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新訂 古事記 下卷

古事記 下卷


天皇御世


仁德天皇 難波高津宮跡


詠葛城襲津彥萬葉歌碑 2639


日本歷史掛圖 雄略帝后獎勵養蠶
幡梭若郎女,適雄略帝為皇后。


茨田堤碑
仁德帝御世作茨田堤并屯倉、和邇池、依網池,堀難波堀江。


仁徳帝登高臺望炊煙圖
帝登甘檻山,望烟撫民,停課役三年。後國中滿烟,是知人民富足。

一、望烟撫民

 大雀命おほさざきのみこと,坐難波なには高津宮たかつみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな仁德天皇にんとくてんわう。】

 此天皇仁德めとり葛城襲津彥かづらき之曾都毘古之女石之姬命いはの日賣のみこと大后おほきさき襲津彥そつひこ原文そつひこ曾都毘古以音。
  生御子,大兄去來穗別命おほ江之伊耶本和氣のみこと【○履中天皇りちゅうてんわん大兄去來穗別おほえのいざほわけ原文大江之伊耶本和氣おほえのいざほわけ。】
  次,墨江中王すみのえ之なか津みこ
  次,蝮瑞齒別命たぢひ之水はわけのみこと【○反正天皇はんぜいてんわうみづ原文みづ。】
  次,男朝津間若子宿禰命を淺つまわくごのすくねのみこと四柱よはしら允恭天皇いんぎょうてんわうあさ原文あさ
 又,娶上云應神記日向ひむか諸縣君牛諸もろあがたのきみうしもろ之女髮長姬かみなが比賣
  生御子,幡梭大郎子波多毘能おほいらつこ,亦名大日下王おほくさかのみこ【○幡梭はたびの原文はたびの波多毘能以音,下效此。】
  次,幡梭若郎女波多毘能わかいらつめ,亦名長目姬命ながめ比賣のみこと,亦名若日下部命わかくさかべのみこと二王ふたはしらのみこ○亦名若日下王。
 又,娶庶妹ままいも八田若郎女やたのわかいらつめ
 又,娶庶妹宇治稚郎女宇遲能若いらつめ。此之二柱,無御子みこ也。【○宇治稚うぢのわか原文宇遲能若うぢのわか。】
 おほよそ,此大雀天皇おほきざきのすめらみこと御子みこ等,并六王。男王をとこみこ五柱,女王をみなみこ一柱。】

  故,去來穗別命伊耶本和氣のみこと者,しろしめし天下也。
  次,蝮瑞齒別命たぢひ之水はわけのみことまた治天下。
  次,男朝津間若子宿禰命を淺つまわくごのすくねのみこと,亦治天下也。

 此天皇仁德御世みよ,為大后おほきさき石之姬命いはの日賣のみこと御名代みなしろ,定葛城部かづらきべ。亦為太子ひづきのみこ去來穗別命伊耶本和氣のみこと之御名代,さだめ壬生部みぶべ。亦為瑞齒別命水はわけのみこと之御名代,定蝮部たぢひべ。亦為大日下王おほくさかのみこ之御名代,定大日下部おほくさかべ。為若日下部王わかくさかべのみこ之御名代,定若日下部わかくさかべ
 又,えだて秦人はだひと茨田堤うまらたのつつみ茨田屯倉うまらたの三宅,又作和邇池丸邇のいけ依網池よさみのいけ【○屯倉みやけ原文三宅みやけ和邇わに原文丸邇わに。】ほり難波之堀江なにはのほりえとほし海,又堀小椅江をばしのえ,又定墨江之津すみのえのつ

 於是,天皇仁德のぼり高山たかきやま四方之國よものくに,詔之:「於國中くにのうちけぶり不發たたず,國皆貧窮まづし。故,自今いまより以後,至于三年みとせことごとくおけ人民おほみたから課役えつき。」是以,大殿おほとの破壞やぶれこほれ,悉雖雨漏あまもれかつて修理つくろふ。唯以はこ受其漏雨もれるあめ遷避うつりさりき不漏處もらぬところ
 のち見國中,於國滿みちき烟。故以為おもひ人民おほみたから殷富とめり,今復おほせき課役。是以,百姓おほみたからさかえ不苦くるしびず役使えだち。故たたへ御世みよいふ聖帝世ひじりのみかどのよ也。


東高津宮 祀仁德帝、石姬皇后
仁德皇后石之姬命,以善妒著稱。

帝望黑姬出船歌:「臨高望沖方 小船林立並連綿 濡烏黑鞘之 親愛美兒我妹子 今將歸國發船行
仁德帝幸淡道島遙望歌:「日光押照矣 出航發自難波崎 吾今發船幸 立淡道島望吾國 見之乎淡島 復見淤能碁呂島 亦見之檳榔 叢生植生島 八十離島悉觀覽


吉備國 黑媛塚古墳
傳被葬者即仁德帝所寵愛之黑姬。

帝到採菘處歌:「山縣山方地 所蒔種植青菜矣 若得與吉備 佳人孃子共摘者 蓋當心滿樂無窮
帝罷歸時黑姬獻歌其一:「今向大和方 西風起兮強吹拂 雲因以離兮 其雲雖因風退居 妾身何忘夫君情其二:「今向大和方 啟行伊人誰夫歟 彼是吾夫矣 隱處下延竊通心 逢瀨離兮誰夫歟


八田若郎女 宇和奈邊陵墓
仁德帝伺石之姬皇后為豐樂宴幸紀伊時,婚八田若郎女。


仁德帝石之姬皇后平城坂上陵
大后恨天皇迎娶八田若郎女,泝難波堀江而居山城。

仁德帝、石之姬志都歌其一:「苗木繼根生 繼根生兮山代河 今溯其河者 吾躬溯河逆流上 在其河隈隈 茂生繁殖欣向榮 躑躅烏草樹 於彼烏草樹之木 在其木之下 茂生繁殖欣向榮 常綠葉廣兮 齋真椿木海石榴 猶彼椿木花 普耀遍照大八洲 猶彼椿木葉 茂惠廣蔭繁秋津 聖王大君如是哉其二:「苗木繼根生 繼根生兮山代河 我溯難波宮 青丹精良兮 奈良那羅山已過 小楯山代國 山城大倭亦過之 何謂寡人欲見國 青柳葛城國高宮 吾家之畔吾宮邊其三:「追及山代兮 追兮舍人鳥山君 追及復追及 速速追至吾愛妻 追及令吾得相逢其四:「三輪御諸山 位彼山上高城兮 大豬子棲野原矣 顧其大豬子 腹中肝在矣 與肝相對兮 心哉唯有彼心者 豈能忘情不相思其五:「苗木繼根生 繼根生兮山代女 彼女持木鍬 掘土鋤壤摘大根 其根素且白 一如佳人腕白晰 若未與之共纏綿 可訴不識然不得


山背筒城宮址
大后石之姬命所避筒城宮。天皇遣使口子臣,大不予見,跪于庭中,水潦漬腰,口姬憐兄,流涕獻歌。
口姬憐兄浸衣歌:「山城山代國 山代筒木宮之中 伏庭欲申謁 見此吾兄水潦衣 不覺涕泣落淚下


日本最初外國蠶飼育舊跡
三色奇蟲,桑蠶是也。匐蟲、殼、飛鳥各指蠶、蛹、蛾。奴理使主獻計,令天皇親臨,與皇后講和。

志都歌 其六:「苗木繼根生 繼根生兮山代女 彼女持木鍬 掘土鋤壤摘大根 爽爽音騷然 以承汝言嘖頻頻 大勢從者來 猶若八桑展枝葉 眾來謁見共參迎

八田野
傳仁德帝、八田若郎女應歌之地。若郎女亦名八田皇女、矢田皇女。

仁德帝戀八田若郎女歌:「八田若郎女 八田地生一本菅 無子無相伴 孤獨伶立至枯荒 惜矣八田彼菅原 今吾贈此言 口言雖訴彼菅原 心實惜甚貞清女答歌:「八田若郎女 八田地生一本菅 縱彼孤立至枯荒 若聞大君言 一人獨居亦可者 無子無伴不悔惜

 仁德大后おほきさき石之姬命いはの日賣のみこと甚多いとおほし嫉妒うはなりねたみ。故天皇所使つかへるみめ者,不得えずのぞむ宮中みやのうち。若有言立者ことだつれば,大后即頓足跺步而足母阿賀迦邇嫉妒。【○頓足跺步足母阿賀迦邇原文足もあがかにあし母阿賀迦邇あしあがかに。言立ことだつ,言及特別之事。】
 爾,天皇仁德聞看きこしめし吉備海部直きびのあまべのあたひむすめ黑姬くろ日賣,其容姿かたち端正きらぎらし喚上めしあげ使也つかひき。然黑姬くろひめかしこみ大后石之姬ねたむ逃下にげくだりき本國もとつくに天皇すめらみこと高臺たかきうてな望瞻のぞみみ黑姬くろ日賣船出ふなのいで浮海うみにうかべる,以歌曰:

 故大后石之姬,聞こ之御歌みうた大忿おほきにいかりつかはし人於大浦おほうら追下おひおろし自步かちより追去おひさりき。於是天皇仁德こひ黑姬くろ日賣あざむき大后おほきさき曰:「おもふ淡道嶋あはぢのしま。」而幸行之時いでまししときいまし淡道嶋,遙望はるかにのぞみ歌曰:

 乃自其島淡道繼越幸行いでましき吉備國きびのくに【○繼越原文島傳しまつたひ,此云自淡道島經由諸多小島輾轉航向目的地。】爾,黑姬くろ日賣,令天皇仁德大坐おほまし其國之山方地やまがたのところ,而たてまつりき大御飯おほみけ。於是,黑姬くろひめにむ大御羹おほみあつものとる其地之菘菜たかな。時天皇すめらみこと到坐いたりまし孃子をとめ之採たかな處,歌曰:

 天皇仁德返京上幸のぼりいでます之時,黑姬くろ日賣御歌みうた曰:

 又,歌曰うたひていはく

 自此これより後時のち大后石之姬將催豐樂宴とよのあかり,幸行紀國木のくに,採御綱柏みつながしは為觴。其間,天皇仁德あひき八田若郎女やたのわかいらつめ【○紀國きのくに原文木國きのくに。】
 於是ここに大后おほきさき以御綱柏積盈つみみて御船みふね還幸かへりいでます。時所驅使おひつかはゆる水取司もひとりのつかさ吉備國兒島郡こしまのこほり仕丁よほろこれ退まかる己國おのがくにあひき所後おくれたる倉人女くらひとめ之船於難波なには大渡おほわたり。乃かたり云:「天皇仁德者,比日このころ婚八田若郎女而晝夜ひるよる戲遊たはぶれあそぶもし大后不聞看きこめさぬ此事乎?竟靜遊しづかにあそび幸行?」爾其婢女倉人女聞此語言かたること,即追近おひちかづき大后御船みふね白狀まをすかたちつぶさに仕丁よほろこと【○倉人女くらひとめ,侍奉皇后近側之婢女。婢女つかひめ原文倉人女くらひとめ。】
 於是,大后石之姬大恨怒おほきにうらみいかりことごとく投棄なげうてきのせたる其御船之御綱柏みつながしはうみ。故なづけ其地そこ,謂御津前みつのさき也。大后即不入坐いりまざす宮而引避ひきさり其御船,さかのぼり堀江ほりえまにまに山代川上幸のぼりいでましき山城山代。此時,歌曰:【○山城やましろ原文山代やましろ。所溯山代川者,今木津川。】

 即自山城山代迴,到坐いたりまし奈良山口那良のやまぐち,歌曰:【○奈良なら原文那良なら以音。】

 大后石之姬如此かく歌而還,しまらく入坐筒木つつき韓人からひと奴理使主ぬり能美いへ也。【○使主のみ原文能美のみ以音。】
 天皇仁德聞看其大后自山城山代上幸,使つかはし舍人とねり鳥山とりやまおくり御歌:

 又つぎ和邇臣口子丸邇のおみくちこ而歌曰:【○和邇わに原文わに丸邇以音。】

 また,歌曰:

 故,是口子臣くちこのおみ白此御歌之時,大雨おほきあめふりき。爾口子臣不避さらず其雨,參伏まゐふせ前殿戶まへのとのと者,大后たがひ後戶しりへのと。參伏後殿戶しりへのとのと者,違いで前戶まへのとしかくし匍匐はらばひ進赴すすみおもぶきひざまづきし庭中にはなか時,水潦にはたづみこし其臣口子臣きたり青摺衣あをずりのきぬつけたる紅紐くれなゐのひも,故水潦ふれ紅紐,あをきかはりき紅色。
 其口子臣之いも口姬くち日賣仕奉つかへまつれり大后おほきさき。見其兄沾雨,故この口姬くち日賣,流涕歌曰:

 爾大后石之姬口姬所由ゆゑ之時,口姬くちひめ答白:「僕之兄やつかれがせ口子臣くちこのおみ也。」於是ここに口子臣,亦其妹口姬くち比賣,及奴理ぬり使主能美三人みたりはかり而,令奏天皇仁德云:「大后おほきさき所以ゆゑ幸行いでませる者,欲見奴理使主ぬり能美之所養蟲かへるむし也。此蟲者,一度ひとたび匐蟲はふむし,一度為かひご,一度為飛鳥とぶとり,有かはる三色みくさ奇蟲あやしきむし。大后看行みそこなはさむ此蟲而入坐爾いりませらくのみさらに異心けしこころ。」如此奏かくまをし時,天皇すめらみこと詔:「然者しからばあれ亦思奇異あやし。故欲見行みにゆかむ。」【○三色奇蟲みくさのあやしきむし,幼蟲、まゆ等三種幻化之蟲,是即かひこ也。三人見情狀膠著,遂獻計令天皇仁德親臨。】
 天皇自大宮高津宮上幸行のぼりいでまし,入坐奴理使主ぬり能美之家。時其奴理使主ぬり能美たてまつりき所養かへる三種蟲みくさのむし大后石之姬。爾天皇仁德御立みたち大后おほきさき所坐いませる殿戶とのと,歌曰:

 此天皇仁德大后石之姬所歌うたへる六歌むつのうた者,志都歌しつうた歌返うたひかへし也。

 於是,天皇仁德こひ八田若郎女やたのわかいらつめ,遂賜遣たまひやりき御歌。其歌曰:

 爾,八田若郎女,答歌こたふるうた曰:

 かれ,為八田若郎女之御名代みなしろさだめき八田部やたべ也。


雌鳥皇女、隼別皇子像
仁德帝諱大雀,速總與隼音同。女鳥王之歌,以雀、隼暗指仁德帝、速總別王。天皇聞歌,知有異心。

仁德帝誂女鳥王歌:「女鳥侍織女 汝操棚機為夫君 所織御服者 是為孰人襲料哉女鳥王答歌:「高飛翔天際 隼別皇子速總別 彼王御襲衣料矣女鳥王見速總別王來歌:「縱為雲雀者 亦能翔天渡大空 高飛越天際 隼別猛禽更迅捷 速擒大雀斃彼命


宇陀蘇邇 隼別神社
蘇邇,今宇陀郡曾爾村一帶。
速總別王遁倉椅山歌其一:「梯立勢陡峭 倉椅山嶮難登涉 以其險峻者 親親吾妻難懸岩 必取我手同攀越其二:「梯立勢陡峭 倉椅山嶮難越涉 彼山雖險峻 然得與妹共登者 吾不復覺何嶮矣


古墳出土玉釧
山部大楯取女鳥王玉釧與妻。事發覺,為石之姬皇後處死。皇后雖好嫉妒,仍重義理、臣節。


姬島 姬島神社
姬島昔在淀川河口,今已接陸。

仁德帝、建內宿禰鴈產問答其一:「玉極靈剋兮 內庭建內宿禰臣 汝壽比南山 此世最長瑞耆老 虛空見日本 大和秋津倭國中 可嘗聞鴈生卵哉其二:「高光普下照 日御子兮我聖皇 宜諾大哉問 問於吾兮心甚感 此誠大哉問 下問吾兮實宜哉 吾壽秋日長 此世最長耆老人 然在虛空見 大和秋津倭國中 所謂雁生卵 至今前所未曾聞其三:「蓋汝胤子孫 代代治國無絕期 故鴈生卵以為徵


昭和之森會館 枯野船模型
菟寸,在今大阪府高石市富木。

仁德帝枯野琴歌:「今將枯野船 轉作鹽薪燒海鹽 又取其餘燼 作焦尾琴搔彈之 彼琴聲鏗鏘 彼琴聲玲瓏 恰似由良海門中 振立海石上 漬木之藻矣 冴冴爽爽


仁德天皇 百舌鳥耳原中陵

 亦,天皇仁德以其おと速總別王はやぶさわけのみこなかびとこひき庶妹ままいも女鳥王めどりのみこ。爾,女鳥王かたり速總別王曰:「因大后石之姬こはき不治賜をさめたまはず八田若郎女やたのわかいらつめ。故,思不仕奉つかへまつらじあれ汝命ながみこと。」即相婚あひあひき是以ここをもちて,速總別王,不復奏かへりことまをさず
 爾天皇仁德ただにいでまし女鳥王めどりのみこ所坐いますところ,而坐其殿戶とのと閾上しきみのうへ。於是,女鳥王坐はたおりきころもしかくし天皇すめらみこと歌曰:

 女鳥王,答歌いはく

 故天皇仁德其情そのこころ還入かへりいりきみや。此時,其夫そのを速總別王到來きたれり。時女鳥王めどりのみこ歌曰:

 天皇仁德聞此歌,知其異心,即興軍いくさをおこしおもひきころさむ。爾速總別王はやぶさわけのみこ女鳥王めどりのみこともに逃退にげそきのぼりき倉椅山くらはしやま。速總別王歌曰:

 亦うたひ曰:

 故二人自其地そこ逃亡にげうせ,到宇陀うだ蘇邇そに時,御軍みいくさ追到おひいたり殺也ころしき

 其役將軍いくさのきみ山部大楯連やまべのおほたてのむらじ,取其女鳥王めどりのみこ所纏まける御手みて玉釧たま鈕而與己妻おのがめ【○玉釧たまくしろ原文玉鈕たまくしろ。】
 此時之後このときののち,將為豐樂宴とよのあかり之時,氏氏うぢうぢ女等をみなら,皆朝參みかどまゐりしき。爾大楯連おほたてのむらじ,以其王女鳥王玉釧たま鈕まき己手おのがて參赴まゐおもぶきき【○豐樂とよのあかり,酒宴是也。】
 大后おほきさき石之姬命いはの日賣のみことみづから大御酒おほみきかしはたまひき諸氏氏もろもろのうぢうぢ之女等。爾大后見知みしり玉釧たま鈕不賜たまはず御酒柏,乃引退ひきそけき召出めしいだし其夫そのを大楯連以詔之のりたまはく:「其王等女鳥王,因無禮ゐやなき而伏誅退賜しりぞけたまひつこれ者,無異事けしきことのみ夫之奴乎そのおやつこや,竟於己君おのがきみ膚熅はだもあたたけき尚存之際,はぎ所纏まける御手みて玉釧たま鈕持來もちきすなはちあたへつ己妻おのがめ!」すなはちたまひき死刑ころすつみ也。【○夫之奴乎そのおやつこや,第二人稱賤稱詞,此云大楯連。以己君おのがきみ指女鳥王者,蓋大楯連嘗仕之。】

 また一時あるとき天皇仁德為將豐樂宴とよのあかり幸行いでまし姬島日女しま。時かり於其島。爾,召武內宿禰命建うちのすくねのおみこと,以歌問鴈うみ卵之かたち。其歌曰:【○姬島ひめしま原文日女島ひめしま武內たけうち原文建內たけうち。】

 於是,武內宿禰命建うちのすくねのおみこと,以歌語白かたりてまをさく

 武內宿禰命建うちのすくねのおみこと如此白而,受賜被給御琴みこと,歌曰:【○受賜たまはり原文被給たまはり。】

 此者,壽歌本岐うた片歌かたうた也。【○ほき原文ほき本岐以音,祝也。】

 此之仁德御世みよ菟寸河とのきがは之西有一高樹たかきき。其樹之かげあたれ旦日あさひ者,いたり淡道嶋あはぢのしま;當夕日ゆふひ者,こえき高安山たかやすやま。故,きり是樹以作つくれる船,甚捷行いとはやくゆくふね也。ときになづけ其船謂枯野からの。故以是船,旦夕あしたゆふへくみ淡道嶋之寒泉しみづたてまつりき大御水おほみもひ也。茲船破壞やぶれこほれ後,用以やきしほ,取其燒遺木やけのこれるきこと其音そのおとひびきき七里ななさと。爾,歌曰:

 此者,志都歌しつうた歌返うたひかへし也。【○志都歌しつうた乃歌之詠唱法。宮廷樂府樣式化時,以上述天皇、皇后對歌與此枯野琴詩為範。】

 此天皇仁德御年みとし捌拾參歲やそあまりみとせ丁卯年ひのとのうのとし八月はつき十五日とをあまりいつか崩也かむあがりき。】御陵みさざき,在百舌鳥耳原毛受之みみはら也。【○百舌鳥もず原文もず毛受以音。】


二、輕王子與衣通姬之悲戀

 仁德去來穗別王伊耶本和氣のみこ,坐磐余伊波禮若櫻宮わかさくらのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな履中天皇りちゅうてんわう去來穗別いざほわけ磐余いはれ原文いざほわけ伊耶本和氣いはれ伊波禮以音。】

 此天皇履中,娶葛城襲津彥かづらき之曾都毘古葦田宿禰あしだのすくねむすめ黑姬命くろ比賣のみこと【○襲津彥そつひこ原文そつひこ曾都毘古以音。】
  生御子,市邊忍齒王いちのへ之おしはのみこ
  次,御馬王みまのみこ
  次妹,青海郎女あをみのいらつめ,亦名飯豐郎女いひどよのいらつめ三柱みはしら○亦名忍海郎女おしぬみのいらつめ

 天皇すめらみこともと難波宮なにはのみや,當大嘗おほにへ祭而為豐明とよのあかり宴之時,酣飲宇良宜大御酒おほみき御寢也みねしき。爾其弟墨江中王すみのえのなかつみことらむ天皇履中,以火つけき大殿おほとの【○酣飲うらげ原文うらげ宇良宜以音,心揚うらあげ之略。】
 於是ここに倭漢直やまとのあやのあたひ之祖阿知直あちのあたひぬすみ攜天皇いだし宮,使乘御馬みま令幸いでまさしめきやまと
 故,天皇履中到于丹比野多遲ひのさめのりたまひ:「此間ここ何處いづく?」阿知直まをし:「墨江中王すみのえのなかつみこ著大殿,故ゐてにげぐるやまと。」爾天皇履中歌曰:【○丹比たぢひ原文たぢひ多遲比。】

 到於埴生坂波邇賦ざか望見のぞみみる難波宮なにはのみや其火そのひ猶炳なほあかし。爾天皇履中亦歌曰:【○埴生はにふ原文はにふ波邇賦以音。】

 故,到幸いたりいでまし大坂おほさか山口やまぐち之時,あひきひとり女人をみな。其女人白之まをししく:「もてるつはもの人等ひとども多塞あまたにふさげり茲山このやまべしより當麻道當岐麻ちめぐり越幸こえいでます。」爾天皇履中歌曰:【○當麻たぎま原文當岐麻たぎま。】

 故天皇履中上幸のぼりいでまし,坐石上神宮いそのかみのかむみや也。

 於是,履中胞弟伊呂ど瑞齒別命水はわけのみこと參赴まゐおもぶき令謁まをさしめき。爾天皇履中令詔:「あれうたがへり汝命ながみこともし墨江中王すみのえのなかつみこ同心おなじこころ乎,故不相言あひいはじ。」瑞齒別命みづはわけのみこと答白:「やつかれ者無穢邪心きたなきあしきこころ,亦不同おなじくあらず墨江中王。」亦,令詔:「然者しからば,汝今還下かへりくだりころし墨江中王而上來のぼりこ彼時そのとき,吾かならず相言。」
 故,瑞齒別命みづはわけのみこと即還下難波なにはあざむき墨江中王すみのえのなかつみこ近習ちかくつかへ隼人はやと曾婆訶理そば加り云:「もししたがはば吾言あがこと者,あれ天皇すめらみことなむち大臣おもおみ,治天下あめのした奈何那何?」曾婆訶理そばかり答白:「隨命みことのまにまに。」爾瑞齒別命みづはわけのみこと其隼人多祿あまたのたまひもの曰:「然者しからば,殺汝王なむちがきみ也!」於是曾婆訶理そばかり竊伺ひそかにうかかひ己王墨江中王かはや,以ほこさし殺也ころしき【○曾婆訶理そば加り或書曾婆加理そばかり,書紀作刺領巾さしひれ奈何いかに原文作那何いかにたまひ原文たまひ。】

 故曾婆訶理そばかり上幸のぼりいでますやまと之時,到大坂おほさか山口。瑞齒別命みづはわけのみこと以為おもひ:「曾婆訶理そばかり,雖ため吾有大功おほきいさを,輙殺己君おのがきみすでに不義ことわりならず。然不其功,可謂いひつべし無信まことなし。既おこはふ其信,還おそりむこころ。故,雖むくゆいさをほろぼさむ正身ただみ。」是以かたり曾婆訶理そばかり:「今日けふ此間ここ而先給大臣位おほおみのくらゐ明日あす上幸。」留其山口やまぐち,即造假宮かりみやたちまち豐樂宴とよのあかり,乃たまひ大臣位於其隼人はやと,令百官もものつかさ拜之おろがましめき。隼人歡喜よろこび以為おもひきとげつこころざし【○不褒むくいず原文不賽むくいず。】
 爾王子瑞齒別命詔其隼人曾婆訶理:「今日與大臣おほおみ同盞おなじさかづき酒。」共飲ともにのむ之時,以隱面おもてをかくす大鋺おほまりもりき進酒すすむるさけ。於是,王子みこ先飲まづのみ,隼人後飲のちにのみき。故其隼人はやと飲時,大鋺おほひき面。王子瑞齒別命取出とりいだし席下むしろのしたつるぎ,斬其隼人之くび。乃明日あくるひ上幸。故なづけ其地,謂近飛鳥ちかつあすか也。
 王子瑞齒別命上到のぼりいたりやまと,詔之:「今日とどまり此間,為祓禊みそぎ明日あす參出まゐいで將拜をろがまむ神宮かむみや。」故號其地そこ,謂遠飛鳥とほつあすか也。故拜謁之後,瑞齒別命みづはわけのみこと參出石上神宮いそのかみのかむみや令奏まをさしめし天皇履中:「まつりごとすで平訖たひらげをはり,參上侍之はべり。」爾天皇すめらみこと召入めりいれ相語也あひかたりき

 天皇履中於是以阿知直あちのあたひ始任はじめてまけ藏官くらのつかさ,亦たまひき糧地たどころ
 亦此御世履中,於若櫻部臣わかさくらべのおみ等,たまひ若櫻部。又姬陀君比賣だのきみ等賜かばね,謂姬陀比賣だきみ也。亦さだめき磐余部伊波禮べ也。【○磐余いはれ原文いはれ伊波禮以音。】

 天皇履中御年みとし陸拾肆歲むそあまりよとせ壬申年みづのえさるのとし正月むつき三日みかかむあがりき。】御陵みさざき,在百舌鳥毛受也。【○百舌鳥もず原文もず毛受以音。稱百舌鳥耳原南陵もずのみみはらのみなみのみささぎ。】


 
履中瑞齒別命水はわけのみこと,坐多治比たぢひ柴垣宮しばかきのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな反正天皇はんぜいてんわう。】

 反正天皇すめらみこと御身みみたけ九尺ここのさか二寸半ふたきなかば御齒みはながさ一寸ひときひろさ二分ふたきだ上下かみしも等齊ひとしくととのひすでにごとし貫珠たまにぬける

 天皇反正めとり和邇丸邇木事臣許碁登のおみむすめ都怒郎女つののいらつめ【○和邇わに木事こどと原文わに丸邇こどと許碁登以音。】
  生御子,甲斐郎女かひのいらつめ
  次,圓郎女都夫良のいらつめ【二柱。つぶら原文つぶら都夫良以音。
 又娶同臣和邇木事之女弟姬おと比賣
  生御子,財王たからのみこ
  次,高部郎女多訶辨のいらつめ【○高部たかべ原文たかべ多訶辨以音。】天皇反正御子みこあはせ四王よはしらのみこ也。

 天皇反正御年みとし陸拾歲むそとせ丁丑年ひのとのうしのとし七月ふみづきかむあがりき。】御陵みさざき,在百舌鳥野毛受の也。【○百舌鳥もず原文もず毛受以音。】



履中天皇 磐余稚櫻宮跡


飯豐天皇 埴口丘陵
飯豐郎女,後於皇位未定之間,坐忍海角刺宮,代治天下。


前期難波高津宮 復原模型
履中帝本坐難波宮,逢墨江中王火著大殿,遂遷磐余。

帝寤醉聞叛歌:「多遲比野兮 若知寢在丹比野 當持來立薦 今寤方知寢此野 早知當攜立薦來望難波宮燔燒歌:「今立埴生坂 身處波邇賦坂上 顧眄難波宮 所見陽炎燃家群 其是當吾妻家邊


大坂山口 飛鳥山
履中帝謝少女歌:「河內大和堺 大坂所遇娘子矣 問道彼少女 不告近道訴遠路 諫吾迂當藝麻道


山邊道 石上神宮


隼人 大住隼人舞
隼人久為皇室近侍,語見山海易幸段。曾婆訶理者,紀作刺領巾。


墨江中王之亂相關經路圖


石上神宮拜殿


阿知直 阿知使主


履中天皇 百舌鳥耳原南陵


反正天皇 丹比柴籬宮跡

百舌鳥古墳群 仁德履中反正陵


反正天皇 百舌鳥耳原北陵

 反正男朝津間若子宿禰王を淺つまわくごのすくねのみこ,坐遠飛鳥宮とほつあすかのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな允恭天皇いんぎょうてんわう。】

 此天皇允恭,娶大大迹王意富本杼のみこ之妹忍坂大中津姬命おしさか之おほなかつ比賣【○大大迹おほほど原文おほほど意富本杼以音。】
  生御子,木梨之輕王きなしのかるのみこ
  次,長田大郎女ながたのおほいらつめ
  次,境之黑彥王さかひのくろ日子のみこ
  次,穴穗命あなほのみこと【○安康天皇あんかうてんわう。】
  次,輕大郎女かるのおほいらつめ亦名またのな衣通郎女そとほりのいらつめ御名みな所以ゆゑおふ衣通王そとほりのみこ者,其身之光そのみのひかり自衣そより通出とほりいづれ也。】
  次,八瓜之白彥王やつりのしろ日子のみこ
  次,大長谷命おほはつせのみこと【○雄略天皇いうりゃくてんわう。】
  次,橘大郎女たちばなのおほいらつめ
  次,酒見郎女さかみのいらつめ九柱ここのはしら。】
 凡天皇允恭之御子等,九柱。男王をとこみこ五,女王をみなみこ四。】
  此九王之中,穴穗命安康者,しろしめし天下也。
  次,大長谷命雄略,治天下也。

 天皇允恭はじめ將為所治しらさむ天津日繼あまつひつぎ之時,天皇すめらみこといなび詔之のりたまひ:「我者有一長病ながきやまひ不得えじ日繼ひつぎ。」然より大后おほきさき以下,もろもろ卿等まへつきみたち堅奏かたくまをすすなはち天下あめのした【○天津日繼あまつひつぎ,皇位。しらす原文しらす長病ながきやまひ即宿疾,又書紀作篤疾あつきやまひ。】
 此時,新羅新良國主くにぎみ貢進たてまつりき御調みつき八十一艘やそあまりひとふね。爾,御調之大使おほきつかひ金波鎮こむはちに漢紀武かきむ。此人,深知ふかくしれり藥方くすりのみち,故治癒をさめ差帝皇すめらみこと御病みやまひ【○新羅しらき原文新良しらき金波鎮漢紀武こむはちにかきむ,金、波鎮、漢紀、武,別為姓、爵、王族號、名。いやしき原文いやしき。】

 於是,天皇允恭うえへ天下あめのした氏氏名名人等うぢうぢななのひとら氏姓うぢかばね誤謬忤過たがひあやまれる,而於甘白檮味かし丘之言八十禍津日前ことやそまがつひのさき盟神探湯瓮玖訶へ,以定賜さだめたまひき天下之八十伴緒やそ友のを氏姓うぢかばね也。【○忤過たがひあやまれる,誤謬。甘白檮あまかし,原文味白檮あまかし,甘樫丘。すゑ原文すゑ言八十禍津日前ことやそまがつひのさき,蓋指行盟神探湯くかたち之地。言即言語,八十禍津日やそまがつひ乃禍神。盟神探湯くか原文くか玖訶以音。】
 又,為木梨之輕太子きなしのかるのひつぎのみこ御名代みなしろ,定輕部かるべ。為大后忍坂大中姬御名代,さだめ刑部おしさかべ。為大后おほきさき田井中姬たゐのなかつひめ御名代,定河部かはべ也。

 天皇允恭御年みとし柒拾捌歲ななそあまりやとせ甲子年きのえうまのとし正月むつき十五日とをあまりいつかかむあがりき。】御陵みさざき,在河內かふち惠賀長江ゑがのなが枝也。【○長江ながえ原文長枝ながえ惠我長野北陵ゑがのながののきたのみささぎ,與仲哀陵相接。】

 天皇允恭崩之のち,定木梨之輕太子きなしのかるのひつぎのみこ所治知らす日繼ひつぎ。然未即位いまだくらゐにつかぬ之間,胞妹伊呂いも輕大郎女かるのおほいらつめ歌曰うたひていはく【○たはけ原文をかしいろ原文いろ妹伊呂以音。】

 此者,尻舉歌志良宜うた也。【○尻舉しらげ原文しらげ志良宜以音,尻舉しりあげ之略。末句高揚之曲種。】
 輕王また歌曰:

 此者,夷振ひなぶり上歌あげうた也。故兄妹相姧之事,露顯。
 是以,百官もものつかさ天下人等あめのしたのひとら,咸そむき輕太子かるのひつぎのみこよりき穴穗御子あなほのみこ。爾輕太子かしこみ逃入にげいり物部もののべ大前小前宿禰おほまへをまへのすくね大臣おほおみいへ備作ととのへつくりき兵器つはもの爾時そのとき所作つくれる者,あかかね箭鋒箭內,故なづけ其矢謂輕箭かるや也。箭鋒やのさき原文箭內やのうち,古事記傳以為訛。銅鏃。
 穴穗御子あなほのみこなた作兵器。【此王子みこ所作之矢者,即今時いま之矢者也。是いふ穴穗箭あなほや也。○鐵鏃。於是穴穗御子おこしいくさかくみき大前小前宿禰之家。爾到大臣かど時,ふりき大冰雨おほひさめ。故,歌曰:

 爾,其大前小前宿禰おほまへをまへのすくね舉手てをあげ打膝ひざをうち儛奏まひ訶那傳詠歌參來まゐきたり。其歌曰:【○かなで原文かなで訶那傳以音。】

 此歌者,宮人振みやひとぶり也。

 大臣如此かく歌而參歸まゐより白之:「我天皇あがすめらみこと御子穴穗命,於胞兄王伊呂ねのみこやるいくさもし干戈相向者,かならず為人わらはむやつかれとらへ貢進たてまつらむ。」【○干戈つはもの原文いくさ。】
 爾穴穗命解兵いくさをとき退坐しりぞきましきかれ大前小前宿禰,捕其輕太子ひつぎのみこ率參出ゐでまゐいで貢進たてまつりき。其輕太子,被捕とらへらえ歌曰:

 又うたひ曰:

 故,其輕太子かるのひつぎのみこ者,ながしき伊豫湯い余のゆ也。亦將流ながさむとせし之時,歌曰:【○伊豫いよ原文伊余いよ。】

 此三歌みつのうた者,天田振あまだぶり也。

 輕太子また歌曰:

 此歌者,夷振ひなぶり片下かたおろし也。

 其妹衣通王そとほりのみこたてまつりき歌。其歌曰:

 故,衣通姬後亦のちにまた不堪たへず戀慕こひしのふ追往おひゆき。時歌曰:

 故,衣通姬追到おひいたり之時,輕太子待懷まちむだき而歌曰:

 又歌いはく

 如此歌かくうたひすなはちともに自死みづからしにき殉情。故此二歌者,讀歌よみうた也。



允恭天皇 遠飛鳥
允恭天皇遠飛鳥宮,所在未詳。


傳忍坂大中姬忍坂宮跡


衣通姬誕生地 玉津島明神


新羅使、百濟使、高麗使
允恭帝本以宿疾欲辭帝位,因皇后等固奏而登極。後新羅進調使金武深知藥方,癒其痼疾。


甘樫坐神社 盟神探湯神事
允恭帝憂天下氏姓誤謬,行盟神探湯於甘樫丘,以正姓氏。


允恭天皇 惠我長野北陵

木梨輕太子戀衣通姬歌其一:「足引勢險峻 陡峭山間作山田 以此山高聳 遂牽下樋引水流 下樋潺地底 吾避人目訪妹妻 竊泣不能止 吾啜泣兮戀吾妻 直至今夜者 方得心安觸汝膚其二:「小竹笹葉間 霰雨零落擊笹葉 滴噠響確確 若在切率相寢後 佳人雖離吾不悔 若心仍愛戀 相寢纏綿相枕者 縱如刈薦之 亂離亂散隔兩地 若切率寢吾不悔


衣通姬像 容姿絕妙艷色徹衣
穗穴命冰雨歌:「石上物部氏 大前小前宿禰者 今立金門蔭 如斯當速參來矣 切莫徒然待雨歇大前小前宿禰答歌:「百敷大宮人 足結小鈴落地響 太子竄出宮 宮人騷響圍此里 里人亦慎莫輕舉


衣通姬繪姿
輕王被捕:「雁翔天高迴 輕孃子兮吾妹妻 汝若甚泣者 此事將為天下知 宜若幡舍山 彼山鳩低鳴 暗自隱忍啜泣矣:「雁翔天高迴 輕孃子兮吾妹妻 確確參來之 寄通吾處相率寢 輕孃子兮吾妹妻:「高飛翔天際 飛鳥亦是通言使 若聞鶴高鳴 蓋是寄訊鳥使至 冀舉吾名尋吾事:「今將大君之 吾人流放僻島者 一猶船餘返 終將歸來臨此地 吾疊此間必不變 言雖訴疊者 心指愛妻我妹矣 冀汝莫變如往昔


伊豫溫湯 道後溫泉
輕太子被捕,配流伊豫溫湯。
衣通姬戀慕獻歌其一:「夏草萎靡合 阿比泥濱相寢濱 濱上搔貝在 莫誤踏兮以傷足 當待夜明晨後通其二:「君往日已久 妾守空閨待日長 造木接骨木 故妾今出參迎矣 久待徒然不堪待


輕之神社 輕太子與衣通姬共死

輕太子待懷衣通姬歌其一:「幽奧隱所兮 奈良長谷泊瀨山 於其大高峰 張立幡旗豎禮幡 亦於小低峰 張立幡旗豎禮幡 大小并備矣 欲定我倆仲睦和 親親思妻甚愛憐 手執槻弓而 橫置臥兮敬臥置 手執梓弓而 直置立兮敬立置 吾後亦欲善相待 親親思妻甚愛憐其二:「幽奧隱所兮 奈良長谷泊瀨河 於河上流瀨 稜威齋杙打立豎 於河下流瀨 嚴壯真杙打立豎 亦於彼齋杙 澄明真鏡懸杙上 復於彼真杙 高貴真玉懸杙上 吾所思妹猶真玉 吾所思妻猶明鏡 愛屋及烏戀汝所 汝在家者欲訪家 汝在國者欲偲國 然汝今日身在此 故吾不復慕家國


輕之神社 比翼塚、歌碑


安康天皇 石上穴穗宮跡


押木珠縵 新羅金冠
傳押木玉縵,即新羅金冠之疇。


安康帝信根臣讒言,誅大日下王,奪其妻長田大郎女為后。皇后先子目弱王知之,逆弒復讎。


安康天皇 菅原伏見西陵


坂合黑彥皇子墓


傳八釣白彥皇子墓


小治田 明日鄉村
白彥王為大長谷王引率至小治田活埋,埋至腰時,雙目飛迸而死。


葛城氏居館跡
經考古調查,其建物趾有燒失痕跡,或為葛城圓使主之宅。


來田綿蚊屋野 蚊屋野神社


磐坂市邊押磐皇子墓


志染石室 縮見山石室
市邊忍齒王之子億計、弘計王子聞難,遁隱播磨國縮見石室。

三、皇胤流離與顯宗日繼

 御子允恭穴穗御子あなほのみこ,坐石上いそのかみ穴穗宮あなほのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな安康天皇あんかうてんわう。】

 天皇すめらみこと,為胞弟伊呂ど大長谷王子おほはつせのみこ,而つかはし坂本臣さかもとののおみ等之おや根臣ねのおみ,至大日下王おほくさかのみこもと令詔者のりたまはしめしく:「朕おもふ汝命之妹ながみことのいも若日下王わかくさかのみこあはせむ大長谷王子。故期可貢たてまつるべし。」しかくし大日下王四拜よたびをろがみ白之:「吾不意もしうたがへり如此かくある大命おほみこと。故不出外とにいださずおけり吾妹於家也。これ,惶かしこし。必まにまに大命奉進たてまつらむ。」しかれども思,僅言以こともち白事まをすことそれ無禮ゐやなし,即令持もたしめ押木玉縵おしき之たまかづら,為其妹そのいも禮物ゐやしろ貢獻たてまつりき
 根臣ねのおみ,即盜取ぬすみとり其禮物之玉縵,誣大日下王而よこし天皇安康曰:「若日下王わかくさかのみこ者,不受うけず敕命おほみこと曰:『おのがいも豈為等族ひとしきうがら下席したむしろ!』而取橫刀たち手上怒歟いかりつるか。」【○等族ひとしきうがら,同格之族。下席したむしろ,此云以己妹為同格者之妻為恥。つか原文手上たかみ,此為報告之際,仍未能置信之表現。】
 故天皇安康大怒おほきにいかりころし大日下王而取持來其王そのみこ嫡妻むかひめ長田大郎女ながたのおほいらつめ,為皇后おほきさき【○奪ひ原文取持來とりもちき。】

 自此以後これよりのち天皇安康為求夢諭,坐神牀かむどこ晝寢ひるね。爾,語其后長田大郎女曰:「なむち有所思乎おもふところありや?」答曰:「かかぶれ天皇すめらみこと敦澤あつきめぐみなにか有所思。」
 於是,其大后長田大郎女先子さきのこ目弱王まよわのみこ是年これとし七歲ななとせ是王このみこあたり其時そのときあそべり殿下とののした。爾,天皇安康不知其少王わかきみこ遊殿下,以詔大后おほきさき言:「あれつね有所思。何者なにとなれば汝之子なむちがこ目弱王成人之時ひととなりたらむとき,知吾殺其父王ちちのみこ者,かへり為有邪心あしきこころ乎。」於是ここに,所遊其殿下目弱王まよわのみこ聞取ききとり此言,便すなはち竊伺ひそかにうかがひ天皇すめらみこと御寢みね,乃取其傍大刀そのかたはらのたち打斬うちきり天皇安康くび逃入にげいりき圓使主都夫良意富美いへ也。【○圓使主つぶらのおみ原文つぶらおほみ都夫良意富美。】

 天皇安康御年みとし伍拾陸歲いあまりむとせ御陵みささき,在菅原すがはら伏見岡ふしみのをか也。

 爾天皇胞弟大長谷王子おほはつせのみこ當時そのかみ童男をぐなすなはち聞此事,以慷愾怨怒うれたみうらみいかり。乃いたり其兄そのえ黑彥王くろ日子のみこもと,曰:「人とりつ天皇すめらみことせむ奈何那何?」しかれども黑彥王くろ日子のみこ不驚おどろかず而有怠緩之心おこたりゆるへるこころ。於是,大長谷王おほはつせのみこのり其兄黑彥王言:「ひとつとあり天皇,一とある兄弟はらからなにか恃心たのもしきこころ?聞其兄その,竟不驚おどろかず怠乎おこたれる!」即とりころものくび控出ひきいだし拔刀たちをぬき打殺うちころしき【○奈何いかにか原文那何いかにかころす原文ころす。】
 亦到其兄白彥王しろ日子のみこ許而告狀かたちをつぐる如前さきのごとし白彥王しろひこのみこ亦怠ゆるへる黑彥王くろ日子のみこ。大長谷王即握其ころものくび引率來ひきゐてき,到小治田をはりだほり穴而隨立たてながらうづみ。至埋こし時,白彥王しろひこのみこ兩目ふたつのめ走拔はしりぬけしにき

 大長谷王亦興軍いくさをおこしかくみき圓使主都夫良意美いへ。爾圓使主つぶらおみ興軍待戰まちたたかひ射出之矢いいだすや,如あし來散きちりき。於是,大長谷王以ほこつゑのぞみ其內そのうち詔:「我所相言之孃子あひいへるをとめ者,もし此家乎?」【○圓使主つぶらおみ原文つぶらおみ都夫良意美以音。あり原文あり。】
 爾圓使主都夫良意美聞此詔命おほみことみづから參而出まゐいでとき所佩はけるつはもの八度拜やたびをろがみ白者:「先日さきのひ所問賜之女子とひたまへるをとめ韓姬訶良比賣者,奉はべらむ。亦そへ五處屯倉いつところ之屯宅,以たてまつらむ所謂いはゆる五村いつむら屯宅みやけ者,今葛城かづらき五村苑人いつむらのそのひと也。韓姬からひめ原文からひめ訶良比賣以音。屯倉みやけ原文屯宅みやけ然其正身ただみ所以ゆゑ不參向まゐむかはぬ者,自往古いにしへ今時いまきけおみむらじかくりし王宮みこのみや未聞きかず王子みこ隱於臣家おもがいへ是以ここをもちおもふに賤奴いやしきやつこ使主意富美者,雖竭力ちからをつくしたたかふさらに無可勝かつべきことなけむしかれども恃己おのれをたのみ入坐いりませる陋家いやしきいへ王子目弱王者,死而不棄しぬともすてじ。」如此白かくまをし而亦とりつはもの還入かへりいりたたかひき
 爾圓使主つぶらおみ力窮ちからつき矢盡やつきぬまをし王子目弱王:「やつかれ者,手悉傷ことごとくおひつ,矢亦つきぬ。今不得戰たたかふことえず何如いかに?」其王子目弱王答詔:「然者しからば,更無可為すべきことなし。汝今ころせ吾。」故圓使主つぶらおみ以刀刺殺さしころし王子みこ,乃己頸おのがくび死也しにき【○はね原文きり。】

 自茲以後これよりのち近江淡海狹狹城山君佐佐紀やまのきみおや韓帒からふくろ白:「近江淡海來田綿久多綿蚊屋野かやの豬鹿しし多在あまたあり。其立足たてるあし者如莪原うはぎのはら指舉角さしあげるつの者如枯松からまつ。」此時,大長谷王相率あひゐて市邊之忍齒王いちのへのおしはのみこ幸行いでまし近江淡海。到其野者,おのおのことに假宮かりみや宿やどりき【○近江あふみ原文淡海あふみ狹狹城ささき原文ささき佐佐紀以音。來田綿くたわた原文久多綿くたわた。】
 爾明旦あくるあした,日未出之時いまだいでぬとき忍齒王おしはのみこ平心たひらけきこころ隨乘のりながら御馬みま到立いたりたち大長谷王假宮かりみやかたはら,而詔其大長谷王子之御伴人みともひと:「未寤いまださめず坐?可早白也はやくまをすべし。夜既曙訖あけをはりぬ,可幸獦庭かりには。」乃すすめ出行いでゆきき
 爾はべる其大長谷王之御所みもと人等まをさく:「此王子忍齒王,多いふ不快別樣宇多弖矣。かれ應慎つつしむべし。亦宜堅かたむべし御身みみ。」大長谷王子即衣中きぬのうちよろひ取佩とりはき弓矢ゆみやのり馬出行。儵忽之間たちまちのあひだ自馬うまより往並ゆき雙ぬき射落いおとし其忍齒王。乃亦きり其身,いれ馬樎うまふね,與つち等埋ひとしくうづみき【○別樣うたて原文うたて宇多弖以音,特別不快之意。ならび原文ならび。】

 於是,市邊忍齒王いちのへのおしはのみこ王子みこ億計王意祁のみこ弘計王袁祁のみこ等,【二柱。億計おけ弘計をけ原文おけ意祁をけ袁祁以音。此亂このみだれ逃去にげさりき。故到山城山代苅羽井かりはゐはむ御糧みかりて之時,面黥老人おもてさけるおきな來,うばひき其糧。爾其二王ふたはしらのみこ言:「不惜をしまず糧。然,なむち誰人たれ?」答曰:「我者,山城山代豬飼ゐ甘也。」故,逃渡にげわたり楠葉河玖須婆之かは,至播磨國針間のくにいり國人くにひと志自牟いへ隱身みをかくしえだちき馬飼うま甘牛飼うし甘也。【○山城やましろ播磨はりま原文山代やましろ針間はりまかひ原文かひ楠葉くすばしじむ原文くすば玖須婆しじむ志自牟以音。原文。】



雄略天皇 泊瀨朝倉宮傳承地


吳原 栗原 吳津彥神社


鰹木 元伊勢阿紀神社
鰹木或稱勝男木,筒狀,與千木並為神社、宮殿屋頂之代表性裝飾。


白山神社 萬葉集發燿讚仰碑
日本最古和歌集萬葉集,以雄略帝之歌為發端。此御世,詩歌多作。
贈若日下部王御歌:「草壁日下部 河內日下此方山 真菰重疊薦 生駒矢田平群山 此方彼方之 諸山群山峽谷間 繁茂植立榮 葉廣熊樫熊白檮 於彼樫根本 茂竹密生竹叢生 於彼樫末梢 繁竹多生竹叢生 茂竹也隱籠 不欲隱匿竊相寢 繁竹也切確 雖不確供率寢者 其後欲籠相寢兮 如此所思吾愛妻 嗚呼天晴矣


三輪川 大和川


引田部赤豬子傳說地 秉田神社
雄略帝賜赤豬子歌其一:「三輪御諸山 稜威聖嚴白檮下 聖樫甚難近 猶彼聖樫忌忌哉 樫原童女甚難近其二:「辟田引田之 若栗栖原稚栗林 於彼年稚時 若得率寢則益矣 惜兮吾今已老哉


引田部赤豬子歌碑
其處有池,植有原始蓮群生。
赤豬子答歌其一:「三輪御諸山 三輪社所築玉垣 妾身付大神 今日當依誰得恃 侍奉不離神宮人其二:「日下入江之 入江之蓮生茂茂 猶彼繁花蓮 身盛體壯猶稚人 令人稱羨亦妒哉


吉野離宮、蜻蛉野 宮瀧遺跡
譽童女善儛御歌:「鎮居坐胡床 神之御手持奏曲 合彈琴瑟聲 童女起儛姿翩翩 願留此姿永常世

帝讚蜻蛉歌:「偉哉御吉野 小室鳴武羅岳上 豬鹿雌伏矣 誰人孰者將此事 告諸大前奏上乎 八方治天下 八紘御宇我大君 靜待豬與鹿 立於胡床坐其上 白栲素織服 身著白袖具素織 吾人手腓上 虻蝱搔付噆吾臂 其噆吾臂虻 蜻蛉速來咋將去 如斯欲厥忠 欲負汝名留後世 今命虛空見 秀真日本大倭國 謂之秋津蜻蛉島


雄略帝與大豬
雄略帝畏大豬,登榛而歌:「八方治天下 八紘御宇我大君 田獵遊射兮 狩豬嗔豬怒威暴 以畏其豬嗔呻聲 我故逃登竄樹上 在丘高岡上 高聳榛木堯枝矣


葛城山


葛城坐一言主神社
天皇巡狩葛城山,御行伍恰如天皇行列,服儀無異、人眾無差。後知葛城一言主之大神是也。


春日 奈良公園
平城以東。金鉏岡所在未詳。
雄略帝見袁杼姬逃隱岡金鉏岡歌:「媛女袁杼姬 逃隱岡間匿其姿 若有金鉏鋤 若有金鉏五百箇 便得鉏撥掘土起


葵祭 采女
三重婇求赦歌:「纏向日代宮 先帝景行坐宮者 彼是朝日日照宮 亦是夕日日光宮 竹根根足宮 復為木根根延宮 八百良兮杵築宮 真木榮兮檜御門 在其新嘗屋殿旁 百足生立槻枝者 高槻上枝覆高天 中枝覆吾嬬東國 下枝覆畿外夷鄙 上枝枝末葉 零落飄盪觸中枝 中枝枝末葉 零落飄盪觸下枝 下枝末葉落何處 華美晴在衣 三重采女所奉捧 精雕細琢瑞玉盞 下枝末葉如浮脂 漂落盞上若浮嶋 水鳴滾滾若凝嶋 潮沫凝成磤馭慮 如是誠惶甚畏恐 高光普下照 日御子兮我大君 冀將此事矣 願將吾述言語者 流傳延末世大后見婇得赦歌:「大和大倭國 在其高處此高市 小高市高處 位彼市之高丘上 在其新嘗屋殿旁 繁生茂植立 葉廣聖兮齋真椿 猶彼葉兮蔭廣坐 若其花兮遍照坐 高光普下照 日御子兮我大君 願飲酩醴豐御酒 今獻御酒奉杜康 冀將此事矣 願將吾述言語者 流傳延末世雄略帝答歌:「百敷百石城 殿上顯貴大宮人 彼等猶鶉鳥 懸取領巾披領巾 彼亦猶鶺鴒 長袖振尾相交行 彼亦猶庭雀 群集眾聚居一堂 今日亦饗宴 酒水漬之慶豐明 高光普下照 日之百敷大宮人 冀將此事矣 願將吾述言語者 流傳延末世

帝與袁杼姬唱和:「水濯水勢大 吾臣袁杼姬孃子 手取秀罇奉執矣 手執秀酒甕 堅執秀罇奉執之 確執堅執矣 確確彌堅持秀罇 手執秀罇美孃子:「八方治天下 八紘御宇我大君 每在朝日時 寄身倚立幸妾傍 每在朝暮時 寄身倚立幸妾傍 還願身化脇机下 机下板者永侍傍 麗壯吾兄君


雄略天皇 丹比高鷲原陵
宮內廳合島泉丸山、島泉平塚古墳,治定為雄略天皇陵。

 大長谷若武命おほはつせのわか建のみこと,坐長谷朝倉宮はつせのあさくらのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな雄略天皇いうりゃくてんわう。】

  天皇すめらみことめとり大日下王おほくさかのみこいも若日下部王わかくさかべのみこ無子こなし。】
 又娶圓使主都夫良意富美むすめ韓姬から比賣【○圓使主つぶらおほみ原文つぶらおほみ都夫良意富美以音。】
  生御子,白髮命しらかのみこと【○清寧天皇せいねいてんわう。】
  次妹,稚足姬命わかたらし比賣のみこと【二柱。稚足姬わかたらし原文若帶比賣わかたらし,為伊勢齋宮いせのいつきのみや
 故為白髮太子しらかのひつぎのみこ御名代みなしろさだめ白髮部しらかべ。又定長谷部舍人はつせべのとねり,又定河瀨舍人かはせのとねり也。
 此時,吳人くれひと參渡來まゐわたりきたり朝。遂安置おきき其吳人於吳原くれはら,故なづけ其地そこいふ吳原也。

 初大后若日下王日下くさか之時,天皇雄略自日下之直越道ただこえのみち幸行いでましき河內かふち。爾のぼり山上やまのうへのぞみ國內くにのうち者,有舍屋あげつくれる鰹木堅魚ぎいへ天皇雄略令問とはしめ其家云:「其上鰹木堅魚ぎ作舍者,誰家たがいへ?」答白:「磯城志幾大縣主おほあがたぬし家。」【○鰹木かつをぎ原文堅魚木かつをぎ,神社、宮殿屋上之裝飾。磯城しき原文しき志幾以音。】
 爾天皇雄略詔者:「奴乎やつこやつくれり己家おのがいへにせて天皇之御舍すめらみことのみあらか!」即つかはし人,令燒やかしめむ其家。時其大縣主おほあがたぬし懼畏おぢかしこみ稽首ぬかつき白:「奴有者やつこにしあれば隨奴やつこながら不覺さとらず而僭禮過作あやまちつくれる甚畏いとかしこし。故たてまつらむ能美御幣物みまひもの【○のみ原文のみ能美以音。】ぬのかけ白犬しろきいぬ著鈴すずをつけ而遣己族おのがうがら,名謂腰佩こしはき,令取犬繩いぬのなは獻上たてまつりき。故令止やめしめき著火ひをつくる
 即,幸行いでまし若日下部王わかくさかべのみこもと賜入たまひいれ其犬,令詔のりたまはしむ:「是物このもの者,今日けふみち奇物あやしきもの。故,以為娉物都麻杼比之もの。」於是ここに,若日下部王,令奏まをさしめ天皇雄略:「君貴日神之裔,そむき幸行之事いでましつること甚恐いとかしこし。故,おのれ直參上ただにまゐのぼり仕奉つかへまつらむ。」【○つまどひ原文つまどひ都麻杼比以音,妻問つまどひ。背日幸行,此云嚮西而來。】
 是以,天皇雄略還上坐かへりのぼりますみや之時,行立ゆきたち其山之坂上さかのうへ,歌曰:

 亦一時あるとき天皇雄略遊行あそびありき,到於三輪河美和がは時,河邊かはのへ洗衣きぬをあらふ童女をとめ,其容姿かたち甚麗いとうるはし天皇すめらみこと問其童女:「なむち誰子たがこ?」答白:「已名おのがないふ引田部赤豬子ひけたべのあかゐこ。」爾,令詔のりたまはしむ者:「汝,今將喚矣めしてむ。」而還坐かへりましきみや【○三輪みわ原文美和みわ勿嫁あふな原文不嫁あはず,此詔赤豬子莫嫁他男,必喚入宮內。】
 故其赤豬子あかゐこ仰待あふぎまち天皇之みこと,既經八十歲やそとせ。於是,赤豬子以為おもはく:「望命之間みことをねがひつるあひだ,已へぬ多年あまたのとし姿體かたち瘦萎やせしなえ,更無所恃たのむところ。然,非あらはす待情まちつるこころ不忍たへじいふせき。」而令持百取机代物ももとり之つくえしろのもの參出まゐいで貢獻たてまつりき
 然,天皇雄略既忘先所命之事おほせたまへること,問其赤豬子あかゐこ曰:「汝者誰老女たがをみな何由なにのゆゑ參來まゐきつる?」赤豬子答白こたへまをし:「其年其月それのとしそれのつきかがふり天皇之命すめらみことのみこと,仰待大命おおみこと以喚禁中,至於今日けふへぬ八十歲。今容姿かたち既耆すでにおいさらに無所恃,蒙幸無望。然欲顯白あらはしまをさむ己志おのれがこころざし,以參出のみ。」於是,天皇雄略大驚おほきにおどろき詔曰:「吾既わすれたり先事さきのことしかれどもまもり志待命,いたづら盛年さかりのとし,是甚愛悲いとうつくしくかなし。」心裏こころのうちあはむいたみ亟老きはめておい,不得成婚あひをなす,而たまひき御歌みうた。其歌曰:

 天皇雄略又歌曰:

 しかくし赤豬子あかゐこ泣淚なくなみたことごとくぬらしき所服きたる丹摺袖にずりのそで。遂答其大御歌おほみうた而歌曰:

 赤豬子あかゐこ又歌曰:

 爾,老女をみな多祿あまたのたまひもの,以返遣也かへりやりき。故此四歌よつのうた者,志都歌しつうた也。

 天皇雄略幸行いでまし吉野宮よしののみや。時吉野川よしののかはほとり,有童女をとめ。其形姿かたち美麗うるはし,故あひ是童女而還坐かへりましき長谷朝倉
 後更亦さらにまた幸行吉野よしの之時,とどめ所遇あへる童女をとめ之處,豎たて大御吳床おほみあぐら天皇雄略坐其御吳床而ひき御琴みこと,令其孃子をとめまひ。爾,因其孃子之善儛好まひし,作御歌。其歌曰:【○吳床あぐら,付足之台座,高貴者之座席。善儛よくまひ原文好儛よくまひ。】

 すなはち天皇雄略蜻蛉野阿岐豆の御獦之時みかりせしとき天皇すめらみこと御吳床みあぐら。爾𧉫あむ御腕みただむき,即有蜻蛉あづき來,くひ其𧉫而とびき【訓蜻蛉云あづき阿岐豆也。𧉫あむあむ之古形。於是,天皇雄略作御歌。其歌曰:

 故より其時,なづけ其野謂蜻蛉野阿岐豆の也。

 また一時,天皇雄略登幸のぼりいでましき葛城之山上かづらきのやまのうへ。爾大豬おほきゐいでき天皇雄略即以鳴鏑かぶら其豬。時其豬いかり嗔吟宇多岐依來よりきたり嗔吟うたき原文うたき宇多岐以音,うたき。】天皇すめらみこと畏其嗔吟宇多岐,竄のぼりはり上。爾,歌曰:

 又一時,天皇雄略登幸葛城山かだらきのやま。時百官人等もものつかさのひとらことごとくきたりつけたる紅紐くれなゐのひも青摺衣あをずりのころも
 其時,有人自其所向むかへる山尾やまのを山上やまのうへすでにひとしく天皇すめらみこと鹵簿みゆきのつら,亦其束裝之狀よそひのかたち人眾ひとかず相似あひに天皇之行列みゆきのつら不傾かたぶかず。爾天皇雄略のぞみ,令問曰:「於この倭國やまとのくにおき吾亦無きみ。今誰人たれ如此而行かくてゆく?」即答曰之狀こたへいふかたちまたごとし天皇之命すめらみことのみこと。於是,天皇雄略大忿おほきにいかり搆矢矢刺,百官人等悉搆矢矢刺張弦。其人等,亦皆搆矢矢刺。故天皇亦とひ曰:「願のれ其名そのな。爾,おのおの告名而はなたむ矢。」於是答曰:「吾先見問とはえつ,故吾まづ名告なのりあれ者,とも惡事あしきこと一言ひとこと,雖善事よきこと而一言,訴斷言離之神いひはなつかみ葛城かづらき一言主之大神ひとことぬしのおほかみ者也!」【○山尾やまのを,山裾延伸之處。鹵簿みゆきのつら行列みゆきのつら是也。搆矢やさし原文矢刺やさし,張弓上矢指之之狀。】
 天皇雄略於是惶畏おそりかしこみ而白:「惶かしこし我大神わがおほかみ顯臣宇都志意美者,不覺さとらず冒犯。」如此白而はじめ大御刀おほみたち弓矢ゆみや,令百官人等所服きたるころも拜獻をろがみたてまつりき。爾其一言主大神ひとことぬしのおほかみ擊掌手打受其奉物まつりもの。故天皇すめらみこと還幸かへりいでます時,其大神一言主之人眾,滿みて山末やまのすゑ長谷山口はつせのやまぐち送奉おくりまつりき。故是一言主之大神者,彼時そのとき所顯あらはれたる也。【○顯臣うつしおみ原文うつしおみ宇都志意美以音,顯世之人臣。天皇雖為顯人神あらひとがみ,然以肉身,不識大神。令褪ぬかし原文令脫ぬかし擊掌てうち原文手打てうち滿みて或云わたり之訛,未詳。】

 又天皇雄略欲婚あはむ和邇丸邇皐月臣佐都紀のおみ之女袁杼姬おど比賣,而幸行いでまし春日かすが之時,道逢みちにあひき媛女をとめ。媛女即見幸行而逃隱にげかくりき岡邊をかへ。故天皇雄略作御歌。其歌曰:【○和邇わに皐月さつき原文わに丸邇さつき佐都紀以音,書紀作和珥臣深目わにのおみふかめ袁杼姬おどひめ紀作童女君わらはきみ。】

 故,なづけ其岡謂金鉏岡かなすきのをか也.

 又天皇雄略長谷はつせ百枝槻下ももえつきのした,為豐樂とよのあかり宴時,伊勢國いせのくに三重婇みへのうねめ指舉大御盞おほみさかづきたてまつりき。爾其百枝槻落浮おちうきき於大御盞。其うねめ不知落葉おちば浮盞さかづきにうけるなほ獻大御酒。天皇すめらみこと看行みそこなはし其浮盞之葉,打伏うちふせ其婇,以たち刺當さし充くび將斬きらむ之時,其婇まをし天皇曰:「莫殺ころすことなかれ吾身あがみ,有應白事まをすべきこと。」即歌曰:【○豐樂とよのあかり,酒宴。うねめ采女うねめさしあげ原文指舉さしあげ,奉觴。刺當さしあて原文刺充さしあて。】

 故獻此歌者,ゆるしき其罪そのつみ也。爾大后若日下王,歌。其歌曰:

 即,天皇すめらみこと歌曰:

 此三歌みつのうた者,天語歌あまがたりうた也。故於此豐樂宴,ほめ三重婇みへのうねめ多祿あまたのたまひもの也。

 是豐樂とよのあかり之日,春日之袁杼姬かすがのおど比賣亦獻大御酒おほみき之時,天皇雄略歌曰:

 此者,盞歌宇岐のうた也。爾袁杼姬おど比賣獻歌,其歌曰:【○うき原文うき宇岐以音,き。】

 此者,志都歌しつうた也。

 天皇雄略御年みとし壹佰貳拾肆歲ももあまりはたあまりよとせ己巳年つちのとのみのとし八月はつき九日ここぬか崩也かむあがりき。】御陵みさざき,在河內かふち丹比高鸇多治比たかわし也。【○丹比たぢひ原文多治比たぢひ。】



清寧天皇 磐余甕栗宮跡


清寧天皇 河內坂門原陵


志染石室 縮見山石室
顯宗帝彰宗歌:「物部武人之 我君夫子之 所取佩腰間 砥研大刀柄之上 赤土丹畫著 又於其緒者 載有軍旗朱赤幡 立赤幡見者 重重五十隱 山之三尾御峰上 竹矣搔刈連根拔 梢末押撓縻魚簀 如此奏調八絃琴 所治八紘知天下 去來穗別履中帝 伊邪本和氣天皇 其御子兮市邊之 忍齒王之奴末者 市邊末裔吾是矣


飯豐青尊 忍海角刺宮跡 鏡池

顯宗帝、鮪臣歌垣應答其一:「巍峨大宮之 皇居彼方端手處 軒隅壞傾居不安其二:「大宮若壞傾 蓋為棟樑匠拙劣 方致軒隅傾不安其三:「大君日御子 彼心怠慢方寸緩 故臣子之家 八重柴垣層層圍 大君無術入其間其四:「潮瀨流且速 今見波折重幾重 游遊潮瀨間 鮪之鰭手鰭傍處 竟見吾契妻立兮其五:「大君日御子 御子之宅圍柴垣 雖以八節縛 八節縛兮層層迴 終將綱斷彼柴垣 終將燔燼彼柴垣其六:「嗚呼大魚矣 突銛刺鮪海人哉 其女若離者 汝當思慕衷戀歟 突銛刺鮪鮪臣哉


海柘榴市 傳歌垣相闘之處


大伴金村征討平群真鳥
大伴金村征討平群真鳥、鮪父子。


億計、弘計王 王子儛
億計命以弘計命顯宗,堅讓天位。

 御子雄略白髮大倭根子命しらかのおほやまとねこのみこと,坐磐余伊波禮甕栗宮みかくりのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな清寧天皇せいねいてんわう。】

 此天皇清寧皇后おほきさき,亦無御子みこ。故為御名代みなしろさだめ白髮部しらかべ。故天皇すめらみこと崩後かむあがりしのち,無可治しろしめすべき天下あめのしたみこ也。於是,とひ所治知らさむ日繼ひつぎみこ市邊忍齒別王いちのへのおしはわけのみこいも忍海郎女おしぬみのいらつめ,亦名飯豐王いひどよのみこ臨朝秉政,いませき葛城かづらき忍海之高木角刺宮おしぬみのたかぎさしのみや也。【○原文。按清寧崩時,記紀有別。御陵みささぎ河內坂門原かふちのさかとのはら。】

 爾山部連小楯やまべのむらじをだて,任播磨國針間のくにみこともち時,到其國之人民おほみたから志自牟新室樂宴にひむろのあそび【○播磨はりま原文針間はりましじむ原文しじむ志自牟以音。】
 於是,盛樂さかりにあそび酒酣さけたけなはもちて次第つぎて皆儛みなまひき。故燒火ひをやく少子わらは二口ふたり,居竈傍かまのかたはら,令其少子ども儛。
 爾其一そのひとり少子曰:「汝兄なね先儛まづまへ。」其兄そのえ亦曰:「汝弟なおと,先儛。」如此相讓之時かくあひゆづりしとき其會そのつどへる人等わらひき其相讓之かたち。爾,億計つひに儛訖まひをはり弘計將儛まはむ時,為詠うたとみし曰:

 爾即小楯連をだてのむらじ聞驚ききおどろき自床とこより墮跌おち轉逐出追ひだし室人等むろのひとども。令二柱王子ふたはしらのみこ坐其左右膝上ひだりみぎのひざのうへ泣悲なきかなしび。故あつめ人民おほみたから假宮かりみや,使王子等坐置いませおき其假宮而貢上たてまつりき驛使はゆまづかひ。於是,其をば飯豐王いひどよのみこ聞歡ききよろこび令上のぼらしめき角刺【○墮跌おちつまづく原文墮轉おちまろび逐出おひだし原文追出おひだし。】

 故,將治いろしめさむ天下あめのした之間,平群臣へぐりのおみおや鮪臣志毘のおみ立于歌垣うたがき弘計命袁祁のみこと將婚あはむ美人をとめ手。其娘子をとめ者,菟田首等うだのおびとひとしむすめ大魚おふを也。爾弘計命袁祁のみことたちき歌垣。於是,鮪臣志毘のおみ歌曰:【○しび弘計をけ原文しび志毘をけ袁祁以音。とりき原文とりき。】

 如此かく歌而,こひ歌末うたのすゑ之時,弘計命袁祁のみこと歌曰:

 爾鮪臣志毘のおみ,亦歌曰:

 於是,王子弘計亦歌曰:

 爾鮪臣志毘のおみ愈怒いよよいかり歌曰:

 爾王子弘計,亦歌曰:

 如此歌而,闘明たたかひあかし各退おのおのしりぞきき
 明旦あくるあした之時,億計命意祁のみこと弘計命袁祁のみこと二柱はかり云:「おほよそ朝廷人等みかどのひとら者,あした參赴まゐおもぶき朝廷みかどひるつどへり鮪門志毘がかど。亦今者志毘必寢かならずいねたらむ。亦其門無人ひとなけむ。故非今者,かたけむ可謀はかるべき。」即興軍くさをおこしかくみ鮪臣志毘のおみ家,すなはち殺也ころしき【○億計おけ原文おけ意祁以音。晝集於鮪門,此云阿附おもねる權勢。】

 於是,二柱ふたはしら王子等みこたち,各相讓あひゆづり天下あめのした。兄億計命意富祁のみこと讓其弟弘計命袁祁のみこと曰:「すみし播磨針間志自牟家時,若汝命ながみこと不顯あらはさず名者,さらにあらずのぞむ天下之きみ。是すでに為汝命之いさを。故あれなほ汝命まづしろしめよ天下。」而堅讓かたくゆづりき弘計命袁祁のみこと不得えずいなぶる而先治天下あめのした也。



顯宗天皇 近飛鳥八釣宮跡


磐坂市邊押磐皇子墓
傳市邊忍齒王、佐伯部仲子同被害,屍骨交橫,雖置目相別髑髏,四肢竟不能辨,故造雙陵葬之。


村井御前社 祀置目老媼
顯宗帝聞鐸聲歌:「荒蔓淺茅原 小谷瘠地亦過兮 百傳驛鈴遠 鐸響鏗鏘遙可聞 置目來歟吾心欣帝悲置目還歌:「倭帒置目兮 近江置目老嫗婦 明日過之後 致仕歸隱還深山 不得復見吾心悲


河內 飛鳥川
顯宗帝斬豬飼老人於飛鳥河原,亦斷其族膝筋,以報當年奪糧之仇。


雄略天皇 丹比高鷲原陵
顯宗帝為人孝直,有仇報仇,有恩報恩。故厚待置目,斬殺飼豬,而欲毀雄略帝陵。仁賢帝止之。


顯宗天皇 傍丘磐坏丘南陵
顯宗帝崩,其兄仁賢帝繼天皇位。


仁賢天皇 石上廣高宮傳稱地


手白香皇女衾田陵 西殿塚古墳
手白髮郎女適繼體帝為皇后。


仁賢天皇 埴生坂本陵
仁賢帝治天下七年,壽五十而崩。

 去來穗別王伊奘本わけのみこ御子履中市邊忍齒王いちのへのおしはのみこ御子,弘計之石巢別命袁祁のいはすわけのみこと近飛鳥宮ちかつあすかのみや,治天下あめのした捌歲やとせ也。【○漢謚からのおくりな顯宗天皇けんぞうてんわう。】

 天皇顯宗磐城王石木のみこむすめ難波王なにはのみこ無子こなし也。【○磐城いはき原文石木いはき。難波王,書紀作磐城王孫難波小野王なにはのをののみこ。】

 此天皇顯宗,求其父王ちちみこ市邊王いちのへのみこ御骨みかばね時,在近江國淡海のくに賤老媼いやしきをみな參出まゐいで白:「王子市邊忍齒御骨所埋うづみしところ者,もはら能知よくしれり。亦以其御齒みは可知しるべし【御齒者,如三技忍齒さきくさ押は也。御骨みかばねかばね也。忍齒おしは原文押齒おしは,多層牙。
 爾起民たみをおこし堀土つちをほりもとめき御骨みかばね,即其御骨,而於其蚊屋野かやの東山ひむかしのやま,作御陵みさざきはぶり。以韓帒からぶくろ子等こら令守まもらしめき其陵,然後しかくしてのち持上もちのぼりき其御骨也。
 故還上かへりのぼり坐而めし老媼をみなほめ不失わすれず見,さだかにしれるところ,以賜名なをたまひなづけき置目老媼おきめのおみなすなはち召入めしいれ宮內みやのうち敦廣あつくひろく慈賜うつくしびたまひき。故其老媼所住屋すめるや者,近作ちかくつくり宮邊みやのへ每日ひごと必召かならずめしき。故かけぬりて大殿戶おほとののとおもひし召其老媼之時,必引鳴ひきなしき其鐸。爾天皇顯宗御歌みうた,其歌曰:

 於是ここに置目老媼まをし:「やつかれはなはだ耆老おいたり,欲退まからむ本國もとつくに。」故隨白まをすまにまに退時,天皇顯宗見送みおくり歌曰:

 天皇顯宗もとめきはじめ逢難わざはひにあひ逃時にげしときうばひし御粮みかりて豬飼ゐ甘老人おきな。是得もとむる喚上めしあげきり飛鳥河あすかがは河原かはら,亦みなたちき其族そのうがら膝筋ひざのすぢ【○豬飼ゐかひ原文豬甘ゐかひ。】是以これをもちていたる于今,其子孫あなすゑのぼるやまとかならずおのづから跛也あしなへぐ。故以能標見見志米岐其老所在ありしところ,謂其地曰志米須也。【○標見みしめき原文見しめきみ志米岐しめき、しめき也。しめす原文しめす志米須以音。】

 天皇顯宗深怨ふかくうらみ殺其父王ちちみこ大長谷雄略天皇すめらみこと,欲むくいむ其靈そのたま。故おもひきこほたむ大長谷雄略天皇之御陵みさざきつかはす人之時,其胞兄伊呂ね億計命意富祁のみことまをし言:「破壞やぶりこほたむ是御陵,不可遣つかはすべくあらず他人あたしひともはらやつかれ自行みづからゆき。如天皇すめらみこと御心みこころ,破壞以參出まゐいでむ。」爾天皇顯宗詔:「しからば隨命みことのまにまに幸行いでまし。」是以億計命意富祁のみことくだり幸而,少掘すこしほり御陵みさざきかたはら還上かへりのぼり復奏かへりことまをし言:「すでに堀壞也ほりこほちつ。」【○いろ原文いろ伊呂以音。】
 爾天皇顯宗あやしび早還上はやくかへりのぼり而詔:「如何いかにか破壞やぶりほりこほちつる?」答白:「少掘其陵之傍土かたはらのつち。」天皇すめらみこと詔之:「欲むくいむ父王之あたかならずことごとく破壞其陵。なにぞ僅少掘乎?」兄曰:「所以ゆゑ為然しかしつる者,父王ちちみこあたおもふ報其たま,是まことことわり也。然其大長谷雄略天皇すめらみこと者,雖為父之怨ちちのあたかへり為我之從父をぢ,亦しろしめし天下あめのした天皇すめらみこと。是今ひとへ父仇ちちのあたこころざし悉破ことごとくやぶらば治天下之天皇みさざき者,後人のちのひと誹謗そしらむただ父王之仇,非報むくいずる不可,故少掘すこしほりつ陵邊はかのへ,既以是恥このはづかしたれりしめす後世のちのよ。」如此かく奏者まをせば天皇顯宗答詔之:「是亦これもまた大理おほきにことわり如命みことのごとく可也よし。」故天皇顯宗かむあがりき,即以億計命意富祁のみこと天津日繼あまつひつぎ【○原文天津日繼あまつひつぎ,皇統之謂也。】

 天皇顯宗御年みとし者,參拾捌歲みそあまりやとせ。治天下あめのした八歲やとせ御陵みさざき,在片岡かたをか石坏岡上いはつきのをかのうへ也。


 
弘計王袁祁のみこ億計王意富祁のみこ,坐石上廣高宮いそのかみのひろたかのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな仁賢天皇にんけんてんわう。】

 天皇仁賢めとり大長谷若武おほはつせのわか建天皇雄略御子みこ春日大郎女かすがのおほいらつめ
  生御子,高木郎女たかぎのいらつめ
  次,財郎女たからのいらつめ
  次,樟冰郎女久須毘のいらつめ【○樟冰くすび原文くすび久須毘以音。】
  次,手白髮郎女たしらかのいらつめ
  次,小長谷若雀命をはつせのわかさざきのみこと【○武烈天皇ぶれつてんわう。】
  次,真若王まわかのみこ
 又娶和邇日爪臣丸邇のひつめのおみむすめ糠若子郎女ぬかのわくごのいらつめ【○和邇わに原文丸邇わに。】
  生御子,春日山田郎女かすがのやまだのいらつめ【○山田やまだ,或本作小田をだ少田をだ。】
 此天皇仁賢御子みこあはせ七柱ななはしら此之中このなかに小長谷若雀命をはつせのわかさざきのみこと者,しろしめす天下あめのした也。


四、皇統斷絕與繼體持統

 小長谷若雀命をはつせのわかさざきのみこと,坐長谷はつせ列木宮なみきのみや,治天下あめのした捌歲やとせ也。【○漢謚からのおくりな武烈天皇ぶれつてんわう。】

 此天皇武烈太子ひつぎのみこ。故為御子代みこしろさだめき小長谷部をはつせべ也。

 御陵みさざき,在片岡かたをか石坏岡いはつきのをか也。

 天皇武烈かむあがりき,無可治知らすべき日續ひづきみこ。故令譽田品太天皇すめらみこと五世之孫いつつぎのうまご男大迹命袁本杼のみこと,自近江國近淡海のくに上坐のぼりいまさしあはせ婚於手白髮命たしらかのみこと授奉さづけまつりき天下あめのした也。【○原文譽田ほむだ原文品太ほむだ男大迹をほど原文をほど袁本杼以音。近江ちかつあふみ原文近淡海ちかつあふみ。武烈天皇無嗣,故招應神帝五世孫繼體與仁賢皇女手白髮命たしらかのみこと通婚,而承天位。】


 譽田品太天皇應神五世孫男大迹命袁本杼のみこと,坐磐余伊波禮玉穗宮たまほのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな繼體天皇けいたいてんわう男大迹をほど磐余いはれ原文をほど袁本杼いはれ伊波禮以音。】

 天皇繼體めとり三尾君みをのきみおや若姬わか比賣
  生御子みこ大郎子おほいらつこ
  次,出雲郎女いづものいらつめ二柱ふたはしら。】
 又娶尾張連をはりのむらじ等之祖凡連おほしのむらじいも目子郎女めのこのいらつめ
  生御子,廣國押武金日命ひろくにおし建かなひのみこと【○安閑天皇あんかんてんわうたけ原文たけ。】
  次,武小廣國押楯命建をひろくにおしたてのみこと【二柱。○宣化天皇せんくわてんわう
 又娶億計天皇意富祁のすめらみこと御女御子手白髮命たしらかのみことこれ大后おほきさき。】
  うみし御子,天國排開廣庭命あめくに押波流岐ひろにはのみこと排開おしはるき原文おしはるき押波流岐以音。一柱ひとはしら欽明天皇きんめいてんわう
 又娶息長真手王おきながのまてのみこ之女麻組郎女をくみのいらつめ
  生御子,荳角郎女佐佐宜のいらつめ【一柱。荳角ささげ原文ささげ佐佐宜以音。伊勢齋宮いせのいつきのみや
 又娶坂田大俣王さかたのおほまたのみこ之女黑姬くろ比賣
  生御子,神前郎女かむさきのいらつめ
  次,茨田郎女うまらたのいらつめ
  次,馬來田郎女うまぐたのいらつめ三柱みはしら。】
 又娶茨田連小望うまらたのむらじをもち之女關姬せき比賣
  生御子,茨田大郎女うまらたのおほいらつめ
  次,白坂活日郎女しらさかのいくひのいらつめ
  次,小野郎女をののいらつめ亦名またのな長目姬ながめ比賣【三柱。小野郎女をののいらつめ原文野郎女ののいらつめ,此依書紀校之。
 又娶三尾君堅楲みをのきみ加多夫之妹倭姬やまと比賣【○堅楲かたぶ原文かたぶ加多夫以音。】
  生御子,大郎女おほいらつめ
  次,丸高王まろたかのみこ
  次,耳王みみのみこ
  次,赤姬郎女あか比賣のいらつめ四柱よはしら。】
 又娶阿倍荑姬あへ之波延比賣【○はえ原文はえ波延以音。】
  生御子,若屋郎女わかやのいらつめ
  次,圓郎女都夫良のいらつめ【○つぶら原文つぶら都夫良以音。】
  次,阿豆王あづのみこ【三柱。】
 此天皇すめらみこと之御子等,あはせ十九王とあまりここのはしらのみこをとこ七,をみな十二。】

  此之中このなか天國排開廣庭命あめくに押波流岐ひろにはのみこと者,しろしめす天下欽明
  次,廣國押武金日命ひろくにおし建かなひのみこと,治天下安閑也。
  次,武小廣國押楯命建をひろくにおしたてのみこと,治天下宣化
  次,荳角王佐佐宜のみこ者,をろがみき伊勢神宮いせのかむみや也。

 此之繼體御世みよ竺紫君磐井つくしのきみ石ゐ不從したがはず天皇之命すめらみことのみこと,而多無禮ゐやなき。故つかはし物部麤鹿火大連もののべの荒甲のおほむらじ大伴金村おほとも之かなむらむらじ二人,而ころしき磐井石ゐ也。【○磐井いはゐ原文石井いはゐ。】

 天皇繼體御年みとし肆拾參歲よそあまりみとせ丁未年ひのとのひつじのとし四月うづき九日ここぬかかむあがりき。】御陵みさざき者,三嶋之藍陵みしまのあゐのみさざき也。



武烈天皇 泊瀨列城宮趾


武烈天皇 傍丘磐坏丘北陵
武烈帝歿,仁德天皇系子嗣斷絕。以故,日本書紀以暴君誌之。


繼體天皇 泊瀨列城宮傳承地


繼體帝母后振媛 高向宮跡
繼體帝父彥主人王薨後,振媛歸寧越前高向,奉養天皇。


荳角郎女 茨田真手御宿所跡
息長真手王孫荳角皇女時,始為齋宮任滿退下禊祓往還之宿所。


足羽山繼體天皇像 系圖


岡太神社 繼體天皇潛龍聖迹碑
繼體天皇即位以前所居越前宮跡。


物部麤鹿火、大伴金村


筑紫君磐井像 磐井墓


繼體天皇 三嶋藍野陵

 御子繼體廣國押武金日命ひろくにおし建かなひのみこと,坐勾之金箸宮まがりのかなばしのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな安閑天皇あんかんてんわう。】

 此天皇安閑,無御子みこ也。乙卯年きのとのうのとし三月やよひ十三日とをあまりみかかむあがりき○此天皇安閑,立億計おけ天皇女春日山田郎女かすがのやまだのいらつめ皇后きさき。又立許勢男人こせのをひと紗手姬さてひめ、紗手姬弟香香有姬かかりひめ物部木蓮子もののべいたび宅姬やかひめ為妃。並無嗣。遂立屯倉みやけ,留名後代。故,小墾田屯倉をはりだのみやけ,給紗手姬。櫻井さくらゐ屯倉,給香香有姬。難波なには屯倉,給宅姬。○此之安閑御世,廣設屯倉みやけ。置筑紫穗波ほなみ屯倉、かま屯倉,豐國腠碕みさき屯倉、桑原くははら屯倉、肝等かと屯倉、大拔おほぬく屯倉、我鹿あか屯倉,肥國春日部かすがべ屯倉,播磨國越部こしべ屯倉、牛鹿うしか屯倉,備後國後城しつき屯倉,多禰たね屯倉、來履くくつ屯倉、葉稚はわか屯倉、河音かはと屯倉,婀娜國膽殖いにゑ屯倉、膽年部いとしべ屯倉,阿波國春日部屯倉,紀國經湍ふせ屯倉、河邊かはへ屯倉,丹波國蘇斯岐屯倉そしきのみやけ,近江國葦浦あしうら屯倉,尾張國間敷ましき屯倉、入鹿いるか屯倉,上毛野國綠野みどの屯倉,駿河國稚贄わかにへ屯倉。

 御陵みさざき,在河內かふち古市高屋村ふるいちのたかやのむら也。


 
安閑武小廣國押楯命建をひろくにおしたてのみこと,坐檜坰ひのくま廬入野宮いほりのみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな宣化天皇せんくわてんわう。】

 天皇宣化億計意祁天皇仁賢御子みこ橘中姬命たちばな之なかつ比賣のみこと【○億計おけ原文おけ意祁以音。】
  生御子,石姬命いは比賣のみこと
  次,小石姬命をいは比賣のみこと
  次,倉若江王くら之わかえのみこ
 又めとり川內若子姬かふち之わくご比賣
  生御子,火穗王ほのほのみこ
  次,惠波王ゑはのみこ
 此天皇宣化御子みこ等,あはせ五王いつはしらのみこをとこ三,をみな二。】

  故,火穗王者,椎田君志比陀のきみ之祖。【○椎田しひだ原文しひだ志比陀以音。】
  惠波王者,豬名君韋那のきみ丹比君多治比のきみ之祖也。【○豬名ゐなたぢひ多治比原文ゐな韋那たぢひ多治比以音。】

 【○天皇宣化御年みとし,柒拾參歲。御陵みさざき,在身狹桃花鳥坂上むさのつきさかのへ也。】


 
宣化天國排開廣庭天皇 あめくに押波流岐ひろにはのすめらみこと,坐磯城嶋大宮師木しまのおおほみや,治天下あめのした也。【○漢謚からのおくりな欽明天皇きんめいてんわう。】

 天皇欽明檜坰ひのくま天皇宣化之御子石姬命いは比賣のみこと【○檜坰天皇ひのくまのすめらみこと者,宣化帝也。坐檜坰之廬入野宮,故名。】
  生御子,八田王やたのみこ
  次,沼名倉太玉敷命ぬなくらのふとたましきのみこと【○敏達天皇びだつてんわう。】
  次,笠縫王かさぬひのみこ【三柱。】
 又めとり其妹石姬小石姬命をいは比賣のみこと【○其妹そのいも原文其弟そのおと。】
  生御子,上王かみのみこ【一柱。】
 又娶春日之日爪臣かすがのひつめのおみむすめ糠子郎女ぬかこのいらつめ
  生御子,春日山田郎女かすがのやまだのいらつめ
  次,椀子王麻呂古のみこ【三柱。】
  次,蘇我倉王宗賀之くらのみこ【○蘇我そが原文そが宗賀以音。】
 又娶蘇我稻目宿禰大臣宗賀之いなめのすくねのおほおみ之女堅鹽姬岐多斯比賣【○蘇我そが堅鹽きたし原文そが宗賀きたし岐多斯以音。】
  生御子,橘豐日命たちばな之とよひのみこと【○用明天皇ようめいてんわう。】
  次いも石坰王いはくまのみこ石坰王いはくまのみこ,書紀作磐隈皇女いはくまのひめみこ,為伊勢齋宮いせのいつきのみや。】
  次,足取王あとりのみこ
  次,豐御食炊屋姬命とよみ氣かしきや比賣のみこと【○推古天皇すいこてんわう原文以音。】
  次また椀子王麻呂古のみこ
  次,大宅王おほやけのみこ
  次,伊美賀古王いみがこのみこ【○書紀作石上部皇子いそのかみべのみこ。】
  次,山代王やましろのみこ
  次妹,大伴王おほとものみこ
  次,櫻井玄王さくらゐ之ゆみはりのみこ【○ゆみはりゆみはり之略也。】
  次,麻怒王まののみこ【○書紀作肩野皇女かたののひめみこ。】
  次,橘本若子王たちばなもと之わくごのみこ
  次,泥杼王ねどのみこ【十三柱。○書紀作舍人皇女とねりのひめみこ
 又娶堅鹽姬岐多斯毘賣をば小兄姬をえ比賣
  生御子,馬木王うまきのみこ
  次,葛城王かづらきのみこ
  次,間人穴太部王はしひとのあなほべのみこ【○穴穗部間人皇后あなほべのはしひとのきさき。】
  次,三枝部穴太部王さきくさべのあなほべのみこ亦名またのな皇弟須賣伊呂杼【○皇弟すめいろど原文すめいろど須賣伊呂杼以音。】
  次,長谷部若雀命はつせべのわかさざきのみこと【○崇峻天皇すしゆんてんわう。】【五柱。】
 凡此天皇欽明御子みこ等,あはせ廿五王はたあまりいつはしらのみこ

  此之中このなか沼名倉太玉敷命ぬなくらのふとたましきのみこと者,しろしめす天下敏達
  次,橘豐日命たちばな之とよひのみこと,治天下用明
  次,豐御食炊屋姬命とよみ氣かしきや比賣のみこと,治天下推古
  次,長谷部若雀命はつせべ之わかさざきのみこと,治天下崇峻也。并四王,治天下あめのした也。

 【○天皇欽明御陵みさざき,在檜隈坂合ひのくまのさかひ也。】



安閑天皇 勾金橋宮趾


安閑天皇 古市高屋丘陵


宣化天皇 檜隈廬入野宮趾


岡太神社 皇子池
傳安閑、宣化二帝生誕時之產湯。


宣化天皇 身狹桃花鳥坂上陵
宣化帝、橘仲皇后,合葬於此陵。


欽明天皇 磯城嶋金刺宮址


佛教傳來之地碑
欽明朝,百濟聖明王獻釋迦佛金銅像、幡蓋、經論。佛教公傳。


善光寺緣起繪卷 蘇我稻目
欽明帝詔群臣議禮佛,遂以釋迦佛金銅像付蘇我稻目,祀於向原寺。


豐御食炊屋姬命 推古天皇像
推古天皇,史上首位女帝。以前雖有神功皇后、飯豐青尊臨朝稱制之事,而登極者實以推古帝為濫觴。


都塚古墳
特殊金字塔狀階梯式方墳。被葬者或云蘇我稻目,或云蘇我堅鹽姬。


穴穗部間人皇后與聖德太子像
間人穴太部王,適用明帝為后,生聖德太子。太子為推古朝攝政。


欽明天皇 檜隈坂合陵

 御子欽明沼名倉太玉敷命 ぬなくらのふとたましきのみこと,坐譯語田宮他田のみや,治天下あめのした拾肆歲とあまりよとせ也。【○漢謚からのおくりな敏達天皇びだつてんわう。】

 此天皇敏達めとり庶妹ままいも豐御食炊屋姬命とよみけかしきや比賣のみこと
  生御子,靜貝王しづかひのみこ亦名またのな貝鮹王かひたこのみこ
  次,竹田王たけだのみこ。亦名,小貝王をかひのみこ
  次,小治田王をはりたのみこ
  次,葛城王かづらきのみこ
  次,鵜守王宇毛理のみこ【○鵜守うもり原文うもり宇毛理以音。】
  次,尾張王小張のみこ【○尾張をはり原文小張をはり以音。】
  次,田眼王多米のみこ【○田眼ため原文ため多米以音。】
  次,櫻井玄王さくらゐのゆみはりのみこ八柱やはしら。】
 又娶伊勢大鹿首いせのおほかのおびとむすめ小熊子郎女をぐまこのいらつめ
  生御子,太姬命布斗比賣のみこと【○ふと原文ふと布斗以音。】
  次,寶王たからのみこ。亦名,糠代姬王ぬかしろ比賣のみこ【二柱。】
 又娶息長真手王おきながのまてのみこ之女廣姬命比呂比賣のみこと【○ひろ原文ひろ比呂以音。】
  生御子,押坂彥人太子忍さか日子ひとのひつぎのみこ。亦名,椀子王麻呂古のみこ【○押坂彥人おしさかひこひと原文忍坂日子人おしさかひこひと。】
  次,坂騰王さかのぼりのみこ
  次,宇治王宇遲のみこ【三柱。宇治うぢ原文宇遲うぢ
 又娶春日中若子かすがのなかつわくご之女老女子郎女をみなこのいらつめ
  生御子,難波王なにはのみこ
  次,桑田王くはたのみこ
  次,春日王かすがのみこ
  次,大俣王おほまたのみこ【四柱。】

  此天皇すめらみこと御子みこ等,あはせ十七王中,彥人太子日子ひとのひつぎのみこ,娶庶妹ままいも田村王たむらのみこ,亦名糠代姬命ぬかしろ比賣のみこと
   生御子,いまし岡本宮をかもとのみやしろしめす天下あめのした天皇舒明【○息長足日廣額命おきながたらしひひろぬかのみこと,漢謚舒明天皇じよめいてんわう。】
   次,中津王なかつみこ
   次,多良王たらのみこ【三柱。】
  彥人太子日子ひとのひつぎのみこ又娶漢王あやのみこ之妹大俣王おほまたのみこ
   生御子,茅渟王智奴のみこ【○茅渟ちぬ原文智奴ちぬ。】
   次妹,桑田王くはたのみこ【二柱。】
  彥人太子日子ひとのひつぎのみこ又娶庶妹玄王ゆみはりのみこ
   生御子,山代王やましろのみこ
   次,笠縫王かさぬひのみこ【二柱。】七王ななはしらのみこ

  天皇敏達甲辰年きのえたつのとし四月うづき六日むゆかかむあがりき。】御陵在河內科長川ふちのしなが也。【○河內かふち原文川內かふち。】


 
敏達橘豐日命たちばなのとよひのみこと,坐池邊宮いけへのみや,治天下あめのした三歲みとせ也。【○漢謚からのおくりな用明天皇ようめいてんわう。】

 此天皇すめらみことめとり稻目宿禰大臣いなめのすくねのおほおみ之女大堅鹽姬意富藝多志比賣【○大堅鹽おほぎたし原文意富藝多志おほぎたし以音。】
  生御子,田目王多米のみこ【一柱。田目ため原文ため多米以音。
 又娶庶妹ままいも間人穴太部王はしひとのあなほべのみこ
  生御子,上宮廄戶豐聰耳命かみつみや之うまやとのとよとみみのみこと【○聖德太子しゃうとくたいし。】
  次,久米王くめのみこ
  次,植栗王うゑくりのみこ
  次,茨田王うまらたのみこ【四柱。】
 又娶當麻倉首廣だきま之くらのおびと比呂むすめ飯之子いひのこ【○ひろ原文ひろ比呂以音。】
  生御子,當麻王だきまのみこ
  次妹,酢香代子郎女須加志呂古のいらつめ【○二柱。酢香代子すかしろこ原文酢香代子すかしろこ以音。書紀作酢香手姬すかてひめ,為伊勢齋宮いせのいつきのみや。】
 此天皇用明丁未年ひのとのひつじのとし四月うづき十五日とをあまりいつかかむあがりき。】御陵みさざき磐余掖上石寸のわきがみのちうつしき科長中陵しながのなかのみさざき也。


 
用明長谷部若雀天皇はつせべのわかさざきのすめらみこと,坐倉椅柴垣宮くらはしのしばかきのみや,治天下あめのした四歲よとせ壬子年みづのえのねのとし十一月しもつき十三日とをあまりみか崩也かみあがりき漢謚からのおくりな崇峻天皇すしゆんてんわう

 御陵みさざき,在倉椅岡上くらはしのをかのうへ也。


 
崇峻豐御食炊屋姬命とよみけかしきや比賣のみこと,坐小治田宮をはりだのみや,治天下あめのした卅柒歲みそあまりななとせ戊子年つちのえねのとし三月やよひ十五日とをあまりいつか癸丑みづのとのうしかみあがりき漢謚からのおくりな推古天皇すいこてんわう

 御陵みさざき,在大野岡上おほののをかのうへ,後うつしき科長大陵しながのおほみさざき也。


敏達天皇 譯語田幸玉宮傳承地
敏達帝,欽明帝第二皇子。其性不信佛法,而愛文史。


等彌神社末社 櫻井弓張神社
櫻井玄王,書紀作櫻井弓張皇女。


伊勢國分寺跡
伊勢國氏族大鹿氏,蓋以鈴鹿與多氣郡相可一帶為其本貫。按大鹿氏與中臣氏同族,並天兒屋命裔。


牧野古墳 傳押坂彥人太子墓
敏達帝第一皇子,為不含蘇我系血統之敏達王統第一人選。然以蘇我勢力抬頭之故,未即天位。舒明、天智、天武帝等,皆其子孫。


飛鳥岡本宮跡
舒明帝飛鳥岡本宮,營於飛鳥岡【雷丘。】之麓。遇灾燒失之後,齊明帝又築後飛鳥岡本宮。皇極帝飛鳥板蓋宮者,亦在同處。


傳茅渟王墓 平野塚穴山古墳


敏達天皇 河內磯長中尾陵


用明天皇 磐余池邊雙槻宮傳承地


聖德太子像與救世觀音像


用明天皇 河內磯長原陵
磐余掖上陵,所在未詳。


崇峻天皇 倉梯柴垣宮傳承地
蘇我馬子使東漢直駒,逆弒天皇。


推古天皇 小墾田宮跡
此天皇以聖德太錄攝政,頒憲法。

【古事記下卷 始仁德天皇,聖帝之世。迄推古帝治世,飛鳥朝濫觴。 終】

[古事記中卷] [久遠の絆] [再臨詔]


  1. 고사기(상)
  2. 고사기(중)
  3. 고사기(하)

한퓨쳐 / 역사자료실