荒夫琉神あらぶるかみ者,ぶる夫琉二字以音。】退撥しりぞけはらひ不伏之人等まつろはぬひとども,而いまし畝火むねび白檮原宮かしはらのみやしろしめす天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな神武天皇じんむてんわう畝火白檮原宮むねびのかしはらのみや,書紀作畝傍橿原宮むねびのかしはらのみや。】

大和朝廷

一、立后姬蹈鞴五十鈴姬

 故神倭磐余彥命坐日向ひむか時,めとり阿多あた小椅君をばしのきみいも吾平姬阿比良比賣吾平あひら原文あひら 阿比良以音。○大隅一帶地名。
  生子,手研耳命多藝志美美のみこと
  次,研耳命岐須美美のみこと二柱ふたはしら坐也。手研耳たぎしみみ研耳きすみみ原文たぎしみみ多藝志美美きすみみ岐須美美以音。

 然,天皇神武更求さらにもとめし大后おほきさき美人をとめ。時大久米命おほくめのみこと白:「此間ここ媛女をとめこれ神御子かみのみこ。其所以ゆゑ謂神御子者,曩三島湟咋みしまのみぞくひむすめ夫矢蹈鞴姬勢夜陀多良比賣容姿かたち麗美うるはしき。故三輪美和大物主神おほものぬしのかみ見感みめで,而於其美人をとめ如廁大便時,化丹塗矢にぬりやより其為大恭大便みぞ流下ながれくだりつきき美人をとめ女陰富登。爾,其美人おどろき狼狽伊須須岐伎立走たちはしりすなはち將來もちき其矢そのやおく床邊とこのへたちまち麗壯夫うるはしきをとこ,即めとり美人夫矢蹈鞴姬生子うみしこ名,謂女陰蹈鞴五十鈴姬命富登多多良伊須須岐比賣のみこと亦名またのな姬蹈鞴伊助依姬姬多多良伊須氣余理比賣これ者,にくみ女陰富登云事いふこと,後改名あらためしな者也。○書紀作媛蹈韛五十鈴媛ひめたたらいすずひめ,下效此。夫矢蹈鞴姬せやだたらひめ,原文せやだたらひめ勢夜陀多良比賣以音,或云夫矢立せやだたら則依其故事附會之名也。三輪みわ原文美和みわ如廁くそまらむ大恭くそまらむ,原文大便くそまらむ女陰ほと原文ほと富登以音。狼狽いすすきき原文いすすきき伊須須岐伎以音,慌亂狼狽之狀。女陰蹈鞴五十鈴姬ほとたたらいすすきひめ姬蹈鞴伊助依姬ひめたたらいすけよりひめ原文以音,伊助依いすけより乃神靈加護之意。故,是以いふ神御子也。」

 於是ここに七媛女ななたりのをとめ遊行あそびにありく高佐士野たかさじのさじ佐士二字以音。○意未詳。五十鈴姬伊須氣余理比賣其中そのなかしかくし,大久米命見其五十鈴姬伊須氣余理比賣もち歌白於天皇すめらみこと曰:

 爾,五十鈴姬伊須氣余理比賣者,たてり媛女等をとめらさきすなはち天皇神武見其媛女等而御心みこころ五十鈴姬伊須氣余理比賣立於最前もともさき,便以歌こたへいはく

 爾,大久米命おほくめのみこと天皇神武みことのりたまひし五十鈴姬伊須氣余理比賣。時姬見其大久米命黥利目さけるとめ,思あやし歌曰:【〇さく者,紋身入墨いれすみ之意。乃銳利之意。】

 しかくし,大久米命こたへ歌曰:

 故其孃子をとめ天皇神武曰:「願仕奉也つかへまつらむ。」

 於是ここに,其五十鈴姬伊須氣余理比賣いへ狹井河さゐがはうへ天皇すめらみこと幸行いでまし五十鈴姬伊須氣余理比賣もと一宿御寢ひとよみねし也。【其河謂狹井河佐韋がはゆゑ者,於其河邊かはのへ山百合草やま由理くさ多在さはにあり。故とり山百合草やまゆりくさ之名,なづけき狹井河佐韋がは也。山由理草之本名もとのな,云狹井佐韋也。山百合やまゆり,今云笹百合ささゆり

 のちに,其五十鈴姬伊須氣余理比賣參入まゐいり宮內みやのうち。時,天皇神武御歌みうた曰:

 然而,天皇神武、五十鈴姬之間,所誕阿禮坐御子みこ【○所誕あれませる,原文あれ坐阿禮ませる。與あれ同源。】
  名,日子八井命ひこやゐのみこと
  次,神八井耳命かむやゐのみこと【○多臣祖。】
  次,神沼河耳命かむぬなかはのみこと三柱みはしら○神沼河耳命者,綏靖天皇すいぜいてんわう也。


神武天皇登腋上嗛間丘迴望國狀
神倭磐余彥命坐白檮原宮治天下,是為初代神武天皇。


道臣命、大久米命
天皇求后,大久米命薦五十鈴姬。


神武天皇與五十鈴姬
神武帝遇七媛女遊行高佐士野。

高佐士野問答其一:「磯輪大和國 倭國高佐士野間 七女共遊行 窈窕佳人媛女等 欲娶孰孃以為妻其二:「決擇實難矣 克克以立彌前者 欲娶姊媛作吾妻其三:「猶飴黃鶺鴒 又若千鳥真鵐者 汝何黥利目如是其四:「所以利目者 欲直得逢美媛女 故吾裂目銳如是


鯨利目 眼部入墨


狹井河
神武天皇聖蹟狹井河之上顯彰碑。


狹井坐大神荒魂神社
大神神社攝社,神武帝、五十鈴姬相戀處。設有三輪山登拜口。

皇后入宮時歌:「遼遼豐葦原 薄污鄙穢小屋間 清敷菅疊筵 彌彌敷兮令清清 吾欲與汝共相寢


多氏氏神 多坐彌志理都比古神社


吾平津神社 吾平津姬像
手研耳命,神沼河耳命之庶兄而神武帝與吾平津姬之子也。

五十鈴姬諭子歌其一:「狹井河之上 雲湧立渡廣來兮 畝火畝傍山 木葉騷然發聲響 當知今時風將起其二:「畝火畝傍山 晝時雲搖雲翻騰 黃昏夕際時 蓋是今時風將起 木葉騷然發聲響


大和三山 畝傍山
畝傍山又稱畝火山,與香具山、耳成山並稱大和三山。皇后以畝傍山木葉騷動警告手研耳命圖謀不軌。


草部吉見神社
與鵜戶神宮、一之宮貫前神社幷稱日本三大降詣宮。祭神國龍神,即日子八井命。


神武天皇 畝傍山東北陵


綏靖天皇像 葛城高丘宮趾
神沼河耳命立,是為綏靖天皇。


安寧天皇 片鹽浮孔宮趾


石園座多久蟲玉神社
傳安寧天皇片鹽浮孔宮跡。俗稱龍王宮,或云大神神社乃龍首,當神社則龍胴,葛城長尾神社為龍尾。


安寧天皇 畝傍山西南御陰井上陵


懿德天皇 輕之曲峽宮跡
境岡宮,日本書紀書作曲峽宮。


懿德天皇 畝傍山南繊沙谿上陵


孝昭天皇 掖上池心宮跡


孝昭天皇 掖上博多山上陵


孝安天皇 葛城室秋津嶋宮跡


孝安天皇 掖上玉手丘上陵


孝安天皇 葛城室秋津嶋宮跡


黑田廬戶宮 孝靈神社
孝靈神社亦稱廬戶神社,傳孝靈帝宮跡。按葛城王朝多定都原市至御所市間,唯孝靈帝構都磯城。


箸墓古墳 倭跡迹百襲姬大市墓


備中國一宮 吉備津神社
崇神帝遣吉備津彥為西道將軍,平定吉備國,故名焉。


孝靈天皇 片丘馬坂陵

二、欠史八代

 故,神倭磐余彥神武天皇すめらみこと崩後かむあがりのち,皇子等之庶兄ままね手研耳命當藝志美美のみことめとり嫡后おほきさき五十鈴姬伊須氣余理比賣,密はかり將殺ころさむとせし三弟みはしらのおとあひだ。其御祖五十鈴姬伊須氣余理比賣患苦うれへくるしび,以歌令知御子等みこたち。歌曰:【○庶兄ままね,此云異母兄弟,與胞兄いろね相對。嫡后おほきさき原文適后おほきさきはは原文御祖みおやをしへ原文令知しらしめき。】

 又,歌曰うたひていはく

 於是ここに御子みこ聞知ききしりおどろきすなはち欲殺ころさむ手研耳命當藝志美美のみこと。時神沼河耳命かむぬなかはみみのみことまをし其兄そのえ神八井耳命かむやゐみみのみこと:「吾兄那泥汝命ながみこと,持つはもの入而殺手研耳當藝志美美!」故,もちいり將殺ころさむ之時,太子神八井耳命手足てあし戰慄和那那岐弖不得えずころすこと戰慄わななきて原文わななきて和那那岐弖以音。吾兄あがね原文なね那泥汝兄なえ之轉,兄弟間之親暱呼稱。故爾かれしかくし其弟そのおと神沼河耳命,乞取こひとり其兄所持もてるつはもの,入ころしき手研耳當藝志美美。故,亦たたへ神沼河耳命御名みな,謂武沼河耳命建ぬなかはみみのみこと【○たけ原文たけ,勇猛。】

 爾太子神八井耳命かむやゐみみのみことゆづり武沼河耳命建ぬなかはみみのみこと曰:「あれ者,不能あたはずあた汝命ながみことすでにころす仇。故吾雖兄えなれども不宜為なるべくあらずかみ。是以禪汝命,為上しろしめす天下あめのしたやつかれ扶翼たすけ汝命,為忌人いはひひと仕奉也つかへまつらむ。」
 かれ日子八井命ひこやゐのみこと者,茨田連うまらたのむらじ手島連てしまのむらじおや【○和名抄訓茨田うまらたまった萬牟多。】神八井耳命かむやゐみみのみこと者,意富おみ小子部連ちひさこべのむらじ坂合部連さかひべのむらじ火君ひのきみ大分君おひきだのきみ阿蘇君あそのきみ筑紫三家連つくしのみやけのむらじ雀部臣さざきべのおみ雀部造さざきべのみやつこ小長谷造を泊瀨のみやつこ都祁直つけのあたひ伊余國造いよのくにのみやつこ信濃國造科野のくにのみやつこ道奧石城國造陸奧のいはきのくにのみやつこ常道仲國造常陸那珂のくにのみやつこ長狹ながさ國造くにのみやつこ伊勢船木直いせのふなぎのあたひ尾張丹波臣をはりのにはのおみ島田臣しまだのおみ等之おや也。【○おほ原文おほ意富以音,或書作おほ長谷はつせ或書泊瀨はつせ信濃しなの原文科野しなの道奧みちのく或書陸奧みちのく常道ひたち或書常陸ひたちなか或書那珂なか。】神沼河耳命かむぬなかはみみのみこと者,しろしめし天下あめのした也。【○綏靖天皇すいぜいてんわう。】

 おほよそ神倭磐余彥神倭伊波禮毘古天皇神武御年みとし壹佰參拾柒歲ももとせあまりみそとせあまりななとせ御陵みさざき,在畝火山うねびやま北方きたのかや白檮尾上かしのをのうへ也。【○,山裾延伸之處。うへ,畔、邊。】


 
神沼河耳命かむぬなかはみみのみこと,坐葛城かづらき高岡宮たかをかのみやしろしめし天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな綏靖天皇すいぜいてんわう。】

 此天皇すめらみこと,娶磯城縣主師木のあがたぬしおや河俣姬かはまた毘賣【○磯城しき原文師木しき,下效此。】
  生御子みこ磯城津日子玉手見命師木つひこたまてみのみこと【○安寧天皇あんねいてんわう。】

 天皇綏靖御年みとし肆拾伍歲よそあまりいつとせ御陵みさざき,在衝田岡つきたのをか也。【○書紀書衝田つきた桃花鳥田つきた。】


 
磯城津日子玉手見命師木つひこたまてみのみこと,坐片鹽かたしほ浮穴宮うきあなのみやしろしめし天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな安寧天皇あんねいてんわう。】

 此天皇すめらみことめとり河俣姬かはまた毘賣磯城師木縣主波延あがたぬしはえむすめ阿久斗姬あくと比賣
  生御子,常根彥某兄命常根津日子伊呂泥のみこと【○常根彥某兄とこねつひこいろね原文常根津日子伊呂泥とこねつひこいろね。】
  次,大倭日子鉏友命やまとひこすきとものみこと【○懿德天皇いとくてんわう。】
  次,磯城津彥命師木つ日子のみこと
  此天皇安寧御子みこ等,あはせ三柱みはしらなか,大倭日子鉏友命者,治天下。
  次,磯城津彥命師木つ日子のみこと有子二王ふたはしらのみこ
   一子,うまご者,伊賀須知之稻置いかのすちのいなき名張之稻置那婆理のいなき三野之稻置みののいなき之祖。【○名張なばり原文なばり那婆理以音。】
   一子,和知都美命わちつみのみこと者,坐淡道あはぢ御井宮みゐのみや。故,此みこ二女ふたはしらのむすめ
    名,蠅某姊はへ伊呂泥。亦名,大倭國顯姬命意富夜麻登久邇阿禮比賣のみこと【○大倭國顯姬おほやまとくにあれひめ原文おほやまとくにあれひめ意富夜麻登久邇阿禮比賣以音。】
    名,蠅某弟はへ伊呂杼也。【○某姊いろね某弟いろと原文いろね伊呂泥いろど伊呂杼以音。おと原文おと。】

 天皇安寧御年みとし肆拾玖歲よそあまりここのとせ御陵みさざき,在畝火山うねびやま御陰美富登也。【○御陰みほと原文みほと美富登以音,凹陷處。】


 
大倭日子鉏友命やまとひこすきとものみこといましかる境岡宮さかひをかのみやしろしめし天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな懿德天皇いとくてんわう。】

 此天皇すめらみこと,娶磯城縣主師木のあがたぬしおや太真稚姬命賦登麻和訶比賣のみこと亦名またのな飯日姬命いひひ比賣のみこと太真稚姬ふとまわかひめ,原文ふとまわかひめ賦登麻和訶比賣以音。書紀書飯日姬命者太真稚彥ふとまわかひこ之女。
  生御子みこ觀松日子香殖稻命御真津ひこ訶惠志泥のみこと【○孝昭天皇かうせうてんわう觀松日子香殖稻みまつひこかゑしね原文みまつひこかゑしね御真津日子訶惠志泥以音。】
  次,手研彥命多藝志比古のみこと【二柱。手研彥たぎしひこ原文たぎしひこ多藝志比古以音。
  故,觀松日子香殖稻命御真津ひこ訶惠志泥のみこと,治天下也。
  次,手研彥命多藝志比古のみこと者,血沼之別ちぬのわけ但馬之竹別多遲麻のたけのわけ葦井之稻置あしゐのいなきおや【○但馬たぢま原文たぢま多遲麻以音。】

 天皇懿德御年みとし肆拾伍歲よそあまりいつとせ御陵みさざき,在畝火山うねびやま繊沙谷上真名子だにのうへ也。


 
觀松日子香殖稻命御真津ひこ訶惠志泥のみこといまし葛城かづらき掖上宮わきがみのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな孝昭天皇かうせうてんわう。】

 此天皇すめらみことめとり尾張連をはりのむらじおや奧津世襲おきつ余曾いも世襲多本姬命余曾たほ毘賣のみこと【○世襲よそ原文よそ余曾以音。世襲多本姬よそたほびめ,書紀作世襲足媛よそたらしひめ。】
  生御子みこ天押足彥命あめおし帶日子のみこと
  次,大倭足日子國押人命おほやまと帶ひこくにおしひとのみこと【二柱。たらし原文たらし,下效此。
  故,おと足日子國押人命帶ひこくに忍ひとのみこと者,治天下也。【○孝安天皇かうあんてんわう。】
  天押足彥命あめおし帶日子のみこと者,春日臣かすがのおみ大宅臣おほやけのおみ粟田臣あはたのおみ小野臣をののおみ柿本臣かきのもとのおみ壹比韋臣いちひゐのおみ大坂おほさかおみ阿那臣あなのおみ多紀臣たきのおみ羽栗臣はぐりのおみ知多臣ちたのおみ牟耶臣むざのおみ都怒山臣つのやまのおみ伊勢飯高君いせのいひたかのきみ壹師君いちしのきみ近江ちかつ淡海國造くにのみやつこおや也。【○近江ちかつあふみ原文近淡海ちかつあふみ。】

 天皇孝昭御年みとし玖拾參歲ここのそあまりみとせ御陵みさざき,在掖上わきがみ博多山上はかたやまのうへ也。


 
大倭足日子國押人命おほやまと帶ひこくにおしひとのみこと,坐葛城かづらきむろ秋津嶋宮あきづしまのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな孝安天皇かうあんてんわう。】

 此天皇すめらみこと,娶めひ忍鹿姬命おしか比賣のみこと【○書紀作押媛おしひめ。】
  生御子,大吉備諸進命おほきびもろすすみのみこと
  次,大倭根子日子太瓊命おほやまとねこひこ賦斗邇のみこと【二柱。太瓊ふとに原文ふとに賦斗邇以音。孝靈天皇かうれいてんわう
  故,大倭根子日子太瓊命おほやまとねこひこ賦斗邇のみこと者,しろしめし天下也。

 天皇孝安御年みとし壹佰貳拾參歲ももあまりはたあまりみとせ御陵みさざき,在掖上わきがみ玉手岡上たまてのをかのうへ也。


 
大倭根子日子太瓊命おほやまとねこひこ賦斗邇のみこといまし黑田廬戶宮くろだのいほとのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな孝靈天皇かうれいてんわう

 此天皇すめらみことめとり十市縣主とをちのあがたぬしおや大目おほめむすめ細姬命くはし比賣のみこと
  生御子みこ大倭根子日子國牽命おほやまとねこひこくに玖琉のみこと一柱ひとはしらくる原文くる玖琉以音。】
 又娶春日かすが千千速真若姬ちちはやまわか比賣
  生御子,千千速姬命ちちはや比賣のみこと【一柱。】
 又娶大倭國顯姬命意富夜麻登玖邇阿禮比賣のみこと
  生御子,倭跡迹百襲姬命夜麻登登母母曾毘賣のみこと【○倭跡迹百襲姬やまととももそびめ原文やまととももそびめ夜麻登登母母曾毘賣以音。】
  次,彥刺肩別命日子さしかたわけのみこと
  次,彥五十狹芹彥命比古伊佐勢理毘古のみこと亦名またのな大吉備津彥命おほきびつ日子のみこと【○彥五十狹芹彥ひこいさせりびこ原文ひこいさせりびこ比古伊佐勢理毘古以音。】
  次,倭飛羽矢若屋姬やまととびはやわかや比賣【四柱。】
 又娶其顯姬命阿禮比賣のみこと蠅某弟はへ伊呂杼【○おと原文おと。】
  生御子,彥寤間命日子さめまのみこと【○書紀作彥狹嶋命ひこさしまのみこと。】
  次,若彥武吉備津彥命わか日子建きびつ日子のみこと【二柱。たけ原文書たけ
 此天皇孝靈御子みこ等,あはせ八柱やはしら男王をとこみこ五、女王をみなみこ三。】
  故,大倭根子日子國牽命おほやまとねこひこくに玖琉のみこと者,しろしめし天下也。【○孝元天皇かうげんてんわう
  大吉備津彥命おほきびつ日子のみこと若武吉備津彥命わか建きびつ日子のみこと二柱,相副あひそひ忌瓮いはひへ播磨針間冰河之前ひかはのさき,禮祭神祇,以播磨針間道口みちのくち降服言向やはしき吉備國きびのくに也。かれ,此大吉備津彥命おほきびつ日子のみこと者,吉備上道臣きびのかみつみちのおみおや【○すゑ原文すゑ播磨はりま原文針間はりま降服ことむけ原文言向ことむけ
  次,若彥武吉備津彥命わか日子建きびつ日子のみこと者,吉備下道臣きびのしもつみちのおみ笠臣かさのおみ祖。
  次,彥寤間命日子さめまのみこと者,,播磨牛鹿臣針間のうしかのおみ之祖也。
  次,彥刺肩別命日子さしかたわけのみこと者,高志こし利波臣となみのおみ豐國とよくに國前臣くにさきのおみ五百原君いほはらのきみ角鹿つのが海直あまのあたひおや也。

 天皇孝靈御年みとし壹佰陸歲ももあまりむとせ御陵みさざき,在片岡かたをか馬坂上うまさかのうへ也。



孝元天皇 輕地境原宮跡


矢先稻荷神社 大彥命像


宇智神社
主祭神內臣祖彥太忍信命。


味師內宿禰、武內宿禰盟神探湯
應神朝,甘美內宿禰讒曰:「武內宿禰有窺天下之情。」天皇敕令盟神探湯,以知武內宿禰清白。


武內宿禰肖像
景行帝豐武內宿禰為棟梁臣,則大臣之濫觴。歷事景行、成務、仲哀、應神、仁德五帝,年愈三百。


孝元天皇 劍池嶋上陵


開化天皇 春日率川宮跡
傳春日率川宮跡,在率川神社。


御真津姬命系譜
御真津姬,日本書紀作御間城姬,則大彥命女而崇神帝后。古事記御真津姬有兩人,一者崇神帝妹,一者崇神帝后。或云實為同人。


三神器 天叢雲劍 草薙劍


三神器 八尺瓊勾玉


三神器 八咫之鏡
天照大神賜番能邇邇藝命劍、玉、鏡等三神器,其後天皇代代相傳,以為天璽。南北朝時,亦因南朝保有神器,後世以為正統。


御上神社
彥坐王所娶息長水依姬者,御上神社祭神天之御影神之女。祝者,巫祝等神職之意。


普賢寺大御堂
山城大箇木真若王,其名諱來自地名綴喜,則今京田邊市普賢寺一代。按『和名類聚抄』云「山城國綴喜郡。綴喜,つつき。」


佐那神社
祭神曙立王,伊勢佐那造之祖。


志布比神社
澁見宿禰王奉彥坐王之命,弭平當地逆賊。遂祀於此社。


神谷太刀宮 磐座
祭神四道將軍丹波彥立道主王,傳所配國見之劍亦祀於此。


大日本史略圖會 神功皇后


竹野神社末社 齋宮神社
祭神竹野姬、彥坐王、武豐葉列別王。別為開化天皇之后與子。又億、弘,別有兄、弟之意。


開化天皇 春日率川坂上陵

 大倭根子日子國牽命おほやまとねこひこくに玖琉のみこといましかる堺原宮さかひはらのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな孝元天皇かうげんてんわう

 此天皇すめらみこと,娶穗積臣ほづみのおみ等之おや內色男命うつ色許をのみこといも內色女命うつ許賣のみこと【○しこ原文しこ色許以音,下效此。】
  生御子みこ大彥命おほ毘古のみこと
  次,少彥建豬心命すく名日子たけゐごころのみこと【○少彥建豬心すくなひこたけゐごころ,書紀作少彥男心すくなびこをこころ。】
  次,若倭根子日子大日日命わかやまとねこひこおほ毘毘のみこと三柱みはしら日日びび原文毘毘びび開化天皇かいくわてんわう
 又娶內色男命うつ色許をのみことむすめ伊香色謎命伊迦賀色許賣のみこと【○伊香色謎いかがしこめ原文いかがしこめ伊迦賀色許賣以音。】
  生御子,彥太忍信命比古布都押之まことのみこと【○彥太忍ひこふつおし原文ひこふつおし比古布都押以音。】
 又娶河內かふち青玉あをたまむすめ埴安姬波邇夜須毘賣【○埴安姬はにやすびめ,原文はにやすびめ波邇夜須毘賣以音。】
  生御子,武埴安彥命建波邇夜須毘古のみこと【一柱。武埴安彥命たけはにやすびこ,原文たけはにやすびこ建波邇夜須毘古以音。
 此天皇孝元御子みこ等,并五柱いつはしら
  故,若倭根子日子大日日命わかやまとねこひこおほ毘毘のみこと者,しろしめし天下也。
  其兄大彥命おほ毘古のみこと之子。
   武沼河別命建ぬなかはわけのみこと【此者,阿倍臣あへのおみ等之おや。】
   次,彥稻輿別命比古伊那許士わけのみこと【此者,膳臣かしはてのおみ之祖也。彥稻輿ひこいなこし原文ひこいなこし比古伊那許士以音。
  彥太忍信命比古布都押之まことのみこと,娶尾張連をはりのむらじ等之おや意富那毘おほなび之妹葛城かづらき高千那姬たかちな毘賣
   生子,味師內宿禰うましうちのすくね【此者,山城內臣山代のうちのおみ之祖也。○書紀作甘美內宿禰うましうちのすくね
  彥太忍信命比古布都押之まことのみこと,又娶紀國造木のくにのみやつこ之祖宇豆彥うづ比古之妹山下影姬やましたかげ日賣
   生子,武內宿禰建うちのすくね。此武內宿禰たけうちのすくね之子,并ここのたりをとこ七、をみな二。】
    子,羽田矢代宿禰波多八しろのすくね【此者,羽田臣波多のおみ林臣はやしのおみ波美臣はみのおみ星川臣ほしかはのおみ淡海臣あふみのおみ長谷部君はつせべのきみおや也。羽田矢代はたのやしろ原文波多八代はたのやしろ,下效此。
    次,巨勢雄柄宿禰許せ小からのすくね【此者,巨勢臣許勢のおみ雀部臣さざきべのおみ輕部臣かるべのおみ之祖也。巨勢こせ原文許勢こせ
    次,蘇賀石河宿禰そがのいしかはのすくね【此者,蘇我臣そがのおみ川邊臣かはべのおみ田中臣たなかのおみ高向臣たかむくのおみ小治田臣をはりだのおみ櫻井臣さくらゐのおみ岸田臣きしだのおみ等之祖也。】
    次,平群木菟宿禰へぐりの都久のすくね【此者,平群臣へぐりのおみ佐和良臣さわらのおみ馬御樴連うまみくひのむらじ等祖也。木菟つく原文つく都久以音。
    次,紀角宿禰木のつののすくね【此者,紀臣木のおみ角臣都奴のおみ坂本臣さかもとのおみ之祖。原文つぬ原文つぬ都奴以音。
    次,久米能摩伊刀姬くめのまいと比賣
    次,怒能伊呂姬ののいろ比賣
    次,葛城長江襲津彥かづらきのながえの曾都毘古【此者,玉手臣たまてのおみ的臣いくはのおみ生江臣いくえのおみ阿藝那臣あぎなのおみ等之祖也。】
    又,若子宿禰わくごのすくね江野財臣えのたからのおみ之祖。】

 此天皇孝元御年みとし伍拾柒歲いあまりななとせ御陵みさざき,在劍池つるぎいけ中岡上なかのをかのうへ也。


 
若倭根子日子大日日命わかやまとねこひこおほ毘毘のみこといまし春日かすが率河宮伊耶かはのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな開化天皇かいくわてんわう

 此天皇すめらみことめとり丹波旦波大縣主おほあがたぬし由碁理ゆごりむすめ竹野姬たかの比賣【○丹波たには原文旦波たには。】
  生御子みこ彥湯產隅命比古由牟須美のみこと【○彥湯產隅ひこむすみ原文ひこむすみ比古由牟須美以音。】
 又娶庶母ままはは伊香色謎命伊迦賀色許賣のみこと
  生御子,御真木入日子五十瓊殖命みまきいりひこ印惠のみこと【○五十瓊殖いにゑ原文いにゑ印惠以音。崇神天皇すうじんてんわう。】
  次,御真津姬命みまつ比賣のみこと二柱ふたはしら。】
 又娶和邇臣丸邇のおみおや彥國億計都命日子くに意祁つのみこといも億計都姬命意祁つ比賣のみこと【○億計おけ原文意祁おけ者大也、長也。與相對。】
  此生御子,彥坐王日子いますのみこ
 又娶葛城かづらき垂見宿禰たるみのすくね之女鸇姬わし比賣
  生御子,武豐葉列別王建とよ波豆羅和氣のみこ【一柱。葉列別はづらわけ原文はづらわけ波豆羅和氣以音。】
 此天皇開化之御子等,あはせ五柱。男王をとこみこ四、女王をみなみこ一。】

  故,御真木入日子五十瓊殖命みまきいりひこ印惠のみこと者,しろしめし天下也。
  其兄そのえ彥湯產隅王比古由牟須美のみこ
   子,大筒木垂根王おほつつきたりねのみこ
   次,讚岐垂根王さぬきのたりねのみこ。此二王之むすめ五柱いつはしら坐也。

  次,彥坐王日子いますのみこ山城山代荏名津姬えなつ比賣。亦名,苅幡戶辨かりはたとべ【○山城やましろ原文山代やましろ。】
   生子,大俣王おほまたのみこ
   次,小俣王をまたのみこ
   次,澁見宿禰王志夫美のすくねのみこ三柱みはしら澁見しぶみ原文志夫美しぶみ
  彥坐王ひこいますのみこ又娶春日建國勝戶女かすがのたけくにかつと賣むすめ狹穗大闇見戶女沙本之おほくらみと賣【○狹穗さと原文沙本さほ,下效此。】
   生子,狹穗彥王沙本毘古のみこ
   次,小狹穗王袁耶本のみこ【○小狹穗をざほ原文をざほ袁耶本以音。】
   次,狹穗姬命沙本毘賣のみこと。亦名,佐波遲姬さはじ比賣【此狹穗姬命沙本毘賣のみこと者,為活目伊久米天皇垂仁きさき。】
   次,室彥王むろ毘古のみこ四柱よはしら。】
  彥坐王又娶近江近淡海御上みかみはふり之所齋祭伊都玖天之御影神あめのみかげのかみむすめ息長水依姬おきながのみづより比賣【○近江ちかあふみ原文近淡海ちかあふみ齋祭いつく原文いつく伊都玖以音。御上みかみ,近江野洲郡三上之御上神社。】
   生子,丹波彥立道主王たには比古多多須美知能宇斯のみこ【○彥立道主王比古多多須美知能宇斯原文ひこたたすみちのうす比古多多須美知能宇斯以音。】
   次,瑞穗真若王水穗之まわかのみこ【○瑞穗みづほ原文水穗みづほ,下效此。】
   次,神大根王かむおほねのみこ。亦名八爪入彥王やつめいり日子のみこ
   次,瑞穗五百依姬水穗のいほより比賣
   次,御井津姬みゐつ比賣【五柱。】
  彥坐王又娶其母妹ははの弟弘計都姬命袁祁都比賣のみこと
   生子,山城大箇木真若王山代之おほつつきのまわかのみこ
   次,彥意須王比古おすのみこ
   次,伊理泥王いりねのみこ【三柱。此二王名以音。】
  凡彥坐王日子いますのみこ之子,并十一王。【○按上文舉彥坐王子,計十五人。而諸本皆書十一人,於數不合。或云狹穗彥王さほびこのみこ以下四人不計。未詳,仍まつかむがふる。】

   故,大俣王おほたまのみこ
    子,曙立王あけたつのみこ
    次,菟上王うなかみのみこ【二柱。】此曙立王者,伊勢いせ品遲部君ほむぢべのきみ、伊勢之佐那造さなのみやつこおや。菟上王者,姬陀君比賣だのきみ之祖。
   次,小俣王をまたのみこ者,當麻勾君たぎまのまがりのきみ之祖。
   次,澁見宿禰王志夫美のすくねのみこ者,佐佐君ささのきみ之祖也。
   次,狹穗彥王沙本毘古のみこ者,日下部連くさかべのむらじ甲斐國造かひのくにのみやつこ之祖。
   次,小狹穗王袁耶本のみこ者,葛野之別かづののわけ近江蚊野之別近淡海のかののわけ祖也。
   次,室彥王むろ毘古のみこ者,若狹之耳別わかさのみみのわけ之祖。

   其道主王美知能宇斯のみこ,娶丹波たには河上之摩須郎女かはかみのますのいらつめ
    生子,日葉酢姬命比婆須比賣のみこと【○日叶酢姬ひばすひめ原文ひばすひめ比婆須比賣以音。】
    次,圓野姬命真砥の比賣のみこと【○まと原文まと真砥以音。】
    次,弟姬命おと比賣のみこと
    次,朝廷別王みかどわけのみこ【四柱。】此朝廷別王者,三川之穗別みかはのほのわけ之祖。
   此道主王美知能宇斯のみこおと瑞穗真若王水穗之まわかのみこ者,近江近淡海安直やすのあたひ之祖。
   次,神大根王かむおほねのみこ者,美濃國三野のくに本巢國造もとすのくにのみやつこ長幡部連ながはたべのむらじ之祖。【○美濃みの原文三野みの。】

   次,山城大箇木真若王山代之おほつつきのまわかのみこ,娶同母妹いろど伊理泥王いりねのみこむすめ丹波味澤姬たには能阿治佐波毘賣【○同母妹いろど原文同母弟いろど味澤姬あぢさはびめ原文あぢさはびめ阿治佐波毘賣以音。】
    生子,迦邇米雷王かにめいかづちのみこ。此王,めとり丹波之遠津臣とほつおみむすめ高材姬たかき比賣
     生子,息長宿禰王おきながのすくねのみこ。此王娶葛城かづらき高額姬たかぬか比賣【○同母妹いろど原文同母弟いろど。】
      生子,息長足姬命おきなが帶比賣のみこと【○。たらし原文たらし神功皇后じんぐうくわうごう。】
      次,虛空津姬命そらつ比賣のみこと
      次,息長彥王おきなが日子のみこ【三柱。此みこ者,吉備品遲君きびのほむぢのきみ播磨針間阿宗君あそのきみ之祖。】
     又,息長宿禰王おきながのすくねのみこ,娶河俣稻依姬かはまたのいなより比賣
      生子,大多牟坂王おほたむさかのみこ【此者,但馬國造多遲摩のくにのみやつこ之祖也。但馬たぢま原文但馬たぢま
  かみ所謂いへる武豐葉列別王建とよ波豆羅和氣のみこ者,道守臣ちもりのおみ忍海部造おしぬみべのみやつこ御名部造みなべのみやつこ稻羽忍海部いなばのおしぬみべ丹波之竹野別たにはのたかののわけ依網之我孫よさみの阿毘古等之祖也。【○我孫あびこ,原文我孫あびこ以音。】

 天皇開化御年みとし陸拾參歲むそあまりみとせ御陵みさざき,在率河之坂上伊耶かはのさかのうへ也。【○いざ,原文いざ伊耶以音。】

三、疾疫流行與敬神祭祀

 御真木入日子五十瓊殖命みまきいりひこ印惠のみこと,坐磯城瑞垣宮師木水かきのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな崇神天皇すうじんてんわう五十瓊殖いにゑ原文印惠いにゑ磯城瑞垣しきのみづかき原文師木水垣しきのみづかき。】

 此天皇すめらみことめとり紀國造木のくにののみやつこ荒河刀辨あらかはとべむすめ遠津年魚目目微姬とほつあゆめまぐはし比賣刀辨とべ以音,與戶畔とべ同。】
  生御子みこ豐木入彥命とよきいり日子のみこと
  次,豐鉏入姬命とよすきいり日賣のみこと【二柱。】
 又娶尾張連をはりのむらじおや大海姬意富阿麻比賣【○大海姬おほあまひめ原文おほあまひめ意富阿麻比賣以音。】
  生御子,大入杵命おほいりきのみこと
  次,八坂入彥命やさか之いり日子のみこと
  次,沼名木入姬命ぬなき之いり日賣のみこと
  次,十市入姬命とをち之いり日賣のみこと【四柱。】
 又娶大彥命おほ毘古のみことむすめ御真津姬命みまつ比賣のみこと
  生御子,活目入日子五十狹茅命伊玖米いりびこ伊沙知のみこと【○活目入日子五十狹茅いくめいりびこいさち原文伊玖米入彥伊沙知いくめいりびこいさち垂仁天皇すいにんてんわう。】
  次,五十狹真若命伊耶能まわかのみこと【○五十狹真若いざのまわか原文伊耶能真若いざのまわか。】
  次,國片姬命くにかた比賣のみこと
  次,千千衝和姬命ちち都久やまとの比賣のみこと【○つく原文つく都久以音。書紀有千千衝倭姬命ちちつくやまとひめのみこと,則やまと不當訓,原文書つくわ都久和三字以音者蓋よこなまれり。】
  次,伊賀姬命いが比賣のみこと
  次,倭彥命やまと日子のみこと六柱むはしら。】
 此天皇崇神御子みこ等,并十二柱とあまりふたはしら男王をとこみこ七,女王をみなみこ五也。】

  故,活目入日子五十狹茅命伊久米伊理毘古伊佐知のみこと者,しろしめす天下也。
  次,豐木入彥命とよきいり日子のみこと者,上毛野かみつけの下毛野君しもつけののきみ等之おや也。
  いも豐鉏入姬命とよすきいり日賣のみこと者,拜祭をかみまつりき伊勢大神いせのおほかみみや也。【○初代齋宮いつきのみや,奉天照大神於やまと笠縫邑かさぬひのむら。】
  次,大入杵命おほいりきのみこと者,能登臣のとのおみ之祖也。
  次,倭彥命やまと日子のみこと此王このみこ之時,はじめて人垣ひとがきはか殉葬したがひしぬること濫觴。

 此天皇崇神御世みよ疫病えやみ多起あまたおこり人民おほみたから為盡つきむとしき【○疫病えやみ原文作役病えやみ。】
 爾,天皇崇神愁歎うれへなげきいまし神牀かむどこ大物主大神おほものぬしのおほかみあらはれ御夢みいめ曰:「是疫疾者,我之御心みこころ所以。故若以大田田根子意富多多泥古而令祭我前あがまへ者,神氣かみのけ不起おこらず國亦くにもまた安平やすらけくたひらき!」是以,あかち驛使はゆまづかひ四方よももとめ大田田根子意富多多泥古。時於河內かふち美努村みののむら覓得見得其人貢進たてまつりき【○神牀かむどこ,齋戒求神託夢之寢所。神氣かみのけ,神祟之疫氣ときのけ大田田根子おほたたねこ原文おほたたねこ意富多多泥古以音。】
 爾天皇崇神問賜之とりたまはく:「なむち誰子たがこ也?」答白:「曩昔大物主大神おほものぬしのおほかみめとり陶津耳命すゑつみみのみことむすめ活玉依姬いくたま毘賣,生子櫛御方命くしみかたのみこと其子飯肩巢見命いひかたすみのみこと其子曾孫建甕槌命たけみかづちのみことやつかれ者,建甕槌命之子玄孫大田田根子意富多多泥古也。」
 於是ここに天皇すめらみこと大歡おほきによろこび詔之のりたまはく:「天下あめのしたたひらぎ人民おほみたからさかえむ!」すなはち大田田根子命意富多多泥古のみこと神主かむぬし拜祭をろがみまつりき大三輪意富美和大神おほかみまげ御諸山みもろやま【○大三輪おほみわ原文おほみわ意富美和以音。御諸山みもろやま三輪山みわのやま。】

 又,おほせ伊香色男命伊迦賀色許をのみこと,作天八十平瓮あめ之やそ毘羅訶定奉さだめまつりき天神あまつかみ地祇くにつかみやしろ【○いかがしこ伊迦賀色許原文いかがしこ伊迦賀色許以音。平瓮びらか原文びらか毘羅訶以音。】
 又,まつりき赤色あかきいろたてほこ宇陀うだ墨坂神すみさかのかみ。祭黑色くろきいろ楯、矛於大坂神おほさかのかみ
 又,たてまつりき幣帛みてぐら於八百萬神,縱令每さか御尾、每河之瀨かはのせことごとく遺忘のこりわするること也。【○みを原文御尾みを,稜線、盡頭。,川淺湍急之處。此云土地河海之端。】
 より此而,疫氣えのけやみ國家くに安平也。

 此いふ大田田根子意富多多泥古所以ゆゑしりし神子かみのこ者。上所云かみにいへる活玉依姬いくたま毘賣,其容姿かたち端正きらぎらし,甚有國色。於是,有壯夫をとこ夜半よなか之時,儵忽たちまち到來きたりぬ。其形姿かたち威儀よそほひ於時ときに無比たぐひなし。故相感あひめでて共婚ともにあひ供住之間ともにすめるあひだ未經いまだへぬいくばくとき美人をとめ妊身はらみき
 爾父母ちちははあやしび妊身之事はらめること,問其むすめ曰:「汝者おのづからはらめり無夫をなき何由なにのゆゑ妊身はらめる乎?」答曰:「有麗美うるはしき壯夫をとこ每夕ゆひごと到來きたり不知しらずかばねともに住之間,自然おのづから懷妊はらめり。」
 ここ以其父母,おもひ知其人,をしへ其女白:「以赤土あかきつちちらし床前とこのまへ,以閉蘇紡麻うみをぬきはりさせ衣襴きぬのすそ。」活玉依姬ごとく教行之,旦時あした見者みれば所著つけたるはり者,自より戶之鉤穴かぎあな控通ひきとほりいでただ遺麻のこれるを者,僅三勾みわのみ。爾即しり自鉤穴出之かたち,而したがひいと尋行者たづねゆけば,至三輪山美和のたまとどまりき神社かむのやしろ【○大神神社みわのかむやしろ。】
 故,知其神子かみのこ。故,因其のこり三勾みわ,而なづけ其地謂三輪美和也。【此大田田根子命意富多多泥古のみこと者,神君みわのきみ鴨君かものきみ之祖。へそ原文へそ閉蘇以音。

 又此天皇崇神之御世,大彥命おほ毘古のみことつかはし高志道こしのみち,其子武沼河別命建ぬなかはわけのみこと者遣東方ひむかしのかた十二道とをあまりふたつのみち,而令和平やはしたひらげしめき不從人等麻都漏波奴ひとども【○不從まつろはぬ原文まつろはぬ麻都漏波奴以音,まつろはぬ。】
 又彥坐王日子いますのみこ者遣丹波國旦波のくに令殺ころさしめき陸耳御笠玖賀みみ之みかさ【此人名ひとのな者也。くが原文くが玖賀以音。】

 故大彥命おほ毘古のみこと罷往まかりゆき高志國越國之時,きたる腰裳こしも少女をとめ,立山城山代幣羅坂へらさか而歌曰:

 於是,大彥命おほ毘古のみことあやしかへしうま問其少女をとめ曰:「なむひ所謂之言いへること何言なにのこと?」少女をとめ答曰:「あれ勿言いふことなし何。ただ詠歌うたをうたはむのみ。」言畢,すなはち不見其所如ゆくへ忽失たちまちにうせにき
 故大彥命おほ毘古のみこと便すなはち還參上かへりまゐのぼりまをし天皇すめらみこと。時天皇崇神詔之のりたまはく:「此者,あらく山城國山代のくに我之庶兄ままね武埴安王建波邇安のみこ,起邪心あしきこころしるしのみ伯父をぢ,宜興軍いくさをおこいしゆく。」即そへ和邇臣丸邇のおみ之祖彥國葺命日子くに夫玖のみこと而遣時,即於和邇坂丸邇のさか忌瓮いはひへ,祭神而罷往まかりゆきき【○彥國葺ひこくにふく原文日子國夫玖ひこくにふく。】

 於是,到山城山代輪韓河和訶羅がは時,其武埴安王建波邇安のみこ興軍いくさをおこし待遮まちさへきおのおのなかにはさみ河而對立むちたち相挑あひいどみき。故號其地謂伊杼美【今謂伊豆美也。輪韓わからわから和訶羅いどみいどみ伊杼美いづみいづみ伊豆美
 爾彥國葺命日子くに夫玖のみことこひ云:「其廝人そなたのひとまづ忌矢いはひや可彈はなつべし!」しかくし,其武埴安王建波邇安のみこ雖射いれども不得えずあつること於是ここに國葺命くに夫玖のみことはなて矢者,即射武埴安王建波邇安のみこしにき。故其軍そのいくさやぶれ逃散にげちりき【○其廝そなた原文其廂そなた。】
 爾,追迫おひせめ逃軍にぐるいくさ,到樟葉度久須婆之わたり時,みな迫窘せめたしなめ屎出くそいでかかりきはかま。故號其地謂屎褌くそばかま【今者謂樟葉久須婆樟葉くすば原文くすば久須婆以音。又,さへ其逃軍以斬者きれば,如うきき於河。故號其河謂鵜河うかは也。亦斬溢きり波布理軍士いくさ,故號其地謂祝園波布理曾能。故大彥命おほ毘古のみこと如此かく平訖たひらげをはり,而參上まゐのぼり覆奏かへりことまをしき【○はふり原文はふり波布理以音,祝園はふりその原文はふりその波布理曾能以音,或書羽振苑はふりその。】

 故,大彥命おほ毘古のみこと者,まにまに先命さきのみこと罷行まかりゆきき高志國こしのくに
 爾,自東方ひむかしのかた所遣武沼河別建ぬなかはわけ其父そのちち大彥おほ毘古ともに往遇ゆきあひき相津あひつ,故其地そこ相津あひき也。是以,おのおのやはしたひらげ所遣之國政つかさえしくにのまつりごと覆奏かへりことまをしき
 爾,天下あめのした太平おほきにたひらぎ人民おほみたから富榮とみさえき。於是,はじめて令貢たてまつらしめき男弓端之調をとこのゆはずのつき女手末之調をみなのたなすゑのつき。故たたへ崇神御世みよ,謂:「馭肇國所知初國御真木みまき天皇すめらみこと也!」【○馭肇國はつくにをしらす原文所知初國はつくにをしらす,則初國はつくにらす也。男弓端ゆはず之調、女手末たなすゑ之調,男子狩獵所獲,女子烹飪所成之調つき。】
 又是之この御世,作依網池よさみのいけ,亦作かる酒折池さかをりのいけ也。

 天皇崇神御歲みとし壹佰陸拾捌歲ももあまりむそあまりやとせ戊寅年つちのえとらのとし十二月しはすかむあがり。】御陵みさざき,在山邊道やまのへのみち勾之岡上まがりのをかのうへ也。



崇神天皇 磯城瑞籬宮址
御真木入日子五十瓊殖命,坐磯城瑞垣宮。覺夢敬神,故謚崇神。


大神神社末社 豐鍬入姬宮
崇神帝漸畏神威,故豐鉏入姬命自宮中遷天照大神,祀於倭笠縫邑。


崇神帝皇子 大入杵命墓
大入杵命,能登臣之祖也。


倭彥命 身狹桃花鳥坂墓
倭彥命薨,集近習者殉之。晝夜泣吟,遂死而爛臰。是陪葬之始。


元伊勢 檜原神社
豐鉏入姬祀天照大神於倭笠縫邑,為初代齋宮。後倭姬命遍求宮地,遂立皇太神宮於伊勢。


大和國一宮 大神神社 拜殿
大神神社神體即三輪山,無本殿。


大和國一宮 大神神社 三輪山
御諸山即三輪山,是為神奈備山。


墨坂神社
天皇祭赤色楯、矛於宇陀墨坂神。


大神神社 手水舍
三輪大物主神大神,其形為蛇。


狹井神社 三輪山登拜口


幣羅坂 幣羅坂神社

幣羅坂少女諭歌:「御真木入日子矣 御真木入日子矣 不知己命危 賊將竊弒吾君命 賊自後戶入 錯身相過避人目 賊自前戶入 錯身相過避人目 竊兮窺伺者 不知人圖謀 御真木入日子矣


輪韓河 和訶羅河 木津川


彥國葺命 武埴安彥破斬舊跡


祝園 羽振苑 祝園神社


依網池跡碑


崇神天皇 山邊道勾岡上陵


垂仁天皇 纏向珠城宮跡
磯城玉垣宮,書紀作纏向珠城宮。


日葉酢媛命陵
日葉酢媛皇后,即景行帝之母。


倭姬命 齋王像
倭姬命皇女,為御杖代,創建伊勢神宮,祭祀天照大神。


息速別命墓
息速別命,亦稱阿保親王。狹穗穴太部別、阿保朝臣之祖。


月宮迎 輝夜姬
輝夜姬即竹取物語主角。曾祖母竹野姬、父大筒木垂根王、叔讚岐垂根王等皆與竹取物語似有關連。


菟砥川上宮舊跡碑
五十瓊敷入彥命坐鳥取川上宮,令作橫刀,奉納石上神宮。


五十鈴川 伊勢神宮
倭姬命創建伊勢神宮於五十鈴川。


伊勢神宮 皇大神宮正宮
伊勢神宮內宮,祀天照大御神。


狹岡神社 狹穗姬傳承鏡池
傳狹穗姬所以洗濯、映姿之池。


錦色小蛇
垂仁帝夢兆,有錦色小蛇繞于頸,復大雨從狹穗發而濡面。


小刀 短刀
紐小刀即繫繩之短刀。


狹岡神社 狹穗姬傳承地舊址


黑髮山神社
傳狹穗姬埋藏剃髮之地。狹穗姬知帝有奪后之志,遂剃髮覆頭,腐玉緒、御衣,令力士等不得獲之。


火中稻城與狹穗姬 大日本名將鑑

四、狹穗彥王謀反

 活目入日子五十狹茅命伊久米伊理毘古伊佐知のみこと,坐磯城玉垣宮師木たまきのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな垂仁天皇すいにんてんわう。】

 此天皇すめらみことめとり狹穗彥命沙本毘古のみこといも佐波遲姬命さはじ比賣のみこと【○狹穗姬命沙本毘賣のみこと狹穗さほ原文さほ沙本以音。】
  生御子みこ譽津別命品牟都和氣のみこと【一柱。譽津別ほむつわけ原文品牟都和氣ほむつわけのみこと以音。
 又娶丹波彥立道主王旦波比古多多須美知宇斯のみこむすめ日葉酢姬命冰羽州比賣のみこと【○丹波たには原文旦波たには彥立道主ひこたたすみちのうす日葉酢姬ひばすひめ原文ひこたたすみちのうす比古多多須美知宇斯ひばすひめ冰羽州比賣以音。】
  生御子,五十瓊敷入彥命印色之いり日子のみこと【○五十瓊いにゑ原文印色いにゑ。】
  次,大足日子忍代別命おほ帶ひこ淤斯呂和氣のみこと【○たらし忍代別おしろわけ原文たらしおしろわけ淤斯呂和氣以音。景行天皇けいかうてんわう
  次,大中津彥命おほなかつ日子のみこと
  次,倭姬命やまと比賣のみこと
  次,若木入彥命わかきいり日子のみこと【五柱。】
 又,娶其日葉酢姬命冰羽州比賣のみこと沼羽田入姬命ぬばた之いり毘賣のみこと
  生御子,沼足別命ぬ帶わけのみこと
  次,伊香足彥命伊賀帶日子のみこと【二柱。伊香いがたらし原文伊賀帶いがたらし
 又,娶其沼羽田入姬命ぬばた之いり毘賣のみこと薊入姬命阿耶美能伊理毘賣のみこと【○薊入あざみのいり原文あざみのいり阿耶美能伊理以音。おと原文おと。】
  生御子,息速別命伊許婆夜和氣のみこと【○息速別いこはやわけ原文いこはやわけ伊許婆夜和氣以音。】
  次,薊津姬命阿耶美都比賣のみこと【二柱。】
 又,娶大筒木垂根王おほつつきたりねのみこ之女輝夜姬命迦具や比賣のみこと【○輝夜かぐや原文かぐや迦具夜以音。】
  生御子,袁耶辨王おざべのみこ【一柱。】
 又,娶山城山代大國之淵おほくにのふち之女刈羽田刀辨かりはたとべ
  生御子,落別王おちわけのみこ
  次,五十日足彥王いか帶日子のみこ
  次,伊登志別王いとしわけのみこ
 又,娶其大國之淵おほくにのふち之女弟刈羽田刀辨おとかりはたとべ
  生御子,石衝別王いはつくわけのみこ
  次,石衝姬命いはつく毘賣のみこと,亦名兩道入姬命布多遲能伊理毘賣のみこと【二柱。兩道入姬ふたぢのいりびめ原文ふたぢのいりびめ布多遲能伊理毘賣以音
 凡此天皇垂仁御子みこ等,十六王とあまりむはしらのみこ男王をとこみこ十三,女王をみなみこ三。】

  かれ大足日子忍代別命おほ帶ひこ淤斯呂和氣のみこと者,しろしめす天下也。御身長みみのたけ一丈ひとつゑ二寸ふたき御脛長みはぎのなが四尺よさか一寸ひとき也。】
  次,五十瓊敷入彥命印色いり日子のみこと者,つくり血沼池ちぬのいけ,又作狹山池さやまのいけ,又作日下くさか高津池たかつのいけ。又,いまし鳥取ととり河上宮かはかみのみや令作つくらしめき橫刀たち壹仟口ちふり。是奉納まつりいれ石上神宮いそのかみのかむみや。即坐其宮石上さだめき河上部かはかみべ也。
  次,大中津彥命おほなかつ日子のみこと者,山邊別やまのへ之わけ三枝別さきくさ之わけ稻木別いなき之わけ阿太別あだ之わけ尾張國三野別をはりのくに之みののわけ吉備石無別きび之いはなしのわけ舉母別許呂母之わけ高巢鹿別たかすか之わけ飛鳥君あすかのきみ牟禮別むれ之わけおや也。【○舉母ころも原文許呂母ころも。】
  次,倭姬命やまと比賣のみこと者,拜祭をろがみまつりき伊勢大神宮いせのおほかみのみや也。【○二世齋宮いつきのみや,興磯宮いそのみや五十鈴川いすずのかは上。】
  次,息速別王伊許婆夜和氣のみこ者,狹穗穴太部別沙本のあなほべ之わけ祖也。
  次,薊津姬命阿耶美都比賣のみこと者,あひき稻瀨彥王いなせ毘古のみこ
  次,落別王おちわけのみこ者,小月之山君をつきのやまのきみ三川之衣君みかはのころものきみ之祖。
  次,五十日足彥王いか帶日子のみこ者,春日山君かすがのやまのきみ高志池君こしのいけのきみ春日部君かすがべのきみ之祖。
  次,伊登志別王いとし和氣のみこ者,より無子こなきさだめき伊登志部いとしべ子代こしろ【○子代こしろ,皇子無子,設之以傳其名之部民。】
  次,石衝別王いはつくわけのみこ者,羽咋君はくひのきみ三尾君みをのきみ之祖。
  次,兩道入姬命布多遲能伊理毘賣のみこと者,為倭武命やまと建のみこときさき【○倭武やまとたける原文倭建やまとたける。】

 此天皇垂仁,以狹穗姬沙本毘賣きさき之時,狹穗姬沙本毘賣之兄狹穗彥王沙本毘古のみこ包藏禍心,問其胞妹伊呂も曰:「うるはしみいづれか勝歟?」后不察其衷答曰:「愛兄せをうるはしみす。」爾狹穗彥王沙本毘古のみこはかり曰:「汝まこと思愛我者,あれなむちをさめむ天下あめのした!」すなはち八鹽折やしほをり紐小刀ひもかたなさづけ其妹曰:「以此小刀,刺殺さしころせ天皇垂仁いねたる!」【○いろ原文いろ伊呂以音,同母兄妹。八鹽折やしほをり,此云一再鍛煉。】
 故,天皇すめらみこと不知しらずはかりこと,而まき其后狹穗姬ひざ,為御寢みね也。爾,其后狹穗姬,以紐小刀,將刺ささむ天皇之御頸みくび。然三度みたびふり刀,卻不忍たへず哀情かなしきこころ不能あたはず刺頸而啜泣なく,其なみた落溢おちあぶれき於天皇御面みおもてすなはち天皇驚起おどろきおきとひ其后狹穗姬曰:「吾見異夢けしきいめより狹穗沙本かた暴雨はやさめ零來ふりきにはかぬらしき吾面あがおもて。又錦色にしきのいろ小蛇ちひさきへみ纏繞まつはりきくび如此かくいめこれ何表なにのしるし也?」
 爾其后狹穗姬以為おもひ不應爭あらそふべくあらず,即まをし天皇垂仁言:「妾兄あがせ狹穗彥王沙本毘古のみこ問妾曰:『孰うるはしみす夫與兄?』かく不勝たへぬ面問まのあたりとふ,故答曰:『愛兄。』爾あとらへ妾曰:『吾與汝,ともに治天下。故當殺ころすべし天皇すめらみこと!』云而,つくり八鹽折之紐小刀,さづけき妾。是以,おもふ刺御頸。雖舉ふれども三度,哀情忽起やちまちおこり不得えず刺頸,而泣淚なくなみた落沾おちぬらしき御面みおもてかならず是表このしるし兆焉。」爾天皇垂仁詔之のりたまはく:「あれほとほと見欺乎あざむかえつるかも!」乃興軍いくさをおこしうたむ狹穗彥王沙本毘古のみこ。時其王狹穗彥,作稻城いなき待戰まちたたかひき
 此時,狹穗姬命沙本毘賣のみこと惻隱情湧, 不忍たふることえず其兄そのせ,自後門しりつと逃出にげいで,匿いりき稻城いなき。此時,其后妊身はらめり。於是,天皇垂仁不忍たへず其后懷妊はらめる,及念愛重いつくしみおもみ至于いたれる三年みとせ,故めぐらしいくさ不急攻迫すむやけくはせめず【○愛重いつくしみおもみ,愛其為妻,敬其為后。念及三年情分之狀。めぐらし,此云圍攻。】
 如此かく逗留之間とどまれるあひだ,其所妊之御子はらめるみこ既產すでにうみき。故いだし御子譽津別王おき稻城令白まをさしめし天皇:「もし思看おもほしめさば御子みこ,以為天皇之御子者,可取育治賜をさめたまふ。」於是ここに天皇垂仁詔:「雖怨うらむれども其兄そのせなほ不忍うつくしぶる后之情也。」故すなはち奪返后之。是以選聚えりあつめ軍士之中いくさのなか力士ちからひと輕捷かるくはやき者,のりたまひ誡:「とらむ其御子之ときすなはち掠取かすみとれ母王ははみこもしかみ、或,當まにまに取獲とりえむつかみ控出ひきいだす!」【○治賜をさめたまふ,使事物為所當然之狀,此云迎入。こころ原文こころ。】
 爾,其后狹穗姬あらかじめ宸慮其情ことごとくそりかみ,以髮おほひかしら。亦くたし玉緒たまのを三重みへまき手。且以さけ御衣みけしきたり全衣またききぬ如此かく設備まうけそなへむだき御子みこ指出刺いだき城外きのと【○宸慮しんりょ原文其情そのこころ。】
 爾,其力士等ちからひとども,取其御子譽津別王,即御祖。然とれ其髮者,御髮自落おのづからおち。握其手者,玉緒且絕またたえ。握其衣者,御衣便破すなはちやれぬ。是以雖取獲とりえ其御子,不得其御祖【○おも原文御祖みおや。】
 故,其軍士等いくさども還來かへりき奏言をましていひ:「御髮自落,御衣易破やすくやれ,亦所纏まける御手之玉緒便絕すなはちたえぬ。故不獲えず母后御祖取得とりえたり御子のみ。」爾天皇垂仁悔恨くいうらみ,遂にくみ作玉人等たまをつくりしひとども,皆奪取うばひとりき其地そのところ。故ことわざ曰:「不得えぬところ玉作たまつくり也。」
 亦天皇垂仁命詔みことのりきさき言:「おほそ子名必由母なづくるいかにかいはむ是子このこ御名みな?」爾こたへ白:「今當やく稻城いなき之時,於火中ほなか所生うめるゆゑ其御名,宜稱いふべし譽智別王本牟智和氣御子譽智別ほむちわけ原文ほむちわけ本牟智和氣火貴別ほむちわけ也。前文書譽津別ほむつわけまた命詔:「何為いかにし養育之日足奉養育そたち原文日足ひたし,充足成長所需日數,即哺育幼兒之意。」答曰:「とり乳母御母以哺之。宜さだめ大湯坐おほゆゑ若湯坐わかゆゑ,而哺育之日足奉。」故まにまに其后白,哺育日足奉也。
 又,問其后狹穗姬曰:「汝所瑞小佩美豆能をおび者,誰解たれかとかむみづの,原文みづの美豆能以音。つなぎ原文かためたる」答曰:「丹波彥立道主王旦波比古多多須美知宇斯のみこむすめ兄姬え比賣弟姬おと比賣茲二このふたはしら女王をみなみこ,志並貞潔,淨公民きよきおほみたから也。故宜使也つかふべし。」しかれどもつひころしき狹穗彥王沙本毘古のみこ,其胞妹伊呂も狹穗姬沙本毘賣亦從也またしたがひき


譽津別王聞鵠聲而始語
譽津別王,至鬍鬚垂胸,不能言語。聞鵠聲始言。


大鶙追鵠巡國經路


出雲大神 大國主神結緣御神像
譽津別王長而不能言語,依夢告、卜食,則蒙大國主神之祟也。


出雲大社 拜殿


出雲大社 本殿暨八腳門


出雲大社 本殿
曙立王、菟上王副譽津別王拜訖大國主大神,譽津別王遂能言語。


肥河 斐伊川河口
肥長姬憂悲,自船光海原追來。


非時香菓 橘
非時木實,四季皆產之果實。


垂仁天皇陵陪塚 田道間守墓


菓祖神田道間守命御塚拜所


垂仁天皇 菅原伏見東陵

 故,天皇垂仁率遊ゐてあそびき御子譽津別王かたち者,乃斲尾張をはり相津あひづ二俣榲ふたまたすぎ,作二俣小舟ふたまたをぶねもち上來のぼりき,令うけやまと市師池いちしのいけ輕池かるのいけ,以為遊宴。
 しかくし是御子このみこいたる八拳鬚やつかひげ垂于胸前心さき,而不能言語真言登波受。故,今聞高往たかくゆくくぐひおとはじめ牙牙學語阿藝登比。爾天皇つかはし山邊やまのへ大鶙おほたか【此者人名ひとのな不能言語まこととはず原文真事とはずまこと登波受,則真言問まこととはず。牙牙學語あぎとひ,原文あぎとひ阿藝登比,則顎問あぎとひ。令取とらしめきとり
 故,是人大鶙追尋おひたづねくぐひ,自紀伊國木のくに播磨國針間のくに,亦追越おひこえ稻羽國因幡のくにすなはち丹波國旦波のくに但馬國多遲麻のくに追迴おひめぐり東方ひむかしのかた,到近江國ちかつ淡海のくにすなはち美濃國三野のくに,自尾張國をはりのくにつたひ以追信濃國科野のくにつひ追到高志國こしのくに而於罠網和那美水門みなと張網あみをはり其鳥而持上もちのぼりたてまつりき。故なづけ其水門,謂罠網和那美之水門也。【○罠網わなみ原文わなみ和那美以音,取張網設罠之意。稻羽いなば高志こし因幡いなばこし紀伊播磨はりま丹波たには但馬たぢま近江ちかつあふみ美濃みの信濃しなの,原文針間はりま旦波たには多遲麻たぢま近淡海ちかつあふみ三野みの科野しなの。】

 亦,宸慮:「皇子譽津別王見其とり者,於おもひし物言ものいはむ。」然あらず如思おもひしがごとくなし物言ものいふこと於是ここに天皇垂仁うれへ賜而御寢みね之時,さとし御夢みいめ曰:「修理つくろひ我宮あがみや,如天皇すめらみこと御舍みあらか者,御子譽津別王能知言真事登波牟!」如此かく覺時,太占布斗摩邇占相うらなひもとめし何神いづれのかみこころ爾祟そのたたり出雲大神いづものおほかみ御心みこころ【○能知言まこととはむ原文真事とはむまこと登波牟,則真言問はむまこととはむ。太占ふとまに原文ふとまに布斗摩邇以音。出雲大神いづものおほかみ大國主命おほくにぬしのみこと,其宮即出雲大社いづものおほやしろ。】

 於是ここに,令其御子譽津別王をろがみ其大神宮出雲大社將遣つかはさむ之時,占之:「令副そはしめ誰人たれよけむ?」爾,曙立王あけたつのみこ【○曙立王、菟上王,並彥坐王孫。】あひきうら
 故おほせ曙立王,令宇氣比白:「よりをろがむ大神大國主まことしるし者,令住この鷺巢池さぎすのいけさぎ宇氣比おち!」如此かく詔之時のりたまひしとき,其鷺おちしにきまた詔之:「宇氣比いけ!」爾者しかすればさらにいきぬ【○うけひ原文うけひ宇氣比以音。】又,在甘白檮丘之前甜かしをかのさき葉廣はびろ熊白檮くまかし,令誓枯宇氣比かれ,亦令宇氣比生。【○甘白檮之前あまかしのさき甘樫丘あまかしをか之前端。あま原文あま。】
 爾,賜其曙立王,いひき倭磯城鳥見豐朝倉やまと者師木登美とよあさくら曙立王。すなはち曙立王あけたつのみこ菟上王うなかみのみこ二王,そへ御子譽津別王遣之つかはし時,卜正うらまさ:「自奈良戶那良とあしなへめしひ,自大坂戶おほさかとあはむ跛、盲。ただ紀伊戶木と,是掖月わきづき吉戶よきと。」出行いでゆく之時,ごと坐地ますところさだめき品遲部ほむぢべ也。【○やまと原文倭者やまとの,古事記中偶有通用。磯城しき原文師木しき鳥見とみ原文登美とみ。其名號者,蓋大和國磯城、鳥見、朝倉等地之曙立王。奈良なら紀伊原文那良なら掖月わきづき意未詳,或云掖門わきと之訛,則側門之意。或云掖机わきづき之轉,而為よき之枕詞。】

 故,いたり出雲いづも拜訖をろがみをはり大神大國主還上かへりのぼる之時,作黑樔橋くろきすばし肥河ひのかは之中,仕奉つかへまつり假宮かりみや而坐。爾出雲國造いづものくにのみやつこおや岐比佐祇きひさ都美かざり青葉山あをばのやま而立其河下かはしも將獻たてまつらむ大御食おほみけ【○つみ原文つみ都美以音。】時其御子譽津別王のりたまひ問賜とひたまひき:「この河下かはしもごとき青葉山者,見山やまとみえ非山やまにあらずもし伊都玖います出雲いづも石𥑎いはくま曾宮そのみや葦原醜男大神あしはら色許をのおほかみはふり大庭おほには乎?」【○いつく原文伊都玖いつく以音,祭祀。石𥑎いはくま,岩蔭之深奧處。曾宮そのみや未詳所在,非今日出雲大社之處。而其その字與そなふ同,備足之意。葦原醜男あしはら色許を,大國主之別名,しこ字原文しこ色許以音,勇猛之意。はふり乃神職。大庭おほには為祭神之齋庭ゆには。】
 爾,所遣御伴みとも王等みこたち聞歡ききよろこび見喜みよろこび,迎御子譽津別王檳榔之長穗宮あぢまさのながほのみや,而貢上たてまつりき驛使はゆまのつかひ
 爾,其御子譽津別王一宿ひとよあひき肥長姬ひなが比賣。然ひそかうかかへ美人をとめ者,へみ也。即見畏みかしこみ遁逃にげき。爾其肥長姬ひなが比賣うれへ,自ふなてらし海原うなはら追來おひきつ。故,御子譽津別王ますます見畏,自山鞍やま多和たわ原文たわ多和以音。】引越ひきこし御船みふね逃上行也にげのぼりゆきき
 於是,覆奏かへりこと言:「因をろがみ大神おほかみ大御子譽津別王得以物詔もののりたまひき。故參上來まゐのぼりき覆命。」天皇垂仁歡喜よろこび,即かへし菟上王うなかみのみこ,令つくろひつくり神宮出雲大社。於是,天皇因其御子譽津別王さだめ鳥取部ととりべ鳥飼部とり甘べ品遲部ほむぢべ大湯坐おほゆゑ若湯坐わかゆゑ【○令つくり神宮出雲大社,或訓 令つくろひ神宮出雲大社かひ甘原文かひ𩚵かひ之略也。】

 又,まにまに其后狹穗姬まをし喚上めしあげき道主王美知能宇斯のみこ女等むすめたち日葉酢姬命比婆須比賣のみこと弟姬命おと比賣のみこと歌凝姬命うたこり比賣のみこと圓野姬命まとの比賣のみことあはせ四柱よはしらしかれども,僅とどめ日葉酢姬命比婆須比賣のみこと弟姬命おと比賣のみこと二柱ふたはしら,而其妹王弟みこ二柱者,因いと凶醜みにくき故,返送かへしおくりき本主もとつぬし【○妹王おとみこ原文弟王おとみこ本主もとつぬし,其親,此云道主王みちのうしのみこ。】
 於是ここに圓野姬命まとの比賣のみことはぢ言:「おなじ姊妹兄弟なか,以姿醜かたちみにくき被還之事かへさえしこと,若きこえむ鄰里ちかきさと者,これ慚矣はづかし!」而到山城國山代のくに相樂さがらか時,取懸とりさがり樹枝きのえだ欲死しなむとおもひき。故なづけ其地謂懸木さがりき,今云相樂さがらか。又到弟國おとくに之時,遂おち峻淵さがしきふちしにき。故號其地そこ墮國おちくに,今云弟國おとくに也。【○姊妹はらから原文兄弟はらから弟國おとくに乙訓おとくに。】

 又,天皇垂仁三宅連みやけのむらじ等之おや田道間守多遲麻毛理,遣常世國とこよのくに令求もとめしめき非時木實登岐士玖能このみ。故田道間守多遲麻毛理つひに到其國,とり木實このみ,以かげ八縵、ほこ八矛將來之間もちくるあひだ天皇垂仁既崩すでにかむあがりき【○田道間守たぢまもり原文たぢまもり多遲麻毛理以音。非時ときじくの原文ときじくの登岐士玖能以音,書紀作非時香菓ときじくのかぐのこのみ。】
 故,田道間守多遲麻毛理わけ縵四縵、矛四矛,たてまつり大后日葉酢姬もち縵四縵、矛四矛,獻置たてまつりおき天皇すめらみこと御陵戶みさざきのと。遂ささげ木實このみ叫哭さけびなきまをさく:「常世國とこよのくに非時木實登岐士玖能このみ持參上侍もちまゐのぼりてはべり!」つひ叫哭死也さけびなきてしにき。其非時木實登岐士玖能このみ者,これたちばな者也。

 此天皇垂仁御年みとし壹佰伍拾參歲ももあまりいあまりみとせ御陵みさざき,在菅原すがはら御立野中みたちのなか也。
 又,其大后おほきさき日葉酢姬命比婆須比賣のみこと之時,定石祝作いしつくり,又定土師部はにしべ此后日葉酢姬者,はぶりき狹木さき寺間陵てらまのみさざき也。

日本武尊

一、西征東討

 大足日子忍代別おほ帶ひこ淤斯呂和氣天皇すめらみこと,坐纏向日代宮まきむく之ひしろのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな景行天皇けいかうてんわう。】

 此天皇景行めとり吉備臣きびのおみ等之おや若武吉備津彥わか建きびつ日子むすめ播磨針間稻日大郎女伊那毘能おほいらつめ【○たけ播磨はりま原文たけ針間はりま稻日いなびの原文いなびの伊那毘能以音。】
  生御子みこ櫛角別王くしつのわけのみこ
  次,大碓命おほうすのみこと
  次,小碓命をうすのみこと亦名またのな倭童男命やまとを具那のみこと【○童男をぐな原文男ぐなを具那倭武命やまとたけるのみこと日本武尊やまとたけるのみこと。】
  次,倭根子命やまとねこのみこと
  次,神櫛王かむくしのみこ五柱いはしら。】
 次,又娶八尺入彥命やさかのいり日子のみこと之女八坂入姬命やさか之いり日賣のみこと
  生御子,若足日子命わか帶ひこのみこと【○たらし原文たらし成務天皇せいむてんわう。】
  次,五百木入日子命いほき之いりびこのみこと
  次,押別命おしわけのみこと
  次,五百木入姬命いほき之いり日賣のみこと
 又,みめ
  子,豐戶別王とよとわけのみこ
  次,沼代郎女ぬのしろのいらつめ二柱ふたはしら。】
 また,妾。
  子,沼名木郎女ぬらきのいらつめ
  次,香依姬命かぐ余理比賣のみこと【○より原文より余理以音。】
  次,若木入彥王わかき之いり日子のみこ
  次,吉備兄彥王きびの之え日子のみこ
  次,高木姬命たかぎ比賣のみこと
  次,弟姬命おと比賣のみこと
 又,娶日向ひむか御刀姬美波迦斯毘賣【○御刀みはかし原文みはかし美波迦斯以音。】
  生御子,豐國別王とよくにわけのみこ
 又,娶稻日大郎女伊那毘能おほいらつめ稻日若郎女伊那毘能わかいらつめ【○稻日いなびの原文いなびの伊那毘能以音。】
  生御子,真若王まわかのみこ
  次,彥人大兄王日子ひと之おほえのみこ
 又,娶倭武命やまと建のみこと曾孫ひひこ皇某大中彥王須賣伊呂おほなかつ日子のみこ之女香黑姬訶具漏比賣【○皇某すめいろ香黑かぐろ原文すめいろ須賣伊呂かぐろ訶具漏以音。】
  生御子,大枝王おほえのみこ
 おほよそ,此大足日子天皇おほ帶ひこのすめらみこと御子等みこたち所錄しるせる廿一王はたあまりひとはしらのみこ不入記いれしるさぬ五十九王いあまりここのはしらのみこあはせ八十王やそはしらのみこなか若足日子命わか帶ひこのみこと倭武命やまと建のみこと五百木入日子命いほき之いりびこのみこと三王,おひき太子ひづきのみこ。自ほか其七十七王者,ことごとく別賜わけたまひき國國くにぐに國造くにのみやつこ,亦和氣稻置いなき縣主あがたぬし也。【○わけ原文わけ和氣以音。】

  故,若足日子命わか帶ひこのみこと者,しろしめし天下也。
  小碓命をうすのみこと者,たひらげき東西ひむかしにし荒神あらぶるかみ不伏人等したがはぬひとども也。【○日本武尊やまとたけるのみこと。】
  次,櫛角別王くしつのわけのみこ者,茨田下連うまらたのしものむらじ等之おや
  次,大碓命おほうすのみこと守君もりのきみ大田君おほたのきみ島田君しまだのきみ之祖。
  次,神櫛王かむくしのみこ者,紀國木のくに酒部阿比古さかべのあひこ宇陀酒部うだのさかべ之祖。【○阿比古あひこ或書我孫あひこかばね也。】
  次,豐國別王とよくにわけのみこ者,日向國造ひむかのくにのみやつこ之祖。

 於是,天皇景行聞看きこしめし美濃國造三野のくにのみやつこおや大根王おほねのみこむすめ兄姬え比賣弟姬おと比賣孃子をとめさだめ容姿かたち麗美うるはし。故つかはし御子みこ大碓命おほうすのみこと喚上めしあげき。然,其所遣つかはさえし大碓命,如實召上めしあぐるすなはち己自みづからあひ二孃子ふたりのをとめさらにもとめ他女あたしをみないつはりなづけ其孃女而貢上たてまつりき於是ここに天皇すめらみこと知其女,つねに令經へしめ長暇ながきいとま,亦勿婚あふことなく惚惱也なやましき【○聞看きこしめし,聽聞之敬語。長暇ながきいとま,不予寵幸。なやましなやまし也。なく原文なくあたし原文あたし。】

  故,其大碓命おほうすのみことめとり兄姬え比賣
   生子,押黑之兄彥王おしくろのえ日子のみこ【此者,美濃三野宇泥須別うねす和氣之祖。宇泥須うねす蓋地名。わけ原文わけ和氣以音。
  大碓命また弟姬おと比賣
   生子,押黑之弟彥王おしくろのおと日子のみこ【此者,身毛君牟宜都のきみ等之祖。身毛牟宜都むげつ原文むげつ牟宜都以音。

 此之景行御世みよさだめ田部たべ,又定東之淡水門あづまのあはのみなと。又定膳之大伴部かしはてのおほともべ。又定倭屯家やまとのみやけ。又作坂手池さかてのいけ,即うゑきたけつつみ也。

 一旦,天皇景行小碓命をうすのみこと:「何汝兄なむちがえ朝夕あしたゆふべ大御食おほみけ不參出來まゐいでこぬもはら犒撫泥疑教覺をしへさとせ!」如此かくのりたまひ以後のち至于いたるまで五日いつかなほ不參出まゐいでず【○犒撫ねぎ,原文ねぎ泥疑以音,安撫、慰勞之意。或譯犒勞ねぎ。】
 爾,天皇すめらみこと問賜とひたまはく小碓命:「なにとかも汝兄ひさしく不參出まゐいでぬもし未誨いまだをしへず乎?」答白:「すでに犒勞泥疑也。」又詔:「如何いかにか犒勞泥疑之?」答白:「朝曙あさけかはや之時,待捕まちとらへ大碓命,搤批とりひだき引闕ひきかきつつみこも投棄なげうてつ!」【○搤批とりひだき,捉拿押潰。引闕ひきかき,扯斷。原文えだ。】
 於是,天皇景行おそり御子小碓命荒暴建荒こころ而詔之:「西方にしのかた熊襲武くま曾建二人ふたり,是不伏したがはず無禮ゐやなき人等。故,とれ人等ひとども!」而つかはしき【○荒暴あらぶる原文建荒たけくあらき熊襲武くまたける原文熊曾建くまそたける,書紀作熊襲梟帥くまたける。】

 あたり此之時このとき,小碓命尚束髮結額ひたひにゆひき,總角少年也。爾受授をば倭姬命やまと比賣のみこと御衣みけし御裳みも,以つるぎいれみふつくろ而,幸行いでましき【○御髮みかみ結額ひたひにゆひき,十五、六歲之少年。受授たまはり原文たまはり。】
 故,いたり熊襲武くまたけるいへ而見者,於其家邊いへのへいくさかくみ三重みへ,作むろをりき。於是,言響いひ動:「為御室宴みむろの樂。」設備まうけそなへき食物くらひもの。故,遊行あそびありきかたはらまちき宴日樂のひ【○言響いひとよみ原文言動いひとよみ,人聲嘈雜之狀。御室宴みむろのあそび原文御室樂みむろのあそび,慶祝新居之宴會。宴日あそびのひ原文樂日あそびのひ。】
 爾,のぞみ宴日樂のひ,小碓命梳垂けづりたれ結髮ゆへるみかみ,佯ごとく童女をとめかみ其姨倭姬御衣みけし御裳みもすでに童女をとめ姿すがた交立まじりたち女人をみななか入坐いりましき室內むろのうち
 熊襲武くま曾建兄弟はらから二人,見感みめで孃子小碓,使坐於己中おのがなか盛樂さかりにあそびき。故,のぞみ其兄弟酣時たけなはなるとき小碓命をうすのみことふつくろつるぎ,取熊襲くま曾衣衿ころものくび,以劍刺通さしとほしむね。時,其弟武おと建見畏みかしこみ逃出にげいできすなはち追至おひいたり其室之梯本椅のもと,取其背皮せのかは,持つるぎ刺通弟しり【○見感みめで原文見咸みめで者,咸為感之略字。はし原文はし。】

 爾,其熊襲武くま曾建白言:「且なかれうごかすたちやつかれ白言まをすこと!」爾小碓命暫許しまらくゆるし押伏おしふせき。於是熊襲武くまそたけるいひし:「汝命ながみこと者,たれぞ?」爾のりたまひ:「あれ者,纏向日代宮まきむく之ひしろのみや大八島國おほやしまくに大足日子忍代別天皇おほ帶ひこ淤斯呂和氣のすめらみこと御子みこ倭童男王やまとを具那のみこ者也。以天皇景行詔:『朕聞看きこしめし意禮熊襲武くま曾建二人,不伏したがはず無禮ゐやなし。當取殺とりころせ意禮矣。』負命而つかはせり。」【○しろし原文しろしおれ原文おれ意禮以音,第二人稱輕蔑用語,此指熊襲武くまそたける兄弟。】
 爾,其熊襲武くま曾建白:「信然也まことにしかあらむ!於西方にしのかたおき二人ふたり,無猛強人建こはきひとしかれども大倭國おほやまとのくに,有猛男建を吾二人者いまし祁理是以ここをもちて,吾たてまつらむ御名みな自今以後いまよりのち應稱いふべし倭武御子やまと建のみこ!」是事このこと白訖まをしをはるにすなはち斬裂振析熟瓜ほそぢ殺也ころしき。故より其時そのときたたへ小碓命をうすのみこと御名みないふ倭武命やまと建のみこと【○たけたけ二字,原文作たけまさる原文作ましけり原文けり祁理以音。斬裂きりさき原文振析ふりさき者,さきさき同。】
 然而しかくして倭武命やまとたけるのみこと還上かへりのぼる之時,みな降服平和言向和山神やまのかみ河神かはのかみ,及穴戶神あなとのかみ等而參上まゐのぼりき【○降服平和ことむけやはし原文言向和ことむけやはし,令其歸順降伏。穴戶あなとあな未詳,指河口與河海兩岸相峙之處。】


景行天皇 纏向日代宮跡
大足日子忍代別命,坐纏向日代宮治天下。立若足日子命、倭武命、五百木入日子命三人為太子。


播磨稻日大郎姬命日岡陵
稻日大郎姬,日本武尊之母。


日本平 日本武尊銅像
小碓命,尊號倭武命、日本武尊。


大鳥神社 日本武尊像


日本武尊肖像、日本武尊畫像


名石神社
祭景行帝、御刀姬、豐國別王。


草薙神社 日本武尊像


神櫛王墓
神櫛王,紀伊酒部、宇陀酒部祖。


景行天皇 泳宮蹟
美濃弟姬傳說承傳地。按書紀,景行帝幸美濃,聞弟媛有國色而通之。然弟媛不好交道,遂辭讓,薦其姊八坂入媛納於後宮。


鏡作坐天照御魂神社
坂手池,在今奈良田原本町坂手。


猿投神社
主祭神大碓命。社傳,大碓命遭蛇吻於猿頭山而薨,及葬於此。享年卌二歲。與古事記異。


熊襲穴
傳熊襲武兄弟為御室樂之新室。


熊襲穴 室內
倭武命梳垂其髮、服其姨衣裳,佯作童女,混立女眾,入其室內。


日本武尊誅熊襲武
小碓命押伏熊襲武,熊襲武獻尊號倭武命既訖,誅之猶裂熟瓜。


隼人塚 熊襲塚
傳熊襲隼人族慰靈之塚。

 即,倭武命やまとたけるのみこと入坐いりましき出雲國いづものくに欲殺ころさむとおもひ出雲武いづも建いたり即佯與結友うるはしみをむすびき。故ひそかに赤檮いちひ詐刀いつはりのたち御佩みはかしともにかはあみき肥河ひのかは
 爾倭武命やまと建のみことまづ自河あがり岸,取佩とりはき出雲武いづも建解置ときおける橫刀たち而詔:「願おもふ易刀たちをかへむ,以示交好。」故のち出雲武いづも建よりあがり岸而はきき倭武命やまと建のみこと之詐刀。
 於是,倭武やまと建あとらへ云:「去來伊奢刀!」爾おのおのぬかむ其刀之時,出雲武いづも建不得えず詐刀いつはりのたち倭武命やまと建のみこと即拔其刀而打殺うちころしき出雲武いづも建。爾,倭武命やまとたけるのみこと御歌みうた曰:【○去來いざ原文いざ伊奢以音,邀約語氣詞。あはせ原文あはせ。】

 故,如此かく撥治はらひをさめ參上まゐのぼり覆奏かへりことまをしき

 爾天皇景行しきり倭武命やまと建のみこと:「降服言向和平やはしたひらげ東方ひむかしのかた十二道とをあまりふたつのみち荒振神あら夫琉のかみ不順人等摩都樓波奴ひとども!」而そへ吉備臣きびのおみ等之おや御鉏友耳武彥みすきともみみ建日子遣之つかはしし。時柊木比比羅ぎ八尋矛やひろほこ【○荒振あらぶるぶる字原文ぶる夫琉以音。不順摩都樓波奴,原文まつろはぬ摩都樓波奴以音,まつろはぬ。御鉏友耳武彥みすきともみみたけひこ,是即吉備武彥きびのたけひこ柊木ひひら原文ひひら比比羅以音。】

 故,倭武命やまとたけるのみこと受命みことをうけ罷行之時まかりゆきしとき參入まゐいり伊勢大御神宮いせのおほみかみのみやをろがみ神朝廷かみのみかどすなはちまをさくをば倭姬命やまと比賣のみこと者:「天皇すめらみことすでに所以ゆゑしね乎?なにうち西方惡人あしきひと等而返參上來之間かへりまゐのぼりこしあひだいまだへぬ幾時いくばくのとき不賜たまはず軍眾いくさども今更いまさらにつかはしつたひらげ東方十二道とをあまりふたつのみち惡人等あしきひとども因此これにより思惟おもふなほ所思看おもほしめすあれ既死焉!」患泣うれへなきまがり退。【○神朝廷かみのみかど,此云伊勢神宮。倭姬命やまとひめのみこと時任齋宮いつきのみや。】
 時,倭姬命やまと比賣のみことたまひ草薙劍くさ那藝のつるぎまた錦囊みふくろのりたまひ:「もし急事にはかなることとけ茲囊口このふくろのくち!」【○草薙劍くさなぎのつるぎ者,即天叢雲劍あまのむらくものつるぎ。】

 故,倭武命やまとたけるのみこと尾張國をはりのくに入坐いりましき尾張國造くにのみやつこおや宮簀姬美夜受比賣いへ【○宮簀姬みやずひめ原文みやずひめ美夜受比賣以音。】雖思おもへども將婚あはむ,亦おもひ還上之時かへりのぼらむとき將婚。期定ちぎりさだめいでまし東國ひむかしのくにことごとく降服言向和平やはしたひらげ山河やまかは荒神あらぶるかみ不伏人等したがはぬひとども

 かれ爾,到相模國さか武のくに之時,其國造いつはり白:「於此野中このののなか大沼おほきぬますめる是沼中このぬまのうち之神,甚千早振神道速ぶるかみ也。」於是ここに倭武命やまとたけるのみこと將看行みそこなはさむ其神,入坐其野そのの【○相模さかむ原文相武さかむ千早振ちはやぶる原文道速振ちはやぶる,稜威勢猛之狀。看行みそこなはむ觀覽みそこなはむ之意。】
 爾其國造相模火著ひをつけき其野。故倭武命やまとたけるのみこと見欺あざむかえぬ解開ときあけ其姨倭姬命やまと比賣のみこと之所囊口ふくろのくち見者みれば燧石火打うち【○燧石ひうち原文火打ひうち。】
 於是,倭武命やまとたけるのみこと先以其御刀天叢雲劍刈撥かりはらひくさ,復以燧石火打打出うちいだし火,つけ向火むかひび燒退やきそけ還出かへりいで。故皆切滅きりほろぼし其國造等,即著火やきき。故,於今いふ燒遺やきつ也。【○燒遺やきつ今書燒津やきつ草薙劍くさなぎのつるぎ名典故。】

 自相模入幸いりいでまし,更指東行,而わたり走水海はしりみづのうみ之時,其渡神わたりのかみおこしなみめぐらせふね,不得進渡すすみわたる
 爾其きさき弟橘姬命おとたちばな比賣のみこと白之:「あれかはり御子而いらむ海中うみのなか,以息神怒。御子みこ者,應とげ所遣之政つかはさえしまつりごと覆奏かへりことまをす。」將入海時,以菅疊すがたたみ八重やへ皮疊かはたたみ八重、絁疊きぬたたみ八重,しき波上なみのうへ下坐おりましき其上そのうへ。於是,其暴浪あらなみ自伏おのづからなぎ御船みふね得進。其后弟橘姬歌曰うたひていはく

 故,七日之後なぬかののち其后弟橘姬御櫛みくし,漂よりき海邊うみへ倭武命やまとたけるのみこととり其櫛,作御陵みさざき納置治おきき也。【○をさめ原文をさめ。御陵今在橘樹神社。】

 自走水入幸,倭武命やまとたけるのみことことごとく降服言向荒振あら夫琉蝦夷えみし等,亦平和たひらげやはし山河荒神等あらぶるかみたち。將還上幸かへりのぼりいでまし時,到足柄あしがら坂本さかもと,於はむ御粮みかりてところ其坂神そのさかのかみ白鹿しろきか來立きたちき。爾,倭武命やまとたけるのみこと即以其咋遺くひのこせる蒜之片端ひるのかたはし待打まちうち者,あて,乃打殺也うちころしき
 故,登立のぼりたち其坂足柄坂三歎みたびなげき詔云:「吾妻者耶阿豆麻波夜!」故,なづけ其國東國吾妻阿豆麻也。【○吾妻者耶あづまはや,原文あづまはや阿豆麻波夜以音,吾妻あづまはや。故稱東國あづまのくに吾妻あづま。】

 即自其國東國越出こえいで甲斐かひ,坐酒折宮さかをりのみやときに歌曰:

 爾,其焚火御火燒夜戍之老人おきなつぎ御歌みうた以歌曰:【○焚火みひたき原文御火燒みひたき,炊篝火警戍者。】

 倭建命是以ほめ其老人,即東國造あづまのくにのみやつこ也。


肥河 斐伊川堤防
倭武命與出雲武詐友,共沐肥河。
誅出雲武歌:「八芽指藻兮 雲州梟帥出雲健 其所佩大刀 黑葛多纏誠華麗 然無中身令人憐


金象嵌兩添刃鐵鉾
大山祇神社古稱大山積御鉾大明神,或云柊八尋矛,其形相似。


伊勢神宮 皇大神宮 宇治橋


倭姬命為伊勢齋祭祀大神圖


倭姬命授神劍、錦囊於倭武命


日本武尊以寶劍薙草免危難


弟橘姬像
弟橘姬命投海歌:「吾憶實指兮 相模燒津小野間 野火燔以燃 妾立火中忐忑時 君呼吾名妾念君


倭武命與弟橘姬命
倭武命登足柄坂,戀妻三嘆「吾妻者耶!」遂稱東國謂吾妻。


酒折宮


連歌發祥地之碑
倭武詢日曲:「吾等經新治 復過筑波去有程 幾夜宿兮寢幾夜焚火老答歌:「日日並計者 夜者所度已九夜 日者十日既已逝


斷夫山古墳
傳日本武尊妃宮簀姬墓。
倭武命見宮簀姬經血歌:「遙遙久方天 秋津洲天香具山 發鳴銳喧囂 白鳥鵠兮渡虛空 佳人若彼鵠 吾欲執汝弱細腕 撓腕為枕共纏眠 吾雖心意欲如此 雖欲共相寢 吾意相枕雖如斯 則知汝所著 襲衣之襴見月色 朱染衣裾阻纏綿答歌:「高光普下照 天津日之御子矣 八方治天下 八紘御宇我大君 年新年易改 年年來經年逝去 月新月易改 月月來經月逝去 宜誠矣 宜誠矣 宜誠矣 妾守空閨苦待君 故吾所著者 襲衣之襴見月色 朱染衣裾阻纏綿


宮簀媛命拜受寶劍圖


居寤清泉 居醒清水


杖衝坂

倭武命讚一松歌:「其往尾張國 直面正向尾津崎 尾津崎之上 尾津前一松 吾兄丈夫一本松 汝若有命為人者 願為配劍繫太刀 願為著衣且戴冠 丈夫一松吾兄矣


平群神社
倭武命足如三重勾而甚疲。
倭武命思國歌其一:「大和倭國者 國之真秀可怜國 層層疊重矣 青山猶青垣 青垣圍繞籠國兮 大和美兮不勝收其二:「稚命發活力 生氣盛兮青年矣 層層疊薦兮 平群山熊白檮葉 取彼檮葉為髻華 插頭嬉遊矣 稚兮青年者


日本武尊能褒野墓 能褒野白鳥陵
倭武命能煩野片歌:「愛也思念茲 吾家之方故鄉處 雲層湧兮飄來矣病急彌留歌:「美夜受孃子 在其香閨床邊處 我所置神劍 草薙叢雲劍太刀 稜威彼其太刀矣


熱田神宮
倭武命薨後,宮簀媛祀其所留草薙劍於尾張,是為熱田神宮之始。

倭武命御葬歌:「靡付水漬田 陵周田間稻莖上 於彼稻莖間 匍匐這迴野老蔓 吾若彼蔓哭徘徊:「低淺篠竹原 篠迴腰間滯行路 吾等無以翔大空 只得淀足步闌珊:「行至海處者 水浸腰間滯行路 其猶大河原 水面無根漂植草 吾等步海處 隨波猶豫漂逐流:「白鵠濱千鳥 不趨濱邊易往處 徑去磯上難行處


白鳥神社
在日本武尊舊市邑白鳥陵附近。


日本武尊 舊市邑白鳥陵
倭武命死後化白鳥,留河內國志幾。故作白鳥御陵。按日本書紀云:「飛至河內,留舊市邑。」


日本武尊傳說 弟橘姬入水
弟橘姬為倭武命捨身入海,生有一子若建王。風土記作弟橘皇后。


宮道別氏神 宮道天神社
祭神武卵王,或書建貝兒王。


伊吹山頂 日本武尊像


伊吹山 倭武命與山豬像


冰上姉子神社元宮 宮簀媛館跡


熱田神宮 土用殿
土用殿用於收納草薙劍至近世。


景行天皇 山邊道上陵

二、武尊薨逝

 倭武命より其國甲斐こえ信濃國科野のくにすんはち降服言向信濃科野坂神さかのかみ,而還來かへりき尾張國をはりのくに入坐いりましき先日さきのひ所期ちぎれる宮簀姬美夜受比賣もと【○降服ことむけ原文言向ことむけ信濃しなの原文科野しなの宮簀姬美夜受比賣原文みやずひめ美夜受比賣以音。信濃坂神しなののさかのかみ,此云神坂峠みさかたうげ。】
 於是ここに,獻大御食おほみけ之時,其宮簀姬美夜受比賣ささげ大御酒盞おほみさかづきたてまつりき。爾,宮簀姬美夜受比賣月經さはりつけたり襲衣意須比すそ【○月經さはり,此云經血。襲衣おすひ原文おすひ意須比以音。】 倭武命やまとたけるのみこと見其月經,故御歌みうた曰:

 爾,宮簀姬美夜受比賣こたへ御歌曰:

 故爾,御合みあひ共枕。倭武命やまとたけるのみこと遂以其御刀みはかし草薙劍くさ那藝のつるぎ宮簀姬美夜受比賣もと,將取伊吹山い服岐能やま之神而幸行いでましき【○御合みあひ,結婚也。なぎ原文なぎ那藝以音。伊吹いふき原文いふき伊服岐以音。】

 於是,倭武命やまとたけるのみこと詔:「茲山神このやまのかみ者,徒手むなで直取ただにとらむ!」のぼり其山之時,あひき白豬しろきゐ山邊やまのへ。其おほきさ如牛うしのごとし。爾倭武命揚言言舉のりたまはく:「是なれる白豬者,其神之使者つかひ。今雖不殺ころさずとも還時かへらむとき將殺ころさむ!」語而登のぼり。於是,大冰雨おほひさめふらし打惑うちまとはしき倭武命やまと建のみこと【此化白豬者,あらず其神之使者,あたれり其神之正身ただみ。因揚言言舉見惑也。揚言ことあげ原文言舉ことあげ,古俗有言靈信仰,以為輕易揚言為不善。大冰雨おほひさめ,冰雹。

 故,倭武命やまとたけるのみこと因而還下かへりくだりいたり玉倉部たまくらべ清泉しみづ以歇いこひ之時,御心みこころやをやくさめき。故なづけ其清泉いふ居寤清泉ゐさめのしみづ也。

 自其處居寤清泉たち,到當藝野上たぎののうへ之時,倭武命やまとたけるのみこと詔者:「吾心あがこころつねにおもふ自虛そらより翔行かけりゆかむしかれども吾足あがあし不得步あゆむことえず,成坎坷不平矣當藝當藝斯玖。」故號其地そこ當藝たぎ也。【○坎坷不平矣たぎたぎしく,原文たぎたぎしく當藝當藝斯玖以音,惡路凹凸坎坷之狀。常陸國風土記有地深淺つちたぎたぎ之語。】
 又自其地當藝幸行いでます差少ややすこし,因甚疲はなはだつかれたる,故つき御杖みつゑ稍步やをやくあゆみき。故なづけ其地いふ杖衝坂つゑつきさか也。到尾津崎をつの前一松ひとつまつもと,見さき御食之時みをしせしとき所忘わすれたる其地御刀みはかし不失うせず猶在なほ有しかくし倭武命御歌いはく

 倭武命自其地尾津崎幸,到三重村みへのむら之時,また詔之:「吾足ごとく三重勾みへにまがれる甚疲はなはだつかれたり!」故號其地そこ三重みへ。自三重幸行而到能煩野のぼの之時,思國くにをしのひうたひ曰:

 又,歌いはく

 此歌このうた者,思國歌くにしのひうた也。
 また,歌曰:

 此者これは片歌かたうた也。
 此時,倭武命御病みやまひ甚急いとにはかなり。爾,御歌みうた曰:

 歌竟うはひをはりすなはちみまかりましき。爾,貢上たてまつりき驛使はゆまのつかひ
 於是,居坐やまと后等きさきたち御子等みこたちもろもろ下到くだりいたり伊勢能煩野而つくり御陵みさざき。即匍匐はらばひめぐり其地之潦田那豆岐たなきなづき原文なづき那豆岐以音。】為歌うたよみし曰:

 於是,倭武命化八尋白千鳥やひろのしろ智とりかけり天而むかひ飛行とびゆきき原文以音。】爾其后及御子等,雖足䠊破きりやぶれ於其小竹しの苅杙かりくひわすれいたみ哭追なきおひき。此時,歌曰:

 又家人入其海潮海鹽那豆美行時,なづみ原文なづみ那豆美以音。海潮うしほ原文海鹽うしほ歌曰:

 又,飛ゐしいそ之時,家人歌曰:

 是四歌このよつのうた者,皆うたひき倭武命やまとたけるのみこと御葬みはぶり也。故至今いまにいたるまで其歌者,歌天皇すめらみこと大御葬おほみはぶり也。

 故自其國いせ飛翔行とびかけりゆきとどまりき河內國かふちのくに志幾しき。故於其地そこ御陵みさざき鎮坐也しづめいませき。即なづけ其御陵,謂白鳥しらとり御陵みさざき也。しかれども,亦自其地さらに翔天あめにかけり飛行とびゆきき
 おほよそ倭武命やまと建のみことたひらげ迴行めぐりゆきし之時,久米直くめのあたひ之祖七拳脛ななつかはぎつねに膳夫かしはて,以したがひ仕奉也つかへまつりき

 此倭武命やまと建のみこと活目伊玖米天皇垂仁之女兩道入姬命布多遲能伊理毘賣のみこと【○活目いくめ兩道入姬ふたぢのいりびめ,原文いくめ伊玖米ふたぢのいりびめ布多遲能伊理毘賣以音。】
  生御子,帶仲日子命帶中津ひこのみこと【一柱。仲哀天皇ちうあいてんわう帶仲日子たらしなかつひこ原文帶中津日子たらしなかつひこ
 又,めとり入海うみにいりし弟橘姬命おとたちばな比賣のみこと
  生御子,若建王わかたけるのみこと【一柱。】
 又娶近江ちかつ淡海安國造やすのくにのみやつこおや大多牟別意富たむ和氣之女兩道姬布多遲比賣【○近江ちかつあふみ原文近淡海ちかつあふみ安國やすのくに,近江野洲郡一帶。大多牟別おほたむわけ原文おほたむわけ意富多牟和氣以音,兩道姬ふたぢひめ原文ふたぢひめ布多遲比賣以音。】
  生御子,稻依別王いなよりわけのみこ【一柱。】
 又,娶吉備臣武彥きびのおみ建日子いも大吉備武姬おほきび建比賣
  生御子,武卵王建貝兒のみこ【一柱。武卵王たかかひこのみこ原文建貝兒王たかかひこのみこ
 又,娶山城山代菊守姬玖玖麻毛理比賣
  生御子,足鏡別王あしかがみわけのみこ【一柱。蘆髮蒲見別王あしかみのかまみわけのみこ山城やましろ山城やましろ菊守姬くくまもりひめ原文くくまもりひめ玖玖麻毛理比賣以音。
 又,一妻あるみめ
  子,息長田別王おきながたわけのみこ
 凡,是倭武命やまと建のみこと御子みこ等,あはせ六柱むはしら

  故,帶仲日子命帶中津ひこのみこと者,しろしめし天下也。
  次,稻依別王いなよりわけのみこ者,犬上君いぬかみのきみ建部君たけるべのきみ等之おや
  次,武卵王建貝兒のみこ者,讚岐綾君さぬきのあやのきみ伊勢別いせ之わけ登袁別とを之わけ麻佐首まさのおびと宮道別みやぢ之わけ等之祖。【○宮道みやぢ原文宮首みやぢ,首蓋みち字之略,而非かばねおびと也。】
  足鏡別王あしかがみわけのみこ者,鎌倉別かまくら之わけ小津石代別をつのいはしろ之わけ漁田別いざりた之わけ祖也。
  次,息長田別王おきながたわけのみこ
   子,杙俣長彥王くひまたなが日子のみこ
    此王杙俣長彥之子,飯野真黑姬命いひののまぐろ比賣のみこと
    次,息長真若中姬おきながのまわかながつ比賣
    次,弟姬おと比賣【三柱。】
  故,上云かみにいへる若建王わかたけるのみこと,娶飯野真黑姬命いひののまぐろ比賣のみこと
   生子,皇某大中彥王須賣伊呂おほなかつ日子のみこ。此王娶近江淡海柴野入杵しばのいりき之女柴野姬しばの比賣
    生子,香黑姬命迦具漏比賣のみこと。故,大足日子おほ帶ひこ天皇景行,娶此香黑姬命迦具漏比賣のみこと香黑姬かぐろひめ原文かぐろひめ迦具漏比賣以音】
     生子,大江王おほえのみこ【一柱。○或書大枝王おほえのみこ此王,娶庶妹ままいも銀王しろかねのみこ
      生子,大名方王おほながたのみこ
      次,大中姬命おほなかつ比賣のみこと【二柱。○仲哀天皇妃。
      故,此大中姬命者,香坂王かぐさかのみこ忍熊王おしくまのみこ御祖也。みおや原文御祖みおや。】

 此大大足日子おほ帶ひこ天皇景行御年みとし壹佰參拾柒歲ももあまりみそあまりななとせ御陵みさざき,在山邊之道上やまのへのみちのうへ也。

神功皇后

一、遠征新羅

 若足日子わか帶ひこ天皇すめらみこと,坐近江ちかつ淡海志賀高穴穗宮しがのたかあなほのみや,治天下あめのした也。【○漢謚,成務天皇せいむてんわうあふみ原文淡海あふみ。】

 此天皇成務めとり穗積臣ほづみのおみ等之おや武忍山垂根たけおしやまたりねむすめ弟財郎女おとたからのいらつめたけ原文たけ。】
  生御子みこ稚渟饌王和訶奴氣のみこ【一柱。稚渟饌わかぬけ原文わかぬけ和訶奴氣以音。

 故,舉武內宿禰建うちのすくね大臣おほおみ定賜さだめたまひ大國おほきくに小國ちひさきくに國造くにのみやつこ,亦定賜國國之堺くにくにのさかひ大縣おほきあがた小縣ちひさきあがた縣主あがたぬし也。

 天皇成務御年みとし玖拾伍歲ここのそあまりいつとせ乙卯きのとのう三月やよひ十五日とをあまりいつかかむあがり也。】御陵みさざき,在狹城沙紀盾列多他那美也。狹城さき盾列たたなみ原文さき沙紀たたなみ多他那美以音。】


 
足仲日子天皇帶中つひこのすめらみこと,坐穴門あなと豐浦宮とようらのみや筑紫つくし香椎宮訶志比のみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな仲哀天皇ちうあいてんわう香椎かしひ原文かしひ訶志比以音。足仲たらしなかつ原文帶中たらしなかつ。】

 此天皇仲哀,娶大江王おほえのみこ之女大中姬命おほなか津比賣のみこと
  生御子,香坂王かぐさかのみこ忍熊王おしくまのみこ【二柱。】
 又,娶息長足姬命おきなが帶比賣のみここれ大后おほきさき。】
  生御子,譽屋別命品夜和氣のみこと【○譽屋別ほむやわけ原文品夜和氣ほむやわけ。書紀為弟媛所生。】
  次,名大鞆別命おほとも和氣のみこと亦名またのな譽田別命品陀和氣のみこと【二柱。譽田別ほむたわけ原文品陀和氣ほむたわけ

 此太子ひづきのみこ御名みな所以ゆゑおほせし大鞆別命おほとも和氣のみこと者,はじめ所生時うめるとき御腕みただむきなりきしし如鞆とものごとく,故つけき其御名。是以しりぬはら平國くにをたひらげつる也。【○應神天皇おうじんてんわう,世稱胎中天皇たいちゅうてんわうとも,弓射時之護腕。】

 此之仲哀御世みよさだめき淡道あはぢ屯家みやけ也。

 其大后おほきさき息長足姬命おきなが帶比賣のみこ者,巡幸西國當時そのとき歸神かみをよせき憑依。故天皇仲哀筑紫つくし香椎宮訶志比のみや將擊うたむ熊襲國くま曾のくに。時天皇仲哀ひき御琴みこと,而武內宿禰建うちのすくね大臣おほおみ沙庭さには審神者さにはこひき神之命かみのみこと【○熊襲くまそ原文熊曾くまそ沙庭さには,聽聞神託之齋場。今訓審神者さにはさには沙庭,良有以也。】
 於是,大后神功歸神よせるかみ言教覺詔ことをしへさとしのりたまひ者:「西方にしのかた有國,金銀くがねしろかねもと炎耀かかやく種種くさぐさめづらしきたから多在あまたにあり其國。吾今歸賜よせやまはむ其國!」爾天皇仲哀答白:「のぼり高地たかきところ見西方者,不見みえず國土くにただ大海おほきうみ。」おもひ為詐神いつはりをするかみ押退おしそけ御琴,不控ひかず默坐もだしいましき
 爾其神大忿おほきにいかり詔:「おほよそこの天下あめのした者,あらずなむち應治國しるべきくに。汝者唯むかへ一道ひとみち,可徂黃泉!」於是ここに武內宿禰建うちのすくね大臣諫まをし:「かしこし我天皇わがすめらみことなほ彈賜阿蘇婆勢大御琴おほみこと!」爾,天皇仲哀やをやく取依とりよせ其御琴而怠怠那摩那摩邇控坐ひきていましき。故,未幾久いまだいくひさもあらず不聞きこえず御琴之おとすなはち舉火ひをかかげ見者,すでに崩訖さりましをはりぬ【○應治しるべし原文應知しるべし彈賜ひきたまふ原文あそばせ阿蘇婆勢以音,あそばせ。怠怠那摩那摩邇原文なまなまに那摩那摩邇以音。】

 爾,驚懼おどろきおぢ殯宮もがりのみや
 更取國之大幣おほ奴佐種種くさぐさ生剝いけはぎ逆剝さかはぎ畔放阿離溝埋みぞうみ屎戶くそへ上通下通婚おやこくなぎ馬婚うまくなぎ牛婚うしくなぎ雞婚とりくなぎ犬婚いぬくなぎ罪類つみのたぐひ,為國之大祓くにのおほはらへ【○ぬさ原文ぬさ奴佐以音。畔放あはなち原文阿離あはなち,毀壞田畔。】
 亦武內宿禰建うちのすくね沙庭さには,為審神者さにはこひき神之みこと。於是,教覺之狀をしへさとすかたちつぶさ先日さきのひ:「凡此國このくに者,います汝命御腹ながみことのみはら御子みこ所治國知らさむくに者也!」爾,武內宿禰建うちのすくねまをさく:「かしこし。我大神おほかみ,坐其神腹かみのみはら之御子,何子歟いづれのこか?」答詔:「男子をのこご也。」
 爾武內宿禰たけうちのすくね具請之つぶさにこはく:「今如此言教之大神かくことをしふるおほかみ者,おもふ知其御名みな。」即答のりたまひ:「これ天照大神あまてらすおほかみ御心みこころ者。亦底筒男そこつつのを中筒男なかつつのを上筒男うはつつのを三柱大神みはしらのおほかみ者也。【此時,其住吉すみのえ三柱大神之御名みな者,顯也あらはれき。】まこともとめむ其國者,於天神あまつかみ地祇くにつかみ,亦山神やまのかみ河海かはうみ諸神もろもろのかみことごとくまつり幣帛みてぐら我之御魂わがみたま船上ふねのうへ,而真木灰まきのはひいれひさこ,亦多作あまたつくりはし葉盤比羅傳者,皆皆みなみな散浮ちらしうけ大海おほきうみ可渡わたるべし!」【○葉盤ひらで或書枚手ひらで,原文ひらで比羅傳以音。】

 故,皇后神功つぶさごとく教覺,ととのへいくさ度幸わたりいでまし之時,海原うなはらうを不問とはず大小おほきちひさきことごとくおひ御船而わたりき。爾順風おひかぜ大起おほきにおこり,御船したがひ浪。故其御船みふね波瀾なみ押騰おしあがり新羅之國しらきのくにすでに半國くになか,遠逮國中。【○ならべ原文ならべ,並列陳陣之狀,下效此。】
  於是,新羅國王くにぎみ畏惶かしこみおそり奏言:「自今以後いまよりのちまにまに天皇命すめらみことのみこと,而為御馬飼みうま甘每年としごと船,貢進不絕。不乾ほさず船腹ふなばら、不乾柁檝さをかぢ,共與天地あめつち無退やむことなく仕奉つかへまつらむ。」故,是以新羅國しらきのくに者定御馬飼みうま甘百濟國くだらのくにさだめ渡屯家わたりのみやけ【○御馬飼みうまかひ原文御馬甘みうまかひ。】
 爾,皇后神功以其御杖みつゑ衝立つきたて新羅國主くにぎみかど,即以墨江大神すみのえのおほかみ荒御魂あらみたま,為國守神くにもりのかみ祭鎮まつりしづめ,遂還渡也かへりわたりき


成務天皇 志賀高穴穗宮趾


成務天皇狹城盾列池後陵
成務帝定境開邦,制于近江。繼承倭武命征討,實質統治八大島國。


仲哀天皇 穴門豐浦皇居趾


神功皇后肖像
仲哀帝崩,氣長足姬為攝政,征討三韓,設立官家。世稱神功皇后。


筑紫香椎宮
仲哀帝巡幸西國,坐筑紫香椎宮。


神功皇后歸神於香椎宮
神功皇后憑依,仲哀帝撫琴,武內宿禰為審神者。


筑紫香椎宮古宮跡
仲哀帝不信神託,觸怒神祟而崩。傳帝死後,置棺殯宮,懸於椎上,散發異香,遂曰香椎宮。


攝津國一宮 住吉大社
傳住吉三神之御名,於茲始顯也。


神功皇后征討新羅


神功皇后征伐朝鮮與鮮人朝貢
新羅王素旆自縛,封圖籍,降於王船,誓言永世朝貢。

 かれ其征まつりごと未竟之間いまだをはらぬあひだ懷妊はらめる臨產うむときにのぞみすなはちしづめむ御腹,取石以纏御裳みもこし而還わたる筑紫國つくしのくに。於茲,其御子降誕阿禮坐。故なづけ其御子生地うみしところ,謂宇美うみ也。亦所纏まける其御裳之いし者,在筑紫國之伊斗村いとのむら也。【○あれ原文あれ阿禮以音,顯現之意。伊斗いと,風土記有怡土郡いとこほり。】
 亦皇后神功到坐いたりまし筑紫松浦縣末羅のあがた玉島里たましまのさと御食みをし河邊かはのへ。時あたりき四月うづき上旬はじめ,爾皇后神功坐其河中かはなかいそ拔取ぬきとり御裳之いと,以飯粒いひぼつりき其河之年魚あゆ【其河名謂小河をがは。亦其礒名,謂勝門姬かちと比賣也。松浦まつら原文末羅まつら,或云末盧まつら故,四月上旬之時,女人をみな裳絲ものいと,以いひぼ為餌釣年魚之俗,不絕たえず于今也。

 於是,息長足姬命おきなが帶比賣のみこ還上かへりのぼるやまと時,因うたがひ人懷異心,故そなへ喪船もふね,令のせ御子應神,先令言漏いひもたし:「御子みこすでにさりましぬ。」
 皇后神功如此かく上幸之時のぼりいでまししとき香坂王かぐさかのみこ忍熊王おしくまのみこ聞而思將待取まちとらむ進出すすみいで斗賀野とがの,為祈獦宇氣比がり也。爾,香坂王登騰のぼり歷木而見者,大怒豬いかりゐ出,ほり歷木くぬぎ,即咋食くひはみき其香坂王。【○うけひ原文うけひ宇氣比以音。】
 其弟忍熊王おしくまのみこ不畏かしこまらず其態そのわざ興軍いくさをおこし待向まちむかへ之時,おもぶけ喪船,將攻空船むなしきふね。爾皇后神功自其喪船もふねおろしいくさ相戰あひたたかひき。此時,忍熊王以難波吉師部なにはのきしべおや伊佐比宿禰いさひのすくね將軍いくさのきみ太子ひづきのみこ御方みかた者,以和邇臣丸邇のおみ之祖難波根子武振熊命なにはねこ建ふるくまのみこと為將軍。【○伊佐比いさひ書紀作五十狹茅いさちたけ原文たけ。】
 故,追退おひそけ叛軍到山城山代之時,還立かへりたち旗鼓,おのおの不退しりぞかず相戰。しかくし武振熊命建ふるくまのみことはかり令云いはしむらく:「息長足姬命おきなが帶比賣のみこ者,既崩。故,無可べからず更戰さらにたたかふ!」即たち弓絃ゆづる欺佯いつはり歸服よりしたがひ【○欺佯いつはり原文欺陽いつはり。】
 於是,賊いくさのきみうけいつはりはづしをさめきつはもの。爾武振熊命たけふるくまのみこと頂髮中,採出とりいだし設弦まうけたるつる更張さらにはり追擊おひうちき。故,逃退にげそき逢坂あふさか對立むきたち亦戰。爾,追迫おひせめやぶり樂浪沙沙那美,悉きりきいくさ【○たきふさ原文頂髮たきふさ樂浪ささなみ原文ささなみ沙沙那美以音。】

 於是,其忍熊王おしくまのみこ伊佐比宿禰いさひのすくねともに被追迫,乘船ふねにのり浮海うみにうき。歌曰:

 すなはち,入うみ死也しにき

 故,武內宿禰命建うちのすくねのみことゐて太子ひづきのみこ,將為みそぎ近江淡海若狹國わかさのくに之時,於高志前越のみちのくち角鹿つぬが,造假宮かりみやいませき【○近江あふみ原文淡海あふみ高志こしこし。】
 爾,います其地去來紗別大神之命伊奢沙和氣おほかみ之みこと夜夢よるのいめ云:「欲以吾名あがなかへむ御子之御名みな。」爾,言禱ことほき白之まをし:「かしこし隨命みことのまにまに易奉かへまつらむ。」亦,其神去來紗別詔:「明日之旦あすのあした應幸いでますべしはまたてまつらむ易名之幣なをかふるまひ。」【○去來紗別いさざわけ原文いさざわけ伊奢沙和氣以音。言禱ことほき,接受易名而祝福。易名之幣なをかふるまひ,以神名交換太子之名諱。】
 故,其旦そのあした幸行いでまし于濱時,毀鼻はなをこほてる海豚入鹿魚,既よりき一浦ひとうら。於是,御子令白まをしめ于神云:「たまへり御食之魚みけのうを於我。」故亦たたへ御名,號御食津大神みけつおほかみ,故於今謂氣比大神けひのおほかみ也。亦,其海豚入鹿魚鼻血はなのちくさし。故なづけ其浦謂血浦ちぬら,今謂角鹿都奴賀也。【○海豚いるか原文入鹿魚いるか角鹿つぬが原文つぬが都奴賀以音。】

 於是,御子應神還上かへりのぼり之時,其御祖息長足姬命おきなが帶比賣のみこかみ待酒まちざけたてまつりき。爾,其御祖皇后御歌曰:【○みおや原文御祖みおや。】

 皇后如此歌かくうたひ而,獻大御酒おほみき。爾,武內宿禰命建うちのすくねのみこと御子みここたへ歌曰:

 此者,酒樂之歌さかくらのうた也。

 凡,足仲日子天皇帶中つひこのすめらみこと御年みとし伍拾貳歲いあまりふたとせ壬戌年みづのえいぬのとし六月みなづき十一日とをあまりひとひ崩也かむあがりき。】御陵みさざき,在河內かふち惠賀ゑが長江ながえ也。皇后おほきさき,御年一百歲ももとせ,崩。はぶりき狹城楯列陵さきのたたなみのみさざき也。】



宇美八幡宮 應神天皇降誕地


神功皇后拔裳絲釣年魚


武內宿禰懷應神幼帝像
按書紀,皇后聞忍熊王叛,命武內宿禰懷皇子,橫出南海。


逢坂山關址
忍熊王兵敗浮海歌:「去來吾股肱 將軍伊佐比 與其痛負振熊手 不若如鳰鳥 深潛近江淡海者 投身沒水入浪濤


越前國一宮 氣比神宮
去來紗別命,是為氣比大神。


血浦 氣比松原
血浦,後謂角鹿,今云敦賀也。

酒樂歌其一:「香醇此御酒 此御酒兮非吾釀 稜威神酒司 鎮坐非俗常世間 佇岩杜康神 少彥名命少御神 此其神壽祝 上壽起舞踊狂亂 此其豐壽祝 上壽起舞迴幾迴 所釀以獻來 醇美御酒矣 願請暢飲兮 然然其二:「香醇此御酒 釀此杜康御酒者 今豎鼓臼邊 以彼鼓鳴助杵歌 吟詠且歌誦 所以釀兮美酒哉 手儛且足蹈 所以釀兮美酒哉 醇美此御酒 實樂也 轉樂珍味矣 然然


仲哀天皇惠我長野西陵


應神天皇 輕島豐明宮趾
譽田別命坐輕嶋明宮,治天下。


譽田八幡宮
羽曳野譽田,則譽田真若王之封地。應神天皇於茲娶其女高木入姬命、中姬命、弟姬命三人。


藥師寺藏 仲津姬神像
中姬命皇后,是為仁德帝生母。


鹿兒島神宮攝社 四所神社
祭神大雀命、石姬命、荒田郎女、根鳥命。根鳥命娶淡道三腹郎女。


雌鳥皇女、隼別皇子像
女鳥王與速總別王相戀,不從仁德帝,且有異心。為皇軍所殺。


傳若沼毛二俣王墓
若沼毛二俣王,後娶其姨弟姬真若姬,生七子。其中,忍坂大中津姬為,允恭天皇皇后。


香黑姬系譜
香黑姬命,倭武命曾孫,適景行、應神二帝。或實二人而混淆為一,或記述有誤歟。既為景行帝玄孫而與景行帝生子,甚為可疑。


衣通姬像
或云通郎女為衣通姬原型之一。


守命營八幡神社
祭神,應神帝、大山守命。應神帝有立菟道稚郎子為太子之情。以大雀命為太子輔,執食國之政。任大山守命為山海之政,掌山川林野。大山守命覬覦天下,遂圖大逆。

二、相禪天位與大山守命叛亂

 譽田別命品陀和氣のみこと,坐輕嶌かるしま明宮あきらのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな應神天皇おうじんてんわう譽田別ほむだわけ原文ほむだわけ品陀和氣以音。】

 此天皇すめらみことめとり譽田真若王品它のまわかのみこむすめ三柱みはしら女王をみなみこ。一名高木入姬命たかぎ之いり日賣のみこと,次中姬命なかつ日賣のみこと,次弟姬命おと日賣のみこと【此女王等之ちち譽田真若王品它のまわかのみこ者,五百木入日子命いほき之いりびこのみこと,娶尾張連をはりのむらじおや武稻田宿禰建伊那陀のすくね之女後木刀婢志理都紀斗賣生子うみしこ者也。譽田ほむだ原文品它ほむだ武稻田たけいなだ原文建いなだたけ伊那陀,舊事紀作建稻種たけいなだね後木刀婢しりつきとめ原文しりつきとめ志理都紀斗賣以音,舊事紀作尾綱真若刀婢おつなまわかとべ。】
 故,高木入姬命たかぎ之いり日賣のみこと
  子,額田大中彥命ぬかたのおほなかつ日子のみこと
  次,大山守命おほやまもりのみこと
  次,去來真若命伊奢まわかのみこと【○去來いざ原文いざ伊奢以音。】
  次,いも大原郎女おほはらのいらつめ
  次,高目郎女こむくのいらつめ【五柱。高目郎女こむくのいらつめ書紀作澇來田皇女こむくたのひめみこ
 中姬命なかつ日賣のみこと
  御子,木荒田郎女き之あらたのいらつめ
  次,大雀命おほきざきのみこと【○仁德天皇にんとくてんわう。】
  次,根鳥命ねとりのみこと【三柱。】
 弟姬命おと日賣のみこと
  御子,阿倍郎女あへのいらつめ
  次,淡道三腹郎女阿貝知能みはらのいらつめ【○淡道あはぢ原文あはぢ阿貝知以音。】
  次,木菟野郎女き之うののいらつめ
  次,三野郎女みののいらつめ【五柱。○實則四柱。
 又,娶和邇日觸使主丸邇之比布禮能意富美之女宮主矢河枝姬みやぬしのやかはえ比賣【○和邇日觸使主わにのひふれのおみ原文丸邇之ひふれのおほみわにの比布禮能意富美。】
  生御子,宇治稚郎子宇遲能和紀のいらつこ【○宇治稚郎子うぢのわきいらつこ原文宇遲能和紀郎子うぢのわきいらつこ。】
  次,妹八田若郎女やたのわかいらつめ
  次,女鳥王めどりのみこ【三柱。】
 又,娶其矢河枝姬やかはえ比賣小甂郎女袁那辨のいらつめ【○小甂をなべ原文をなべ袁那辨以音。】
  生御子,宇治稚郎女宇遲之わかいらつめ【一柱。】
 又,娶咋俣長彥王くひまたなが日子のみこ之女息長真若中姬おきながまわかつ比賣
  生御子,若沼毛二俣王わかぬけのふたまたのみこ【一柱。】
 又,娶櫻井田部連さくらゐのたべのむらじおや島垂根しまたりね之女絲井姬いとゐ比賣
  生御子,速總別命はやぶさわけのみこと【一柱。】
 又,娶日向ひむか泉長姬いづみのなが比賣
  生御子者,大羽江王おほはえのみこ
  次,小羽江王をはえのみこ
  次,幡日之若郎女はたひのわかいらつめ【三柱。】
 又,娶香黑姬迦具漏比賣
  生御子,川原田郎女かはらだのいらつめ
  次,玉郎女たまのいらつめ
  次,忍坂大中姬おしさかのおほなかつ比賣
  次,通郎女登富志のいらつめ【○とほし原文とほし登富志以音。】
  次,堅遲王迦多遲王【五柱。堅遲かたぢ原文かたぢ迦多遲  又,娶葛城かづらき野某女野伊呂賣ののいろめ
  生御子,去來真稚王伊奢能麻和迦のみこ【一柱。野某女ののいろめ原文ののいろめ野伊呂賣去來真稚いざのまわか原文いざのまわか伊奢能麻和迦以音。
 此天皇應神御子みこ等,あはせ廿六王はたあまりむはしらのみこ男王をとこみこ十一とあまりひとはしら女王をみな十五とあまりいはしら。】
 此中このなか大雀命おほきざきのみこと者,しろしめし天下也。

 於是ここに天皇應神大山守命おほやまもりのみこと大雀命おほきざきのみこと詔:「汝等なむちら者,うつくしぶる兄子與弟子いづれか甚?」天皇すめらみこと所以ゆゑおこし是問このとひ者,有令宇治稚郎子宇遲能和紀のいらつこ天下あめのしたこころ也。】しかくし,大山守命まをし:「愛兄子えのこ。」次大雀命知天皇應神所問賜之大御情おほみこころ而白:「兄子者既成人ひとになりぬ,是無悒おほつかなきことなし弟子おとのこ者未成人,これ愛。」
 爾天皇應神のりたまはく:「佐耶岐吾君阿藝ことごとし所思おもふところ。」即詔別のりわき者:「大山守命,為山海之政やまうみのまつりごと。大雀命,とり食國をすくに之政以白賜まをしたまへ宇治稚郎子宇遲能和紀のいらつこ,所天津日繼あまづひつぎ,以承皇統也。」【○さざき原文さざき佐耶岐以音,對大雀命仁德之呼稱。吾君あぎ原文あぎ阿藝以音,表親暱之第二人稱。】
 故,大雀命おほきざきのみこと者,無違たがふことなし天皇之命すめらみことのみこと也。


宇治野
應神帝宇治野歌:「登野舉目望 今見千葉葛野矣 更見千百足 富足家庭村里者 國之秀兮映眼簾


矢川神社、木造女神像
矢川神社祭神大國主、矢川枝姬。
應神帝任矢河枝姬取盞而歌:「此蟹是何蟹 此蟹何處來 遙遙經百傳 敦賀角鹿蟹是也 彼蟹橫行去 所往欲至何處兮 著伊知遲島 復至美島著其島 猶如鳰鳥之 深潛息衝海人者 光階浮漂盪 樂浪漣道步彼路 闊步渡漣道 吾人今幸行者耶 在彼木幡道之上 偶遇所逢孃子矣 後姿甚妍麗 猶若小楯麗美兮 齒並形姣好 如椎似菱甚端整 今顧櫟井之 丸邇坂之埴土者 彼坂上端土 肌質色偏朱以赤 彼坂下底土 肌質色偏丹以黑 故以三津栗 取其中土而為用 頭衝火及顏 不以真火強當之 所成眉墨矣 以此眉墨畫眉垂 偶遇所逢女子矣 願得如斯哉 吾人所見佳人矣 願得如斯哉 吾人所見佳人矣 彌彌轉之概蓋而 向居得正面對哉 只冀添居能相伴


日向髮長媛像
應神帝指髮長姬歌其一:「去來孃子矣 速至野原親摘蒜 為往摘蒜者 吾所親行往之道 芳香馨撲鼻 春華飄香花橘生 今見其上枝 鳥居其上枯或散 再見其下枝 為人取兮枯或折 遂於三栗間 取其中枝者 初實綻明色 紅顏容光美孃子 吾欲誘邀彼孃子 邀之概宜兮其二:「清水渟溜兮 河內丹比依網池 不知其堰杙 堰杙深築打刺兮 不知其蓴繰 手採蓴菜已延兮 今觀吾心者 其愚後覺彌愚矣 後悔不已今誠惜
大雀命對髮長姬歌其一:「道後日向國 古波陀之孃子者 美名若神鳴 久聞震耳豈能料 竟得交枕共相眠其二:「道後日向國 古波陀之孃子者 汝不拒不爭 還迎吾兮共相寢 實感心麗慕清清


淨見原神社 吉野國栖奏
吉野國主訟大雀命刀歌:「譽田天皇之 天日繼御子 大雀大鷦鷯 鷦鷯大雀命 所佩腰間太刀者 刀本吊腰間 刀末垂振矣 譬猶冬木之 落葉素幹下枝者 冴冴爽爽
吉野國主獻醴歌:「白檮植生處 白檮生所作橫臼 於此橫臼間 所釀酩醴大御酒 其味甘而美 敬請饗兮飲御酒 吾等主君矣

 一時,天皇應神越幸こえいでまし近江國ちかつ淡海のくに之時,御立みたち宇治野う遲の上,望葛野かづの,歌曰:

 故,天皇到坐いたりまし木幡村こはたのむら之時,あひき麗美孃子うるはしきをとめ於其道衢ちまた。爾,天皇應神問其孃子をとめ曰:「なむち者,誰子たがこ?」こたへ白:「和邇日觸使主丸邇之比布禮能意富美むすめ宮主矢河枝姬みやぬしのやかはえ比賣。」天皇すなはち詔其孃子:「あれ明日あす還幸之時かへりいでまさむとき,欲いり汝家なむちがいへ。」故,矢河枝姬やかはえ比賣かたりき委曲つばらひか於父。於是,父答曰:「是者これは天皇すめらみこと那理なり原文なり那理以音。】恐之かしこし我子あがこ仕奉つかへまつれ。」云而嚴餝かざり其家,候待さもらひまて明日あくるひ天皇應神入坐いりましき。故たてまつり大御饗おほみあへ。時其女そのむすめ矢河枝姬命やかはえ比賣のみこと令取とらしめ大御酒盞おほみさかづき而獻。於是,天皇應神ながら令取其大御酒盞而御歌みうた曰:

 如此かく御合みあひ,同衾共枕。
  生御子みこ宇治稚郎子宇遲能和紀のいらつこ也。

 天皇應神聞看きこしめし日向國ひむかのくに諸縣君もろあがたのきみ之女髮長姬かみなが比賣,其顏容かたち麗美うるはし將使つかはむ喚上めしあげし。時太子おほみこ大雀命おほきざきのみこと,見其孃子をとめ泊于難波津なにはつ姿容かたち端正きらぎらし,即誂告あとらへてのらし武內宿禰大臣建うちのすくねのおほおみ:「是より日向喚上之髮長姬かみなが比賣者,請白こひまをし天皇すめらみこと大御所おほみもと令賜たまはしめあれ。」爾,武內宿禰建うちのすくね大臣請大命おほみこと者,天皇應神即以髮長姬かみなが比賣たまひき于其御子大雀命。所賜狀たまへるかたち者,天皇應神聞看きこしめす豐明とよのあかり之日,令髮長姬かみなが比賣大御酒柏おほみきのかしは,賜其太子大雀命。爾,天皇すめらみこと御歌曰:【○めで原文めで豐明とよのあかり,酒宴也。】

 又御歌みうた曰:

 天皇應神如此うたひ賜也たまひき。故大雀命被賜たまはり孃子をとめのち太子大雀命歌曰:

 太子大雀命又歌曰:

 又,吉野よしの國主くにす等,みて大雀命おほさざきのみこと所佩はける御刀みはかし,歌曰:

 國主等又於吉野よしの白檮上かしのうへ橫臼よくす,而於其橫臼かみ大御酒。たてまつり大御酒おほみき時,うち口鼓くちつづみわざ而歌曰:

 此歌者,つね至于いま國主等くにすら大贄おほにへ時時ときとき詠之歌うたふうた者也。


劍池 石川池
劍池今石川池,韓人池今唐古池。百濟池傳在北葛城郡廣陵町百濟。


王仁博士像、傳王仁墓
應神帝御世,阿知吉師、王仁吉師等來朝,宇治稚郎子師之。

應神帝酣飲須須許理獻醴歌:「須須許理矣 仁番所釀大御酒 我飲酩醴為酣醉 無事安平酒 歡愉莞爾酒 杜康令我甚酩酊


大坂 穴蟲峠
堅石避醉人,指莫理會醉人。


宇治川
稚郎子聞大山守命叛,伏兵河邊。


簀橋 簀子
弟王塗滑汁於船簀,設穽令仆。

大山守命墮河歌:「千早振稜威 今立菟道渡濟間 執棹掌槳者 汝得操船諳激流 速來助吾為我仲


考羅崎 宇治川下游

宇治稚郎子視大山守命屍歌:「千早逸靈威 宇治渡兮渡濟場 渡瀨渡手者 今立其濟兮 梓弓良材檀木矣 心欲以伐之 吾心縱雖有此思 心欲以取之 吾心縱雖有此思 立於根邊者 憶汝大山守命矣 立於梢邊者 憶汝大山守妹妻 惻隱苛甚矣 偲於其處不忍伐 悲傷愛憐矣 偲於此處不忍取 故不伐之來歸者 梓弓良才檀木矣


大山守命 那羅山墓
大山守命謀反失敗墮水。宇治稚郎子撈出其骨,葬那羅山。


宇治宮 宇治上神社


赤留姬命神社
新羅民女晝寢御子沼,生赤玉。赤玉化作美女,稱明姬。


難波姬社社 比賣許曾神社
古事記、書紀皆云明姬留難波,為姬社社祭神。延喜式神名帳云姬社社祀下照姬,住吉郡赤留姬神社祀明姬。或云明姬、下照姬同神。


天日矛覓妻渡來路線圖
天日矛聞明姬遁日本,追來而為難波渡神所阻,更還而留于但馬。


安羅神社 天日槍命暫住聖蹟碑
按書紀天日矛嘗暫住近江吾名邑。


出石神社藏 天日槍開拓但馬圖
天日矛娶但馬俣尾之女前津見,留之。為開拓但馬之功臣。


但馬國一宮 出石神社
天日矛將來葉細珠、足高珠、振浪領巾、切浪領巾、振風領巾、切風領巾,奧津鏡、邊津鏡等八種神寶,為出石之八前大神。


出石温泉館 乙女之湯
以出石娘子故事為名之溫泉。


八目荒籠
竹織編目荒麤之籠。于茲合荒籠、河石、鹽、竹葉,以為咒詛。


若沼毛二俣王妃 弟姬真若姬命墓
真若姬,亦名百磯城某辨。


陣座谷古墳
傳與允恭帝皇后忍坂大中津姬命御名代之刑部氏有關。


譽田八幡宮 放生橋
譽田八幡宮與應神帝陵隔放生橋。


應神天皇 惠我藻伏岡陵
應神帝御陵,在河內惠賀之裳伏岡。與譽田八幡宮比鄰。

 此之應神御世みよ定賜さだめたまひき海部あまべ山部やまべ山守部やまもりべ伊勢部いせべ也。亦作劍池つるぎのいけ。亦新羅人しらきのひと參渡來まゐわたりきたり,是以武內宿禰命建うちのすくねのみこと引率ひきゐて渡之堤池わたりのつつみのいけ,而作百濟池くだらのいけ
 亦百濟國主くだらのくにぎみ照古王せうこわう,以牡馬をま一疋ひとつ牝馬めま一疋,つけ阿知吉師あちきし貢上たてまつりき【此阿知吉師者,阿直史あちきのふひと等之祖。】亦貢上橫刀たち大鏡おほかがみ
 又科賜おほせたまひ百濟國くだらのくに:「もし賢人さかしきひと者,貢上たてまつれ。」故,受命みことをうけ以貢上王仁和邇吉師きし。即論語ろにご十卷とまき千字文せにじもに一卷,あはせ十一卷,付是人このひと貢進たてまつりき【此王仁和邇吉師者,文首ふみのおびとおや王仁わに 原文和邇わに又貢上技師手人韓鍛からかぬち卓素たくそ,亦吳服くれはとり西素さいそ二人也。【○技師てひと原文手人てひと,技術者。】
 又秦造はだのみやつこ之祖、漢直あやのあたひ之祖,及知釀酒人さけをかむことをしれるひと,名仁番にほ,亦名須須許理すすこり等,參渡來也。故,是須須許理,かみ大御酒以獻。於是,天皇應神酣飲宇羅宜是所獻之大御酒おほみき而御歌曰:【○知釀酒さけをかむ人,擁有新式釀酒技術者。酣飲うらげ原文うらげ宇羅宜以音,心揚うらあげ之略,うら怡飄飄然之狀。】

 天皇應神如此歌而幸行時いでまししとき,以御杖みつゑ大坂おほさか道中みちなか大石おほきいは者,其石走避はしりさりき。故,ことわざ云:「堅石かたしはさる醉人ゑひひと也。」

 故天皇應神崩之後かむあがりしのち大雀命おほさざきのみこと天皇之命すめらみことのみこと,以天下ゆづりき宇治稚郎子宇遲能和紀のいらつこ。於是,大山守命おほやまもりのみこと たがひ天皇之命,なほえむ天下,有ころさむ弟皇子宇治稚郎子こころひそかまうけいくさ將攻せめむとしき
 大雀命おほさざきのみこと其兄大山守命備兵,即つかはし使者つかひ令告つげしめき宇治稚郎子宇遲能和紀のいらつこ。故王子宇治稚郎子聞驚ききおどろき,以いくさふせき河邊かはのへ。亦はり絁垣きぬがきたて帷幕あげはり於其山之うへ,以舍人とねりいつはりみこ狀,あらは吳床あぐら百官もものつかさ恭敬ゐやまひ往來之狀かよふかたちすでに王子みこ坐所いますところ
 更為其兄王大山守命渡河之時,具餝そなへかざりき舳艫。ふねかぢ者,つき真葛佐那かづら,取其汁滑しるのなめぬり船中ふねのうち簀橋す椅まうけふむ應仆たふるべく。而其王子宇治稚郎子者,布衣ぬののきぬはかま,既為賤人いやしきひとかたちとりたちき船。【○さな原文さな佐那以音。簀橋すばし原文簀椅すばし。】
 於是,其兄王大山守命隱伏かくしふせ兵士いくさ衣中きぬのうちよろひ,到於河邊かはのへ,將乘船。時のぞみ嚴餝之處かざれるところ以為おもひ弟王宇治稚郎子坐其吳床あぐら,都不知しらずかぢ而立船。即問其執檝者かぢとり曰:「傳聞つたへききつ茲山このやま忿怒之大豬いかれるおほきゐ。吾おもふとらむ其豬。若えむ其豬?」執檝者宇治稚郎子答:「不能也あたはじ。」兄王大山守命亦問曰:「何由なにのゆゑ?」答曰:「時時ときどき也,往往ところどころ也。雖為すれども取而不得えず是以ここをもちまをし不能也。」渡到河中かはなか之時,令傾かたぶけしめ其船。兄王大山守命墮入おとしいれき水中みづのなか。爾すなはち浮出うきいで隨水みづのまにまに流下ながれくだりき。即流而歌曰うたひていはく

 於是,伏隱ふしかくり河邊之いくさ彼廂かなた此廂こなた一時共もろとおもおこり矢刺而流やさしてながしき。故兄王大山守命考羅崎訶和羅之前沈入しづみいりき。故,以かぎさぐる沈處しづみしところ者,かかり衣中甲きぬのうちのよろひ鏦錚訶和羅なりき。故なづけ其地謂考羅崎訶和羅前也。爾,掛出かけいだしかばね之時,弟王おとみこ歌曰:【○鏦錚かわら原文かわら訶和羅以音,鎧甲觸鉤之聲。考羅崎かわらのさき原文訶和羅前かわらのさき。】

 故,其大山守命おほやまもりのみことかばね者,はぶりき那羅山那良やま也。この大山守命者,土形君ひぢかたのきみ幣岐君へきのきみ榛原君はりはらのきみ等之おや【○那羅なら原文那良なら。】

 於是,大雀命おほさざきのみこと宇治稚郎子宇遲能和紀のいらつこ二柱ふたはしらおのおのゆづれる天下あめのした。其あひだ海人あまたてまつりき大贄おほにへ。爾大雀命いなび之,令貢於おと稚郎子亦辭而令貢たてまつらしめ相讓之間あひゆづれるあひだ,既へぬ多日あまたのひ如此かく相讓,あらず一二時ひとたびふたたび【○按,時大雀命坐難波宮なにはのみや,而宇治稚郎子坐宇治宮うぢのみや。】
 かれ海人,既つかれ往還ゆきかへり泣也なきき。故ことわざ曰:「海人乎あまなれやより己物おのがものなく也。」しかれども宇治稚郎子宇遲能和紀のいらつこ者,はやく。故大雀命おほさざきのみこと者,しろしめし天下也。【○仁德天皇にんとくてんわう。】

 又,むかし新羅國主しらきのくにぎみ天之日矛あめのひほこ。是人,參渡來也まゐわたりきたり所以ゆゑ參渡來者,新羅國有一ぬま,名謂御子沼阿具奴摩。此沼之,一賤女いやしきをみな晝寢ひるね。於是,日耀ひのひかり如虹にじのごとくさしき陰上ほと。亦有一賤夫いやしきを,思けし其狀,つねにうかかひき女人をみなわざ【〇御子沼あぐぬま,原文あぐぬま阿具奴摩以音。御子アグ則朝鮮語吾君アギ之轉,小兒也。】
 故,是女人より晝寢時妊身はらみ,生赤玉あかきたま。爾其所伺うかかへる賤夫,乞取こひとり其玉,恒つつみこし。此人,つくれり田於山谷たに之間。故以一うしおほせ耕人たひと等之飲食くらひものいる山谷之中,遇逢あひき國主くにぎみ之子天之日矛あめのひほこ。爾天之日矛とひ其人曰:「なにぞ汝使うし飲食くらひものはいる山谷?かならず殺食ころしてはまむ是牛!」即とらへ其人,將入いれむとしき獄囚ひとや。其人答曰:「あれ非殺牛,ただ田人之食たひとのくらひもののみ。」然なほ不赦ゆるさずしかくしとき其腰之玉,國主くにぎみ之子。【〇まひなひき原文まひなひき。】
 故天之日矛ゆるし賤夫いやしきを將來もちき其玉,置於床邊とこのへ,即なりき美麗孃子うるはしきをとめすはなちあひ,為嫡妻むかひめ。爾其孃子,つねにまうけ種種くさぐさ珍味うましもの,恒令其夫はましめき。故其國主之子天之日矛心奢こころおごりのる妻。其女人をみな言:「おほよそ吾者,あらず應為なるべき汝妻なむちがめをむな將行ゆかむ吾祖之國あがおやのくに!」即ひそかに小船をぶね逃遁渡來にげわたりきとどまりき難波なには【此者,坐難波之姬社社比賣碁曾のやしろ,謂明姬神阿加流比賣のかみ也。姬社ひめごそ原文ひめごそ比賣碁曾以音。明姬あかるひめ,延喜式云攝津國東成郡姬社比賣許曾神社,亦號下照姬したてる比賣

 於是天之日矛,聞其妻にげし,乃追渡來おひわたりき將到いたらむ難波之間,其わたり之神,ふさぎ不入いれず。故更還さらにかへりはてき但馬國多遲摩のくに。即とどまり其國而めとり但馬多遲摩俣尾たまを之女前津見さきつみ【○但馬たぢま原文たぢま多遲摩以音。】
  生子,但馬諸助多遲摩母呂須玖【○諸助もろすく原文もろすく母呂須玖以音。】
   此之子,但馬斐泥多遲摩ひね
    此之子,但馬日楢杵多遲摩比那良岐【○日楢杵ひならき原文ひならき比那良岐以音。】
     此之子,田道間守多遲麻毛理【○田道間守たぢまもり原文たぢまもり多遲麻毛理以音,語見垂仁記。】
     次,但馬日嵩多遲麻比多訶【○日嵩ひたか原文ひたか比多訶以音。】
     次,清彥きよ日子【三柱。】
     此清彥きよ日子,娶當麻たぎま咩斐めひ【○當麻たぎま原文當摩たぎま。】
      生子,菅之諸男酢鹿のもろを【○すが原文すが酢鹿以音。】
      次,いも菅竈由良度美すがかまゆらどみ
      故,上云但馬日嵩多遲麻比多訶娶其めひ由良度美ゆらどみ
       生子,葛城かづらき高額姬命たかぬか比賣のみこと【此者,息長足姬命おきなが帶比賣のみこと御祖おも原文御祖みおや

 故天之日矛持渡來物もちわたりこしもの者,云玉津寶たまつたから而,たま二貫ふたつら,又振浪領巾なみふる比禮切浪領巾なみきる比禮振風領巾かぜふる比禮切風領巾かぜきる比禮,又奧津鏡おきつかがみ邊津鏡へつかがみあはせ八種やくさ也。【此者,出石伊豆志八前大神やまへのおほかみ也。領巾ひれ原文ひれ比禮以音。出石いづし原文いづし伊豆志以音。

 故,茲神出石八前大神之女,出石娘子神伊豆志袁登賣のかみ坐也いましき【○出石娘子いづしをとめ原文いづしをとめ伊豆志袁登賣以音。】
 故,八十神やそかみ雖欲おもへども得是出石娘子伊豆志袁登賣,皆不得婚あふことえず。於是,有二神ふたはしらのかみ兄號えのな秋山之下緋壯夫あきやまのした冰をとこ弟名おとのな春山之霞壯夫はるやまのかすみをとこ。故,其兄いひ其弟:「吾雖乞こへども出石娘子伊豆志袁登賣而不得婚,汝えむ此孃子?」答曰:「易得也やすくえむ。」爾,其兄曰:「もしなむち得此孃子をとめ者,吾さり上下衣服かみしものころもはかり身高みのたけかまむ甕酒みかのさけ。亦山河之物やまかはのものことごとく備設そなへまうけ。以為賭誓宇禮豆玖賭誓うれづく原文うれづく宇禮豆玖以音,下效此。下緋したひ原文下冰したひ,草木紅葉之狀。云爾いふことしかり
 爾其弟ごとく兄言えのことつぶさまをす其母。即其母そのはは藤蔓布遲つら一宿之間ひとよのあひだ織縫おりぬひき衣、褌及したぐつくつ,亦作弓矢ゆみや,令弟神きぬはかま等,令取とらしめ其弓矢,遣其孃子之家をとめのいへ【○ふぢ原文ふぢ布遲以音。】
 時其弟神衣服ころも及弓矢,ことごとく藤花ふぢのはな。於是,其春山之霞壯夫はるやまのかすみをとこ,以其弓矢,かけき孃子之かはや。爾,出石娘子伊豆志袁登賣思異けしとおもひ其花,將來もちくる之時,弟神輙たち其孃子之しりへいり,即あひき。故,うみき一子ひとりのこ也。
 爾,弟神白まをし其兄曰:「吾えたり出石娘子伊豆志袁登賣。」於是,其兄下緋壯夫慷愾うれたみ弟之婚,以不償つくのはず賭誓宇禮豆玖之物。爾弟神霞壯夫愁白うれへまをし其母。時御祖答曰:「我御世わがみよ之事,當能以よく許曾習神かみをならはめ。又豈ならへ現世青人草宇都志岐あをひとくさ乎?竟不償つくのはぬ其物!」遂うらみ兄子えのこ【○當能以習神,又豈習現世青人草乎?此云背信乃凡人之行,非神之當業。現世青人草うつしきあをひとくさ,顯見蒼生。現世うつしき原文うつしき宇都志岐以音。】
 母神乃取其出石河伊豆志かは河嶋かはしま一節竹ひとよだけ,而作八目之荒籠やめのあらこ。取其河石かはのいしあへしほつつみ竹葉たけのは,令とご:「ごとく此竹葉あを,如此竹葉しなゆる青萎あをみしなえよ!又如此盈乾みちふる盈乾みちひよ!又如此いししづむ沈臥しづむふせ!」如此令詛かくとごはしめおききけぶり竈之うへ【○しほ原文しほ。】
 是以其兄下緋壯夫八年やとせ之間,干萎病枯ひしなえやみかれ。故其兄患泣うれへなき,請其御祖者,即令返かへさしめき詛戶とごひと。於是其身そのみ,如もと安平也やすくたひらけし【此者,神賭誓宇禮豆玖之言本者也。】

  又,此譽田品陀天皇之御子若沼毛二俣王わかぬけのふたまたのみこめとり其母百磯城某辨もも師木伊呂べ,亦名弟姬真若姬命おとひめまわか比賣のみこと【○若沼毛わかぬけ原文若野毛わかのけ,此依上文改之。百磯城某辨もも師木伊呂べ原文百師木伊呂辨ももきしいろべ。】
   生子,大郎子おほいらつこ。亦名大大迹王意富富杼のみこ【○大大迹おほほど原文おほほど意富富杼以音。】
   次,忍坂大中津姬命おしさか之おほなかつ比賣【○允恭帝皇后。】
   次,田井中姬たゐ之なかつ比賣
   次,田宮中姬たみや之なかつ比賣
   次,藤原琴節郎女ふぢはら之ことふしのいらつめ
   次,取賣王とりめのみこ
   次,沙禰王さねのみこ【七王。】
   故,大大迹王意富富杼のみこ者,三國君みくにのきみ秦君波多のきみ息長坂君おきながのさかのきみ酒人君さかひとのきみ山道君やまぢのきみ筑紫末多君つくし之めたのきみ布勢君ふせのきみ等之祖也。【○はた原文はた波多以音。】

  又,根鳥王ねとりのみこ庶妹ままいも三腹郎女みはらのいらつめ
   生子,中彥王なかつ日子のみこ
   次子,伊和島王いわしまのみこ【二柱。】

  又,堅石王かたしはのみこ之子者。【○系譜未詳,不見於前。】
   曰,久奴王くぬのみこ也。

 凡,此譽田天皇品陀のすめらみこと御年みとし壹佰參拾歲ももあまりみそとせ甲午年きのえうまのとし九月ながつき九日ここぬかあむあがりき。】御陵,在河內川內惠賀ゑが裳伏岡もふしのをか也。【○河內かふち原文川內かふち。】

【古事記中卷 始神武天皇,人皇御宇。迄應神帝治世,河內朝嚆矢。 終 】

[古事記下卷] [久遠の絆] [再臨詔]


  1. 고사기(상)
  2. 고사기(중)
  3. 고사기(하)

한퓨쳐 / 역사자료실